2009/03/24

・『アペポペ』。文字からの連想117字。前日までに3日で約690字。全体の丁度3分の1ぐらいであろうか。

2009/03/27

・『あぺぽぺ』。2日でだいぶ高速化できた。mapとstringを追放し、データのセーブとロードにかかる時間が10分の1ぐらいになった代わりに、STLの簡単さが失われてしまった。当然コンテナにあたるものを自作しなければならなかった。バグも入ってくるだろう。動的なデータ拡張もやめて、固定配列になった。stlはリアルタイムでの大量アクセスにはまだまだ使えないことが分かった。もちろんアルゴリズムの問題もあるはずだ。コンピュータの処理速度に対する認識が甘かった。そしてまだまだ遅い。どこかで原因を見つけて治さなければならない。C++すらやめてC言語を使わねばならない可能性すらある。アセンブラの技術はありません。『あぺぽぺ』はまったくゲームらしくないゲームプログラムだけど、処理速度を気にしなければならないところあたり、実にゲームプログラミングしている。

・簡単すぎるほどに作ったはずなのに複雑になってきている。少し簡単にしよう。

・やはり今は『あぺぽぺ』を作っているときが一番楽しい。楽しいだけではなく、喜怒哀楽が全部ある。とても孤独です。

2009/03/30

・明日は仲間と制作があるので、日記は今日書いてアップしておきます。

・仲間の古いノートパソコンであぺぽぺが動かないという問題が発生した。うすうす気がついてはいたが、『あぺぽぺ』はメモリを食いすぎている。そしてだいぶ解消はしたものの、依然として重い。5年前に買ったパソコンで動いているから大丈夫だと思っていたけど、もしかしたらノートだと動かないのが多いかもしれない。あまり考えたくない問題だが、動かないのは問題外だ。

・鍵が2つ減ったので2つ補充した。と言っても、自分の部屋の鍵であるが。浮いた話でもなく、仲間が部屋を使えるように、というだけです。

2009/03/26

・仲間に作業を手伝ってもらうにあたり、セーブとロードを高速化せねば使い物にならない。現状では自分の速いマシンでも時間がかかる。古いマシンで大量にセーブするとしばらく返ってこない。作業に支障がでるのは間違いない。再生も重くて、低品質なプログラムになっている。30フレームにするのはまだ検討したくない。土曜日から作業をお願いするので、それまでに何とかしなければならない。アプリケーションとしての機能も足りていないので、会社の仕事も多いが、こちらも滞りなく作る。プログラミング漬けの数日になりそうです。

2009/03/29

・仲間と『あぺぽぺ』の制作。まず作業内容を説明して、それから制作。ただでさえプログラマとの共同作業は初めてだろうし、それに『あぺぽぺ』自体がとても分かりにくいプログラムなので、理解するのが大変だったはず。それでも、慣れてくると結構楽しんで使ってくれていた。たぶん200時間ぐらいはお借りする。そんな長い時間使ってもらう『あぺぽぺ』はもっとユーザーフレンドリーでなければならない。バージョンアップを重ねて、仲間たちが使いやすいように。それに使いやすくなるのは、単純に気持ちが良いものです。気合が補給される。だから私は、『あぺぽぺ』の本体と、『あぺぽぺ』を作るための『あぺぽぺ』を同時に作らないといけないのです。

・共同作業は最高だ。これ以上に楽しい時間の過し方を他に思いつかない。有体に書けば、少なくてもセックスよりは満たされる。肉体を介さない精神の交わり、とでも言おうか。いや、精神も直接は交わっていない。第三の場所があって、そこは現在創造されている途中の場所で、そこで交わっているのだ。おっといけない。こんなことを書いていると仲間に逃げられてしまいそうだ。

2009/03/28

・『アペポペ』。文字からの連想は865字で止まっている。

・仕事は大きな問題が発生しない限り、終電コースが終わりそうだ。一方あぺぽぺは、明日から仲間に画像データの制作に入ってもらいたいので、最低限必要な機能を一晩で入れなければならない。明け方10時になんとか完了。来訪まで寝るとしよう。一ヶ月間行っていない掃除はそれから…。

2009/03/17

・世田谷の荷物を背負ったまま、出社したところ、登山者みたいだと言われた。浮浪者といわれるかと思っていた。

・無糖珈琲#2が公開されました。私もインタビューのゲストという形ですが、参加させていただきました。宜しければごらんください。

http://ytaiyo.com/coffee/

2009/03/22

・無茶な働き方をしているなあ。こうなる前に先手を打って仕事ができれば良かったのだが、経験と技術が足りなかった。なんだ。いつもの事か。

2009/03/23

・人付き合いが広くない理由は、どうも、一人当たりに入れ込み過ぎる性質が原因のようだ。親しい人間は、恋人であってほしいし、家族であってほしいし、友人であってほしいし、ペットであってほしい。実際にそうはしないし、できないが、心の中では求めているのだろう。嫉妬心、独占欲が強い。もちろん若い女性が一番だが、傾向は老若男女問わずあるようだ。

・ようやく自分自身で自分自身にプレッシャーを与えられるようになれたかもしれない。プレッシャーが負荷にしか聞こえなければ、責任と呼ぶこともできる。今までずっと他人や環境に与えられてきた。自分をコントロールするための第一歩だし、人任せにできない仕事や生活を始めるための最低条件だ。多くの人間は環境や立場によって、たとえば出世したり親になったりして、不回避にそれを得るのだろう。次の段階は馴致。このプレッシャーを飼いならさなくてはならない。プレッシャーでストレスを抱え込んで、肉体や精神を損ねてはならない。ここ1、2年で、感情的になる場面が増えていたが、コントロールを鍛えるという点では良かったし、意図した結果だ。感情的になる場面を避ければ、もっと頭は働かせるだろうが、それでは上手く行かない場面も多い。特に感情的な人間と接するとき。

2009/03/20

・今週は仕事だ。落ち着かせれるところまで組んでおきたい。

2009/03/21

・『あぺぽぺ』仲間にお願いするのはかなり不条理で困難な作業になりそうだ。おおよそ自分しか興味のない表現をお願いするわけだから。しかも膨大な量である。すまないが頼む、というしかない。なんでこんなものに馬鹿みたいに情熱や時間を投入できるんだ?というものができるかもしれない。感謝の気持ちは2倍にしても、ぜんぜん足りない。

2009/03/12

・noteを再開してみようか。1000まで書いたから次は2000まで。西暦を射程に捕らえる。

・ゲームを遊びたいと思って、フリーゲームを探してみたものの、遊びたいと思うほどリアリティのあるゲームが見つからなかった。リアリティというのは決してグラフィックについてのことだけではない。どのゲームについてもやわらかい印象を受ける。遊んでみないと分からないのがゲームであるから、食わず嫌いをしているのもあるが…。

・そういえば『プラネットライカ』をまだ遊んでいなかった。しかし見つからず。世田谷に忘れたようだ。その世田谷の家も今週一杯で使えなくなる。2ヶ月にも満たない期間であったが、充実した時間を過させていただいた。今週末は撤収作業に終われそうだ。

2009/03/14

・未開封だった『Rez』を遊んでみた。すごく雰囲気があって、面白さよりもそちらに気を奪われた。イメージそのものコンピューター・ワールドです。電子空間をたゆたう。説明書も手抜きが無くて、世界に引き込まれるのを助けた。手をこまねいて手引きされた格好だ。危なく遊ばないでおくところであった。今度、友人たちと遊んでみよう。こういうゲームがあっても良い、というお手本のようなゲームで、未プレイなら遊ぶべき一本だと思います。

・一週間分の日記を思い出して書いているが、良い点も悪い点もある。良い点は、記憶の強く残った分かりやすいものだけを書けること。悪い点は、まったく同じで、記憶の強く残った分かりやすいものしか書けないこと。

・二俣川に行って、最後のお片づけ。冷蔵庫とダンボールを撤去した。もっと有効に使えれば良かったと思う。ケールの仲間とも話したが、空間は適切な場所に無いと効果的でない。簡単に言うと、ケールのメンバーの家から遠すぎたのだ。それが世田谷との最大の違いだった。さらには、泊まれるための十分な施設があり、日付をまたいでの滞在が快適であったのも大きい。

・それにしても、この1週間で、2つの鍵が手元から離れてしまう。残りは3つ。残り個数を強調する意味は無いのだが。空間を資産と見なせば、かなりの損失だと思います。空間の効果は簡単には測定できないけど、世田谷で過した感覚を元に判断すれば、そうだろう。

・簡単に測定する方法があった。どれだけその家(空間)を利用したかだ。なかなか良い指標かもしれない。ためしにこの指標を使えば世田谷は得点が高い。ほぼ毎週、私と仲間の1人が通いつめたのだから。

・ひさしぶりに個人制作をしようと思ったが、まったく時間が取れなかった。ひとえに知識や経験、それに想像力が足りなかったせいである。これらが足りないと何が問題だろうか。問題を解決するのに時間がかかる、というのがその答えだ。たとえば、冷蔵庫を処分するという簡単な問題であってもたっぷり3時間は消費した。まず、前提知識として、冷蔵庫は、粗大ゴミとして他のものと同じ方法で捨てられないという情報があった。だから、まず、業者を探す。今日は引き取れないと回答があったので、別の業者を探す。次の業者では、包装しないと今日中には引き取れないらしい。包装さえできれば、引き取れるということだ。もちろんそうしよう。ならば、冷蔵庫を収めるのに適当なダンボールがないので確保しなければならない。さっそく、隣駅までダンボールをホームセンターにもらいに行く。冷蔵庫のサイズを思い浮かべながら、ぴったりと思われるダンボールを得る。それから、冷蔵庫のある場所へ移動する。電車で移動する際に、冷蔵庫の持ち主に回収費用をメールしてみたところ、値段が高すぎるというので、メールを何度か往復させた。その結果、処分方法が回収から郵送に変化した。冷蔵庫のある場所に到達し、実際に梱包してみると、ダンボールが大きすぎてスカスカだ。適切な大きさでなかったのだ。残念なことには、ほとんど引越しの終わった部屋には詰めるものが何も無かった。もう一度ダンボールをとりに行く時間もない。このダンボールで包むのをあきらめた。そこで、唯一残っていて、処分を頼まれていた小さなダンボールどもを手でちぎって、ガムテープでつぎはぎのダンボールをつくり、冷蔵庫を収めた。それから集荷を依頼したが、持ち主の住所である郵送先が分からないので、再度メールを問い合わせる。迅速に返信があったので助かった。無事集荷されひと段落。最後に、この余った大きなダンボールをどうするか。しかたがないのでいったん、自宅に持ち帰ることにした。そして持ち帰った。握力が筋肉痛になる。―ざっと列挙するとこんな具合だ。おそらく退屈か苦痛で最後まで読めなかったに違いない。効率が悪いとこれぐらいのことは平気で起こる。そうやって時間は奪われていくのだ。

・世田谷へ移動。たくさん移動するから、今は移動に慣れている。電車内では本を読むようになった。

2009/03/15

・ケールの仲間と明け方まで飲み明かす。と言っても、お酒を口にしたのは私だけであるが。ケールを中心に、たくさんのことを話した。話すのは楽しい。相手を知ることができるし、自分を伝えることができる。今年はよく話している気がする。話す相手は多くないが、量がとても増えている。きっと良いだろう。悪い効果はあるだろうか。少し水面下で考えてみよう。ぽい。

・翌日曜日は大家さんが来たのもあり、片づけを手伝った。大きな一軒家にタダ同然で住まわしてもらったのだから、これぐらいはして釣り合いが取れる。昼前に帰られたので、自分たちの作業も終了。途中、仲間の1人が合流したが、夜通し遊んでいたのだろう、言葉通り倒れこむように布団に寝られた。その布団が場所が狭い廊下の突き当たりに置いてあったから、袋小路に捨てられた子猫みたいで可愛いかった。

・住所が遠い仲間は夕方に帰り、もう1人残った仲間は寝ている。『あぺぽぺ』を考えれる時間がひさしぶりに取れたと思った。そして蓋を開けてみると、明らかにバランスが悪いプログラム/全体になっている。もう一度考えて、構築しなおさなければならない。何が作りたいのか、焦点がぼやけているし、時間を食いつぶしそうな広がりを見せていた。当然、コンパクトにすべきだ。それには、良いと思ったアイデアや作ったプログラムのいくつかを捨てなければならない。それはとてもしんどい作業だった。強調点、協調点が見出せない。途中、頭がケールや卑猥な妄想などに浮気しながら、それを強引に『あぺぽぺ』に引き戻す作業を繰り返し、4時間ぐらい考えてようやくひとつのアイデアを得た。仲間に頼ろう。

・このひとつの発想/転換を得てからは、簡単だった。とうとう完成の尻尾が見えた。ああ、まとまった、と思った。後は頼らせてくれるか。たぶん、その1時間前ぐらいに母親から電話があったのが良かったのではないか。頭が整理された。もちろん、また変わる可能性は十分にあるし、ずっとそうなっている。ただ、仲間を巻き込んだならば、それは形にしないと私を許さない。最初ではない。

・母親も療養をしていたみたいで、親近感と言うか、家族であるなあと思った。こういうときはしっかり休むべき、という意見で一致した(首脳会談風)。日記やケールのサイトも見ているみたいで嬉しかった。『ちいてん』の感想は仲間にも伝えておきます。元、だけどね。そうそう、いただいたバレンタインデー兼誕生日プレゼントですが、さつま汁のパックが今のところ一番おいしかったです。たしか、おいしいのを伝えて、と手紙に書かれていたので、ウェブページ越しに伝達してみます。清く正しい庶民のウェブ活用です。

2008/03/03

・仕事がきつい。脳にきている。量も多いし、複雑さもかなりある。私事でやっていたプログラミングの頭の使い方と同じ使い方を平日もしている。脳が筋肉痛になっている感じがする。つまり脳が運動不足であるのか。単に、自分には大変な仕事をやっているだけなのかもしれないが。

2008/03/07

・どうも疲れているのは頭だけではない気がした。となると、体であろうか。すべての反応が鈍くなる。

・疲れていると考えることを辛くさせる。しかし、放棄すると、そこでさらなる成長は止まってしまう。なぜなら、同じレベルでずっと疲れている状態になり、考えることが一切できなくなってしまうからだ。だから、たとえ疲れていても、考えるのをやめてはいけないのだと思う。

・またこの状態を抜け出すための方法のひとつは療養である。安静にしていると、体力を使わないから回復していくが、何もしないことで同時に心も回復していく。何もしないとは、すなわち考える時間がたっぷり取れることにつながり、それが心を回復させていくのだろう。そうすると、療養が必要になったということは、考える時間が足りていなかったとも言える。

・そんなことを確認しながら、家でゆっくりしていた。週末に自分のアパートへ帰るのは1ヶ月ぶりぐらいだ。この間、出力に偏り過ぎていたのかもしれない。2日程度の休息でだいぶと違ってくるような気がする。明日は出かけないといけないが…。

・体力が減っているのか、1日の活動量が減っているようだ。運動のための運動は嫌いで、避けてきたけれど、肉体も重要な資本だと考え直しました。極端な例だけど、毎日一時間運動をすることで、一日の活動時間が2時間増えるならお得だろう、ということ。

・ことことことこと。「こと」という言葉をなんども使いながら考えていきます。「こと」を使いすぎて嫌になったり、自然だからそのままにしようとしたり、繰り返しています。

2008/03/08

・友人から、最近のコメントが冴えていない、とのメッセージをいただく。疲れているところにこれだ。その通りだよ。それに彼曰く、そういうときに私は、自分のことばかり書いたり話したりするらしい。自覚症状の無いまま、人のところに日記を書いてしまった。理解不足もあり少し脚色しているが、だいたいはこんな内容だった。頭を使っていない証拠だろう。疲れている自覚はあったし、良いコミュニケーションができているとも思っていなかったが、それでも言われた瞬間は、何だこの野郎と30%ぐらいは思った。できるだけ正常に話したい気持ちもありはしたが、少し感情がはみでてしまった。もっとうまく制御したい。それでも彼は、そっけなく感じた返事もあったが、最後まできちんと指摘してくれたし、繰り返し説明してくれた。

・このような辛らつとも思えるコミュニケーションは、関係が悪化する可能性があるし、途中で放棄すればさらに気まずい。運が悪ければ絶交もありえる。だからと言って、親しい人間の言動に疑問を感じたときや、間違った道に進もうとしているように見えたとき、それを放っておくべきだろうか。そうではないはずだ。そしてそれをいとわない人間が本当の友人というものだ。もはや、絶滅種に近い、貴重な友人である。これは自慢だが私はそういう友達に恵まれている。もちろん手放すつもりも無い。

・回復にはもうしばらくは時間がかかるだろう。来週も仕事以外はあまり無理をしないでおこう。会社からの帰りは徒歩を使う。

2008/03/05

・人間Aに人間Bを紹介するのは人間Aへの最大限の信頼。

・頭が悪いなら、発想と時間の集中で対応しよう。他に何でカバーできる?

・あと脳の体力もつける。もっとたくさん作りたい。

2008/03/09

・展示が無事終わりました。来場してくださった方と、成功をお祈りしてくださった方々に感謝。隠せば良いことを書くと、結局、わたしの友人はあまり来てくれなくて、少し残念な気持ちもした。文章の調子は悪かったしいたし方ないところか。それに、身内だけで楽しむレベルで甘んじるつもりもない(今はそこにすら到達していないけどね!)。だいたい、自分は他人に期待しすぎるのだ。そう、メカニズムはこんな具合である。私は普段、人にあまり頼まない(いただけるときは遠慮なくもらう)。だから、たまに頼んだときは引き受けてほしい。そのたまにが、たとえば展示であったり、作品の発表だったりする。そこで100%に近い過剰な期待が発生する。この状態では、あまり人の都合を考えていない。大げさに書いたつもりだが、実際はこんなものかもしれない。お付き合いをしているときにも、このような手順で、機嫌を悪くしたことがあった。人に期待するのは決して悪いことじゃないと思うけど、思いやりとの調和を欠いてはならない。何度か繰り返し、再現を確認したから、たぶんいつか直せるだろう。

・カフェ展示のおもしろいところは、その狭さにある。展示場などと違って、順路のようなものはない。お客さんも同じ場所に居続けるから、会話量も立ち話程度ではなく、もっと長くなる。数時間と言うのも少なくなかった。だからアート的なインパクトも大事だが、物語や背景を存分に伝えるチャンスがある。じっくりと読ませる解説文もここでは役に立つ。もちろん、自ら解説することもできるし、お客さまの話を伺うこともできる。なかなか面白い体験だった。新しい作品ができたら、またやってみたいです。

2008/03/04

・しかし、同僚や先輩方のプログラミングは速い。2倍では効かない。これだけ速いなら小細工なしにハードコーディングしても、完成に持っていける。自分にはとても真似ができない。実際にはハードコーディングどころか、自分よりきれいだ。流れるようなコードです。しかも、ミスやデバッグが少ない上、省メモリや処理負荷の最適化も施してある。むむう。

2009/02/28

・展示が始まった。これを書いているのは3月3日で、思い出して書いています。次の日の夜までパソコンを触らなかった。普段息を吸うように触っているので、触っていないのを認識できる。禁断症状はないけれど、日常的ではないな、という感覚があります。道中、たいやき屋さんで買ったたいやきをほおばりながら、世田谷から徒歩で下北沢まで展示品を運んだ。さっそく展示のレイアウトを考えていると、いくつかの問題が生じた。まず、全部配置しても少しスペースがあまってさびしく映った。それから、展示品を設置するために必要なピンが足りなかった。また、作品を置くだけでは誰のどういう作品であるか分からなかった。紹介文のようなものがいるであろうということ。やはり実際にやってみて分かることは多いです。一番気になっていた、全体が閑散としてしまう問題は、フォトアルバムに入れておいた図鑑の写真を壁に貼り付けることで解消できた。展示作品にひとつひとつ対応した80枚の写真があったので、さながら動物園のような賑やかな雰囲気になった。こんな即興的なアイデアが浮かんでぴったり来るのも、ライブ感があって面白い。リクエストをいただいたので、展示が終わったら写真なども載せてみます。文章だけでは伝わりきらないであろう…。

・初日は一応、オープニングパーティとしてみたのだけど、残念ながら自分の友人は一人も来なかった。人間関係が無いのを嘆きつつ、普段怠っているのだから虫が良すぎる思いがした。だいたい、友人の多くも家族も地理的に遠い。まだまだ時間と距離の問題は解消されていないなと感じました。幸い、共同展示をしてくださった方の友人がいらしてくれてずっと居てくれたので、終始満員のカフェ『リトルベルゲン』でした。小さなカフェで、8人ぐらい中にいると、もう一杯です。通りがかりの人々は必ずと言って良いほど、中を覗くのですが、人が多いと判断するのか、作品が届かなかったのか、そのまま通り過ぎていきます。それが少し残念でした。もっと色んな方と話したかったです。と言っても、いらした友人の方と話し過ぎて、そうそうに体力がゼロになってしまいました。一生懸命会話をすると3時間ぐらいでばててしまう。今までそんなに会話をしてこなかったのか、それとも体力の低下に関係があるのだろうか。色々書き連ねましたが、ケールの作品『マンチキン』を楽しんでもらえたようで、それがすごく嬉しかったし、もうそれだけで満足でした。4年前に出展したデザインフェスタのときは、当事者意識が少し足りなかったかもしれない。あのときもとても楽しかったが、今はそれに加えて真剣だ。

2009/03/01

展示は3月8日まで。最終日は撤収もかねて自分も居ます。

・おや。年がひとつ増えてしまったようだ。そういえば、昨日一緒にリトルベルゲンでお祝いをしたのだったっけ。ケーキを買って、お客様と一緒に食べました。夜は元ケールの2人も遊びに来てくれて、プレゼントまでいただいた。ハッピーバースデーと書かれたケーキの帽子と、ムックの毛糸のパンツだよ。去年も下着であった。さて、この連続記録をどこまで伸ばせるか。実家を離れて、もう二度と誕生日を祝われることはないと自然に思っていたけれど、温かい仲間ができて祝ってくださる。最初は恥ずかしかったけど、今は楽しめています。申し訳ない気持ちは相変わらず。私自身が甲斐性もなければ、プレゼント選びも得意じゃない。だから、せめて、別のことで恩返ししようと思っているよ。それで許して貰えるだろうか。

・昨日はそのままリトルベルゲンに宿泊。マスター、ご迷惑をおかけいたしました。そのまま店の営業開始時間である夕方まで居座って、閉められたカフェの中で1人読書をした。これは幸せな時間だった。昨日とは好対照で空間を独り占めした。店のCDプレイヤーが壊れていたのか、鳴らなかったので、店の外を通る人々をBGMにした。この辺りを通る人は賑やかで老若男女さまざまな声が交じり合う。楽しそうな声が多いのが下北沢らしい。

・夕方、店がオープンし、マスターが到着。結局一度も使わなかった店の鍵をお返しし、夕食をいただく。お金を払うことをマスターは気になさっていたけれど、自分は好きな人やサービスにお金を払いたい。反対に言うと、そうではないものにはあまりお金を払いたくない。よって、どうか気にしないでいただければ嬉しい。もともとお金は価値を交換するためにある。ごく普通の考えであるけれど、少し説明がいるのが不思議だ。みんな一体何にお金を払っているのだろう。お金の行き先を想像しないのだろうか。

・常連のお客さんがいらして、作品を見ていただいた。お二人とも人生の大先輩で、若輩者の作品なぞ興味はないかもしれぬと思ったものの、丁寧に見てくださって嬉しかった。感想も書いていただけたようなので、展示が終わってからゆっくりと読ませていただきます。ありがとうございました(ここはたぶん見られないかと思いますが…)。ここに来る人は平和な人が多いよ、という話もしたけれど、本当にその通りだと思った。

・世田谷に戻って、パソコンに触れてみると、誕生日を祝うメッセージがたくさん届いていた。まったく予想していなかったのですごく嬉しい。こんなに嬉しいことだらけで良いのだろうか。少しいただきすぎている気がする。このブログが少しでもお返しになると良いけれど…。アメリカのカリフォルニア、トルコのアンタルヤ、日本の名古屋、そして広島。遠いからこそ、有難さと嬉しさが届くのです。

2009/02/27

・1日に2日か3日過ぎているかのようだ。自分の主な役割が2つ以上あるのだから、そりゃあ倍にもなります。いいかい、地に足をつけるのを忘れないように―この1文の調子は、世田谷に向かう電車の中で読んでいる『ビジネスマン、生涯の過し方』から。当ブログを通じて知り合えた方に薦めていただきました。啓蒙書の類は何冊か読んで、もう違う書物は読む必要がないかと思っていたけれど、この本はとても新鮮です。それはビジネスマンの日常についてだけではなく、題名どおりの、ビジネスと生活をバランスよく含んだ内容になっているからです。ひとつ挙げれば、母なる自然から学んだ多くのことについて、静かな調子で語っている。私は偏った生活をしがちで、生きる力が低下しているように感じていたし、同書を読んで、さらに警告を受けたような気持ちになりました。週末を世田谷で過すのは、たとえば3ヶ月前よりはバランスの良い生活だけど、もう1ヶ月ほどで終わるかもしれない。そうしたときに、制作一辺倒の生活にならないように。生きるとはどういうことか。それを考えながら生きるのだろうか。

・明日は『ケールとはしもとかな?展』の初日です。前日だと言うのに仲間が集合しそうも無い…と思っていたら、零時を過ぎたぐらいにしっかり集まってきた。よいよい。前日の高揚というのは良いものです。あれ、私いがい誰も気負っていない。おかしいな。みんなすごいな。確かに準備はだいたいできているけれど。

2009/02/26

・休息をとって明日に備えるべきところではあるが、『あぺぽぺ』が気になってしょうがない。ついプロジェクトを開いてしまった。来週以降で、仕事がそこそこ落ち着いてから本格的に再開したいが、どこから作り始めようか考えるのも楽しい。これだけは作りたいし、他にもまた作ってみたいゲームのアイデアが浮かんできて、かなりの待ち行列を形成している。これらをすべて落とし込めるだろうか。時間を想像せよ。創造せよ。

・わたしの作品や表現がどれだけ受け入れられるか、あるいは興味を持ってもらえるかは、表現そのものが持つ魅力と私への期待や信頼の合計になるだろう。私そのものへの魅力と置き換えても良い。本当に価値があれば、見てもらえる。そのような気持ちになるものだ。

・依然、まともな夢を見ないどころか、ひどい夢ばかり見ている。知人が突然結婚してまた1人減っていく様子を過剰に演出したものや、昔のコンプレックスをぶりかえしてかき乱そうとするものなどだ。まるで過去が底なし沼で、現在の私を引きずり込もうとしているかのようだ。もしかすると、良い夢も見ているが、これらの夢が強烈過ぎてかき消されるのかもしれない。悪夢から覚めたとて、隣で寝ている人もいない。ただ、考えられることとして、日常の満足とバランスをとっているのだとしたらなかなか優秀だと思います。そうなると、日常が厳しいものに、希望も幸せも感じられなくなったとき、たとえ一時でも夢が救済をしてくれるのだろうか。

・金曜日になるのが早い。

・不況ってへたれ人間を増量するのだろうか。私などはへたれのもっともたる人間だと思っていたけど、その私からして、おいお前大丈夫か?それで生きて行けるのか?甘えすぎちゃいないか?と心配になる人が目につく。自分自身について、たくましくなったつもりはありません。

・太宰さんや芥川さんの時代も同じような空気が蔓延していたのかもしれない。