2010/12/14

・アルバイトを始めてから、生活が安定しだした。短期の期間が終わってからもこの安定を残せるだろうか。安定の良い部分だけを残し、悪い部分を捨てられるだろうか。

・もともと、短い節で区切ってノートのカテゴリにしたり、集めて日記にしたりしていたが、ツイッターである程度同じことができるようになった。同じ風に使えるが、どちらかが極端に優れているというわけではない。どのように使い分けようかと考えた。その結果、より個人的な、伝わる範囲の狭い(身内向け、という意味ではない)、静かな内容をこちらには書こうと思っている。

・文章を書いているとき、状況が2つあると思った。ひとつは考えながら書いているときだ。この状況では、頭の中に浮かんだことや思ったことをできるだけ素直に、正しく取り出そうとして書く。音楽で言うと即興の演奏だ。もうひとつは、分かったことや体験を書くときだ。この状況では、どういう風に伝えたら良いだろうかと構造など考えながら書く。音楽で言うと楽譜の演奏する。そして、気づいたのは、僕には頭に思ったことをそのまま頭の中で組み立てて書けない。つまり2段階を踏まないと書けない。書きたい気持ちが溢れているのに、うまく書けないときは、たいていこのような状態にあるのだと分かった。面倒でも悔しくても、2段階で書くべきなのだろう、と思った。そうしてみることで、何かまた発見があって、直接書けるようになるかもしれない。ゲームの企画を考えるときにも、同じようなことが言えるのではないかと思っている。結局、プログラミングと似た書き方になる。

2010/12/06

・公園での仕事ですが、ほかの仕事もあればやってみたいと伝えていたところ、昨日から事務所での仕事に変わりました。公園は正味1週間の勤務。自然も見れて健康にも良かったので残念な気持ちもあるけれど、足の裏にマメもできたし、寒くなってきたし、ちょうど良いころあいかな。。。

・週4で1ヶ月勤務の募集だったのですが、週5で2ヶ月の勤務になりそう。もちろん、お給料は増えるけど、構想が固まってきているので、今のうちに作ってみたい気持ちもある。幸い残業などはないので、帰ってきてから少しずつ充てるようにしたいです。慣れてきたら多分できる。この場所が気に入ったので、ここで制作中心の生活を少しでも長く続けようという気持ちに今はなっています。

・朝の8時半に起きて17時まで働いています。これは、なんと健康的な生活/習慣だろうか、と思います。せっかくなので、短期アルバイトの間にしっかり習慣にしておきたい。いまの家は、朝はカーテンを閉めていても陽光が感じれるくらい日差しが強いので、朝目覚めやすいです。すなわち、こたつから出やすい。良いデザインの家だと思います。真夜中も静かで良い環境なのですが…。

・とても簡単で小さなゲームですが、コンセプトができました。ちょうど時間のある友人とスカイプでミーティングもして、伝わりやすいのを確認した。『あぺぽぺ』よりは作れると思う。手ごろなサイズ、というのは、私みたいな気力のコントロールが下手な人間には重要なんだと思う。

・次は、コンセプト通りのゲームを作るために必要な要素を列挙しています。ブレインストーミングやマインドマップといった手法です。まず、世界観、物語、人物、システム、といったゲームを構成する要素を挙げます。それから、これらの要素1つ1つについて、さらに要素を挙げます。たとえば、世界観を古き良きRPGにしたとします。ここからさらに「古き良きRPGの世界観とは?」と自分に問いかけます。剣があります。魔法があります。王様がいます。こんな風に思いつく限り挙げていきます。世界観のグループについて要素を挙げたら、物語や人物についても同様に考えます。

・ひととおり挙げ終わったら(つまりブレインストーミングやマインドマップが終わったら)、それらの要素をひとつずつ、コンセプトを満たすかどうかを見ていき、選別します。構造を確認しながら構成していきます。要素同士を組み合わせてみながら、コンセプトを強力に実現するものを探します。いま思っているポイントは、単体で見ると良さそうだけど組み合わて光らないものは捨て、単体で光ってなくても組みあわせて光るものを残すことです。ゲーム的だと思いませんか。これらは、制作実装に比べて、少しずつでもできる仕事なので、アルバイトをしながら時間を見つけて行うつもりです。とにかく丹念に組み合わせてみようと思っています。

2010/11/30

・新しい住所での生活も、もうすぐで2ヶ月になります。最初の1ヶ月はだいぶバタバタとしたいたけれど、だいぶ落ち着いてきました。友人向けの小さなツールアプリの制作などもしています(あとは見た目だけ整えれればおしまい)。長期の制作をたくさん抱えると、まだ自分はうまくさばけないようなので、これ以上は増やさず、小さなツールや作品を作りながら、大きなものも作れるようにしていきたいです。

・デザインを上手くできないことが分かって、興味がわいてきました。原則を学んだり、小さな道具や作品の制作したりしています。一見相反する要求を両方満たすことを考えるのは楽しいです。

・まず、どういうことを実現したいのかを考えて、それを一言で表現することを考える。これがコンセプトです。道具の場合は、機能の集まりがコンセプトになるし、娯楽だと楽しませたいことが、芸術作品だと表現したいことがコンセプトになります。今はこれを一番大事にして、たっぷりと時間をかけてコンセプトを作ってみています。たとえばゲームだと、剣と魔法のファンタジーという世界観は同一でも、かわいい動物の勇者のキャラクターを楽しませるコンセプトや、幻想的な世界の旅をとことん楽しませるコンセプトといった風に色々と考えられます。コンセプトは柱であって、以降のすべての作業や素材に反映すべきものです。つまり、コンセプトしだいでまったく別のものになりそうなのが想像できて楽しいのです。

・基本的に制作以外の仕事はしないつもりでいたのですが、興味が持てる短期の仕事があったので、1ヶ月ぐらいですが働くことになりました(年末年始は休み)。公園の改善に関する調査をする仕事で、一昨日から近所の公園でアンケートをとっています。緑が美しくて、運動にもなるし、会話もできるしで、気分転換できます。基本的に部屋でパソコン作業なので、こういう仕事はありがたいです。ただ、来月から群馬は寒い風が吹くそうなので、外は寒そうです(戦々恐々)。

・公園こそデザインが必要なのだと、少しだけ働いてみて思いました。毎日ウォーキングする人、休日に赤ん坊を連れてくる家族、紅葉の写真を撮りに来る人、つらいことがあって癒されに来る人…さまざまな人がさまざまな目的でやってくる。これらの要望にできるだけ多く応えるには、デザインが不可欠なのです。一方向の要望だけ採用すれば良いのなら、デザインは大して要りません。コストを考えるぐらいで良いからです。

・せっかく公園で働いているので、樹木や草花の観賞も楽しみたいと欲が出てきました。両親に電話して聞いてみるか…。

2010/11/17

・しばらく日記を書いていなかったと思う。だからいまから書くのは、日記ではなく、前回日記を書いてから今日までの記録になる。日記とは1日単位で書く記録ともいえる。それは寝る―記録がある程度処理されて整理される―前に、記録を残す意味もあるだろう。晩御飯に何を食べたか、などというのは、たいていの人がすぐに忘れてしまうものだから。では、しばらくぶりに書く記録というのは、そういった忘れる処理を得て、なお残っているもの書く。書く瞬間の思い出す処理によって呼び出されるものを書く。そんな行動だろうか。

・日記を書いていなかった間、インターネットも使えなかったので、主にデスクトップ上で記録を残している。ただ、こういう風に考えや感じを書くのではなくて、行動を主に残している。そういう習慣をつけることで、少しずつものごとを進めて行きたいと思ったからだ。実際、少しずつものごとは進んでいる。一方で、そうやって記録できないような行動、つまり(おもむろに辞書をとり、成果を調べ、次に結果を調べ)結果はあるが成果としては数えにくいものもあって、それもまた大事な行動だと思っている。

・紙の辞書を使って言葉を調べるようになったのも、インターネットを使わない間に復活した習慣です。インターネットでも言葉は調べられるけど、紙の辞書を使うほうがより言葉を大事に扱える気がします。インターネットだと、ぱっと調べてぱっと閉じるという風に、どうしてもがさつに扱ってしまう。もちろん、インターネットが悪いわけではなく、僕の道具の使い方にあるのだと思う。

・ほかには、詩に興味が出てきたのも、この一ヶ月弱の間にあった変化だと思います。僕のことなので、おそらく、ゲーム表現について考えた成果のひとつだと思います。中でも、『たいようのおなら』という児童たちの詩集がとても良くて、10日ぐらい、毎日読んでいます。とにかく発想が抜群です。言葉の選び方や組み合わせがすごいのではなくて、太陽やお父さんやお母さんという、ありふれたテーマでここまで深いものが書けるのか、見立てるのか、という驚きがあります。たぶんこういう方向では詩人も子供には適わなくて、それで言葉の選び方や音の並び方をがんばるのだと思います。そういう詩集も、もっと読んでみたいと思います。僕はもう子供ではありません。

・紙の辞書も、詩も、言葉についてもっと知りたい、磨きたい、そういう考えがベースだと思います。たとえば、今日の記録では自分を「僕」と書いていますが、ここしばらくは「私」と書いていました。それも言葉に敏感になった結果、僕を選びとったのです。曖昧な記録や洗練していない内省には僕という言葉が似合う。僕の成果が私といえます。aimquestは僕のためのもので、私のためのものではない。

・途中から、僕、私、成果、結果という言葉を使って書いてみました。僕が良いと思う文章には必ずといってよいほど、心にひっかかる言葉がひとつはあります。叶恭子『知のジュエリー12ヶ月』だと、それは検討という言葉です。読んで以降、検討という言葉を使うたびに、彼女が真剣に何かを比べて選んでいるイメージが浮かんできます。

2010/10/06

・将棋で言えば、長考に入るべきタイミングじゃないか、と思った。設計が長考で、普段ノータイム、もしくはわずかに考えて指すのが、実装という作業なのではないだろうか。

・おそらくソフトウェア工学と呼ばれるものについて四苦八苦しているのだと思う。なんとなく仕事をやってきたつけだが、いま自分でなんとかしようとしている。

・物語を体感/分析するために、『ルドルフとイッパイアッテナ』の書き写しを1日に1章ずつやっていて、90%以上すんだ。本文が8万字になって、感想や気づきのメモが2万字とちょっとぐらいにたまってきた。作業を明確にし、適当な大きさに分割できると、毎日こつこつと、淡々と、粛々とできるのだと分かった。こうやって適切な大きさに切られた作業を何と呼んだらいいだろうか。ひとまずこれを、すこし堅苦しい言葉だけど、実装と呼ぶことにする。一方で、作業を明確にする作業と、適当な大きさに分割する作業みたいなのがあって、設計だとかデザインだとか呼ばれるのだと思った。設計とデザインの2つの言葉を、はっきりと使い分けられないので、いずれはっきりさせたいが、今日のところはごっちゃに扱う。

・それで、いま、私が設計だとかデザインだとか呼んでいる作業は、私にはまだうまくできない。それっぽい情報やアイデアをかき集めてみても、その瞬間は喜び勇むんだけど、しばらくして、あるいは検討してみると、ほころびが見えてきて、意欲や期待が急速に失われてしまう。そうなってくると、無理やり実装に舵を切ってみても、うまくいかない。これを何度か体験した。何かできるだろう、ぐらいの期待値では手が止まってしまう。手が動かない人間なのだといってしまえばそれまでだ。

・こうなってしまったときに、2つの方法を思いついて、ひとつは手をどうにかして動かしてしまう方法だ。これを試してみたけれど、心に何かがひっかかったまま、それをだましだまし抑えこみながら進めていくので、気分が良くない。仕事としてみても、あまりよろしい方法ではないだろう。これは失敗だった。仮に、やってみたら案外うまくいった/楽しくなってきた/期待値が上がってきた、そういう風に変化すれば、これでうまくいく。この判断を早めにできればいい。

・手を動かしてみて、あるいは手を動かしてもだめだろうと直感的に思ったとき、もう1つの方法がある。設計やデザインをもっと粘り強く行うというやり方だ。これは、環境にもよるだろうが、自然と身についている場合と、遠ざけている場合とがある。特に、実装込みの仕事では、締め切りもあって、つい見切り発車してしまう。時間のプレッシャーや何もできていないというプレッシャーはきつい。私はこれらがあまり得意ではない。でも、考えることや試行錯誤それ自体は好きなので、いまの機会を利用して、うまく取り入れられるんじゃないかと思っている。

・実装は何かしらの成果がでる。設計は何かしらの成果がでるとは限らない。設計に取り組んでみて、気が散ってしまっている自分に気がついた。設計は実装と違って、精神を落ち着けて、じっくりと取り組んでみないと、うまく行かない。ついネットを見てしまったり、遊んでしまったりするが、実装はそれでよくても、設計は(少なくても慣れるまでは)それでは良くない気がした。まとまった時間、集中する必要がある。

・明日引っ越すのだけれど、せっかくの切り替えのタイミングなので、すこしネットを切断したままにしてみようと思いついた。設計に取り組んで、適切な作業の単位をつくれたら、ネットを復旧させようと思う。もちろん、ネットがないことで設計するのにどうしても困るとなったら、それでも復旧させるつもりだれど。

2010/09/29

・引越しの手続きが半分ぐらい終わった。荷造りもそろそろ開始しないと間に合わないので開始する。

・分かりやすくしなければならない。私が何をしたいのか、周りからは、雲みたいにぼんやりとしているのだと思う。 制作なら制作品を使って示すのが一番だとは思うけど、プロジェクトを立ち上げようとなったときに完成品を見せるわけには行かないので、別の方法が必要になってくる。

・さらには、自分がまだ何ができるか、何をしたいのかが、よく分かっていないのだと思う。初心者がオリジナルを過剰に追求しすぎた時に陥る状態だ。それで近頃は、芸術と呼ばれる分野で表現をする人に会うたびに、どういう風にものを作っているんだ、みたいなことを聞くことが多い。衝動で作る人と、考えに考えて作る人の2通りがいて、衝動で作る人に質問すると、大抵は考えすぎだよとたしなめられる。

・とはいえ、私は考えに考えて作るタイプなので、考えないわけにはいかない。とはいえ、私が考えていることをすべて人に話そうとすると、膨大だし、迷惑だし、どちらにせよ分かってもらえない。そもそも上手く説明ができない。とはいえ、自分の考えを分からないなりに説明することで、分かってくることもあるので、申し訳ないと思いつつ話を聞いてもらっている。とはいえ、そろそろ成果がほしい。とはいえ、考えがまとまっていないのに作ってもあぺぽぺみたいに破綻(現状は)してしまう。とはいえ、自分が好きなものを探って明らかにすることで、絞れてきて、まとまってくるのではないかと期待して、そうしている。とはいえ、時間がかかるのでやっぱり焦るのだけど、折り合いをつけながらやっている。とはいえ。

・上記のように、次から次へと、考えに考えつつも、思い詰めつつも、くよくよしたりへこたれたりあせったりしないように、注意しようとしている。ふと、ずっとそれらが不可分であったことに気がついた。時間をたっぷりとって考えることで、ネガティブな要因まで考えてしまい、そちらの道にはまり込んでしまう。そこで苦しみの風船みたいなものがふくらみはじめ、身近な人間関係をマイナスに考えたり、それこそネットやテレビのニュースだったり、あらゆるマイナスのできごとを取り込んで大きくなる。なんとかしてその風船をしぼませていると、時間がかかっている。またリセットされた状態で考え始める。こんなことを繰り返していた。要するに、考えすぎというよりは、考えが足りない、うまく考えられていないといった方が正しい。時間をいたずらに消費していた。考えるべきことを囲い込み、考えなくてよいことを追い出すような頭の動きができたら良いと思う。そうやって気をつけて、納得が行くまで考え、形をみつけ、成果が出ればいい。

・こんな調子なので、道のりは長いと思われるが、たっぷり考えるということの、大き目の不具合は少しずつ解消されてきているように思う。

2010/09/05

・日記にすべき内容がたまっていました。群馬に物件を見に行ったり、両親が神奈川に遊びに来ていたりしました。

・時間がある状態(自由)を、慣れさせなければならない。以前の時間の流れと違うところがあって、それにとまどって時間を潰してしまうことがある。ネットやテレビのような常に新しい情報を見せてくれるようなものを求めてしまう。

・たくさんの候補の中から決めること、絞ることが難しいのだと思う。特に、外からの圧力に頼らずに決めること、すなわち自分の責任で決めるというのは大変な力がいります。苦しいから知らず知らずのうちに避けている。でもこれは実践してものにする価値がある。さっそくいくつか決めた。必要以上にネットを見ない。それから、同じことを何度も悩まないようにする(ただし、あぺぽぺをのぞく)。特に、一度作ると決めたら、それを作るまでやめない。一ヶ月なら、一ヶ月それをがんばる。とりあえず粘ってみる。それがたとえ自分ひとりの制作でも。欲張り過ぎないように、一度にたくさん考えすぎないようにする。それが身の丈にあっている。丈を伸ばすにしても、竹の子ではもはやない。少しずつしかできない。たぶんすぐにはできないだろうから、それを可能にするための方法を探ること。

・やる気のようなものがすぐにリセットされてしまうのを何とかしたい。せめて、やる気がマイナスに落ちないように、できれば、ダウン幅をゼロの少し上のあたりぐらいでせき止めるような、そのくらいの落ち込みですむような、やり方はないだろうか。あるいは、いつでもそれを唱えることで、ゼロの少し上ぐらいまで戻ってこれるような方法。

・とにかく、何かを作って、それを人に見せないことには、何も始まらないし、いたずらに心配させるだけなのだ。作らなければならない。それしかない。それしかないと、言い聞かせること。それは動機には十分だ。もっと自分の環境を安定させないといけない。

・社会の平均的な行動なら、世間様が何度も言い聞かせてくれるから、耳を傾けるだけで(たびたびそれは面白くないことだけど)暗示がかかる。私にとってひとりでの制作が簡単に上手くいかないことは痛いほど暗示された。もはや暗くもなんともない。明示だ。今の自分の立場はそうではない。作って見せること、それしかないのだから、それについてはもう悩まない。両親と話していて、そういうことなんだと思った。受けるターンはもう終わりにしよう。今度こそ、私は集中する。

・両親の存在はありがたいし、まだまだ自分には必要だと思った。まったく別の価値観(古い価値観だったり、対立の価値観だったり、素朴な価値観だったりする)をシンプルに何度もぶつけてくれる。軽口も容赦が無い。言われたときはむっとして反発するし、よく考えてみても間違っている意見もあるけれど、しばらく経ったあとですごく冷静に今の問題を考えることができる。もやもやしていたり、浮かれていたりする頭の湿度や温度を下げてくれる。すぐに想像がつくけれど、この役割ができる人はそんなに多くない。

・不自由さが飛躍させる。ただしそれは時間的な不自由さであってはならない。

・ゲームという言葉とプログラミングという言葉を日本語で表現できないだろうか。そこから始まる気がするし、ドメインにもなる。

・ゲームという言葉や概念は、最大の関心事ではないのかもしれない。

・あまり精神的に追い詰めると病んでしまうかも知れない。しかし、あまり楽をさせても、時間が過ぎて成果がでないので、やはり病んでしまうかもしれない。それなら。

・みんなそう思っているのかもしれないけど、私の頭もぐちゃぐちゃとしている。

2010/08/19

・良い面も悪い面もあると思うけど、今の生活/日常にたいして肩の力が抜けてきたように思う。ある程度の習慣や計画は意識しつつ、その日の直感ですべきことを選択している。

・私に必要なのは、実行力や集中力、基礎力あたりだが(ほとんど全部のような気がするが)、それらをどうやって学ぶか、みたいなのが見つかってきた。勉強すべき項目の確定。おそらくそれらを学ぶことでさらに先や別が見えてくるのだとは思うけれど…。

・基礎力は、例えばキーボード入力の速度についてもう一度見直して、タッチタイピングを見直しています。前の職場でも一番遅かったし、手が疲れるのも早かった。それはキーボードを見ている回数が多かったのが原因だと思う。どうも適当に入力して、ホームポジションを見失ったらキーボードを見ているようだ。できるだけ見ないようにして、指とキーの関係が間違っているところがあったので、修正しているところです。慣れてきたら速度と集中が上がって疲れなくなるのを期待しています。ただ、指が短いので7のキーだけが打ちにくいようです。

・もう一つ、基礎として論理学を学んでいます。頭の混乱が少しでも減ったり、組み立てたゲームシステムや物語の間違いを早期に発見できるようになれば、と思っています。論理学は今まで何度か挑戦したけど、答えを見るように本を読んでばかりだったので、手を動かして実践するのを大事にしたいと思っています。こういう風に取り組めるのも今だけかもしれない。キーボード入力の練習もそうだけど、よゆうを作り出せる人間ならば、働きながら実践したり、時間を取れたりできるのかもしれない。できるのならそうしたほうが人生は楽になると思う。

・それから、基礎と言えば、感性や感覚といった部分です。サラリーマン時代はあまりゲームを遊ばなかった(きちんと遊んでいた先輩をいまさらすごいと思った)。本、映画、芸術もそうですが、全体的に作品に触れることが少なかった。それから私は、なんでも受け入れるところがあるので、作品をするどく見て、良し悪し、美しいとか醜いとか、あまり問題にしていなかった。心の底では評価しているのかもしれないし、そうであってほしいと思うけど。もしそうでなければほとんど蓄積がないことになってしまう。それはとても怖い現実だ。鑑賞に限った話ではなく、優しさみたいなのがあるのだと思う。優しさではきっと磨けないものがある。ただし、優しさは長所でもあるし、私の個性のひとつだと思うので、バランスをとっていけたらと思っています。

・こんなことを書いたり、行ったりしていると学生に戻ったような気分です。表現という成果から目を背けないようにしないといけません…。

・日記だと30分で1000字ぐらい納得いくものを書ける。それを物語でできたらどんなに良いことか!

2010/08/12

・コンセンサスという言葉は見聞きはしていたものの、実際に使ったのは昨日が初めてでした。たぶんそれまで、コミュニケーションを楽しむために使ったり、何かを求めたりするのに使っていたけれど、保存されていなくて、決定を次回に反映させることをあまりしてこなかった。例えば、5時間話しあって結果を出しても、次に集まった時にその内容がほとんど失われている。こんな感じで、私にとってコミュニケーションは独立していたのだろう。コンセンサスというのは、いま話したことを今後のベースにしていきましょうね、という決定であり念押しみたいなものだと思いました。少し成長できたかもしれない。

・私には女々しいところがあって、ほっとかれ過ぎると、不安だったり寂しさだったりが発生する。別に毎日I LOVE YOUと言って欲しいわけではないのだけれど、異性に限らず、ある人間についてその人との交流が私が期待しているものよりとても少なかったら、私の精神は安定しなくなる。例えば、両親と1、2年話さなかったら、不安になるだろうか(ちなみに両親とは、十分に話せているから大丈夫です)。遠方の友達であっても2,3年何も連絡がないと寂しいと感じるだろう。最近は自分から連絡することも覚えつつあります。自分で相手を選べるのが良いです。反対に、連絡をもらったときの、その人が自分に関心を持ってくれているという安心感は得られないけれど。

・言葉でうまく説明できないけど、感情、勘やプライドなどの理由でどうしても譲れないことがある。それを相手に言葉だったり論理だったりで説明を求められることがある。それらは、しばしば、さもないとお前は間違っているから改めろ、みたいな調子で迫ってくる。こうした時にどうしたら良いだろう。説明はできないけど、譲れないんだ、としか言いようがなかった。私はどちらかというと迫ることが多かったので、反対の立場になってみて、かつてそうやって迫った人に対して申し訳なく思う。一方で、迫る側にはそれが明らかに間違って見えているし、それを正したらどんなに良いことかと思っている。こんな状況はこれからもたびたび訪れるだろう。私はどのようにふるまったらよいだろうか。

・論理は万能ではない。少なくても論理が弱い人間にとってはあまり役に立たない。例えば文句の言い合いをしているときに、論理で説明したところで、相手が受け取るのは論理ではなく、その言葉や語調に込められた感情だったり強さだったりするのがほとんどだ。

・また、私は臆病なので、言いたいことを言えないことが多々ある。特に、論理的な説明を求められる場で十分な説明ができないときは、つい発言を控えてしまう。何か物を作るときにそれは大きな失敗を育ててしまうことが多々あって、人に迷惑をかける。最初の会社は特に体育会系だったし、そこで反射的に控える癖がついたのかもしれない。それをためてどこかでまとめて出す、みたいなことをよくしてしまう。いまはそれでは困る場合が多いので、一枚一枚皮をはがすように、思ったことを言えるようにしているところです。たとえ根拠が十分に論理的でなくても、私情やプライドや勘であっても、言えるようになれれば良いなと思っています。

・身体、精神、技術、知識…知りうる限りのあらゆる側面から、ひとりで作品をつくるための向上を施していくこと。

2010/08/04

・良い会話があった時は日記を書きたくなります。

・良い会話とは何だろうか。少なくても私にとっての良いについて。すぐに浮かぶのは、心地よさだったり、嬉しさだったり、楽しさだったり、豊かさだったりする。この中で少し前までは、心地よさという項目は入っていなかった。これと同じ意味ですが、ゲームに心地よさは求めていなかった。私にとって、会話に求めるものとゲームに求めるものはほとんど同じです。つまり、今まであまり気にしていなかった心地よさを会話にも作ろうとするゲームにも導入しようとしている。たぶん、潜在的には心地よさをまったく気にしていないことはないはずだけど、意識をあまりしていなかったので表現には苦労しそうです。これは見た目やゲームで言う演出に関心があまりなかったのと同じです。苦労するだろうな、と思う。受け手のことを考えていかないと、作ってもあまり意味がないのでは、と思うようになっています。

・良い会話の話から少しずれてしまった。再挑戦。楽しいと思った会話の共通点を探してみると、あまりタブーのない人と、ちょうどお互いが理解できるぎりぎりの調節をして、色々な話題を横断しながら、思ったことをそのまま言葉にできるとき、会話がすごく楽しいと感じることが多いです。話す内容は、心もち知識よりも思考を多めなのが好み。それで、会話によって、人間とか世界の真理みたいなのが感じられたら最高です。それに加え、これは少し贅沢な要望だけれど、ある程度の年齢に達した人間には、その人間のストーリーやスタイルみたいなのを持っていて欲しいと思う。ここでいうストーリーというのは、ただ思い出や武勇伝の筋を語るだけでなくて、そこに意思や観念が含まれているようなもの。筋のあるなしはあまり関係がないかもしれない。ストーリーを感じた方を、大人っぽいと思います。そうやって生きてこられたのだなあ、としみじみ感じ入る。

・作業を地道に続けていくこと、手を動かし続けることは大事だと思うけれど、会話も同じくらいに大事だと思う。関心が会話と作ることにほとんど集まっている。あとは、深く掘り下げた趣味がひとつあればいいのかもしれないが、今のところ無趣味です。制作に関連のあることばかりに興味が向いてしまいます。生きている中心とは(一見)関係がないところで夢中になれるものが趣味ではないでしょうか。

2010/07/30

・今月は人と直接会って話す機会がなかったので、月末にそういう機会を得られてとても楽しく過しています。

・友人との会話の際に、ここの文章が良くなっているとほめてもらって、嬉しい気持ちになった。共通の知人の文章を天才だと評しながら、私の文章については天才という言葉を一度たりとも使わなかった。とても真摯な評価だと思いました。まだ、もうちょっと上手に書けるような気がしています。今後も読んでくれたらありがたいです。

・30歳ぐらいになると、自らの今後について、想像や想定をよくするようになった。たぶんそれは、少しずつ身が固まっていくのを感じているからだろう。友人と両親には恵まれていると思うけれど、ぜいたくを言うと、中心となる人がいれば最高だ。端的に言うと恋人だけど、別に恋は必ずしも必要ではなくて、できるだけ近くにいて、干渉を許しあえる、お互いの人生の拠り所の最上位にいるような関係をつくれる人がいたらいいなと思う。そのためにも、自分がどういうものを大事にして、どういうものは拘らなくても平気というのを、きちんと知って伝えられるようになりたいです。(老若男女問わず)素敵な人との会話はそれらを知るのにとても役に立つ。

・とは言え、会話は純粋に楽しい。私にとって、話していて楽しいのはすごく重要なのだとよく分かった。豊かな気持ちになれたり、新しい考えが浮かんだりするのが幸せだ。会話を楽しむために、特別な状況を必要としないならより素晴らしい。

・生きていると、自分では選べない運の悪いできごとが起こることがある。そんな出来事によって大きなダメージを受けることは、未来に大きな影響を持つ。完治できない傷もあるだろうし、そこそこに回復させるのだってとても時間がかかる。それでも、それを言い訳にせず、時には人に迷惑をかけたりしながらでも強く立ち直っていく人を、美しいと思う。年齢を重ねれば重ねるほど魅力的になっていく人。

2010/07/21

・暑中お見舞いのはがきが届きました。ありがとうございます。先週すでに届いていたのに気がつかなくて申し訳なかったです。てがみは読むのが遅れても色あせないのが良いですね。

・すべきことを見つけて、するのが基本なのだと思う。継続させるのが大事。すべきことはたくさんあって、かかる時間や期待は大小さまざまです。無数にあるそれらのすべきことは、点であったり、線として繋がったり、立体として構築されたりする。点よりは線の方が、線よりは立体のほうが、より満足できそうです。ただし、立体を構築しているひとつひとつの頂点は点としても独立している方が望ましい。全てを作らないとバランスが取れない立体は時間がかかりすぎるし、失敗の可能性が高い。まだ、自分が何を作れるのか、よく分かっていないのだから。点をなしているうちに線や立体が自然とイメージできるのが良いと思う。設計図を自分で作ったり想像してみたりすること。

・すべきことがたくさんあって、時間が追いつかないようになり、そして考える。どれから先にやったら良いのか、あるいはどれをやらないでおいたら良いのか。それは正直に判断できたら良いと思う。それに加えて、今はまだ完成させる能力が足りないから、できるだけ簡単なものを選ぶ。簡単なものを作り最後まで磨き上げて出しなさい。

・今からまったく新しいものを始めるのも良いけど、年齢や経済などの環境を考えると、自分の能力を活用するのが正しいと思う。今のところやはりプログラミングなのだと思う。それから、ある種の人にとっての人当たりの良さとバランス感覚。隣に行きたかったらこれらを活用して少しずつ移動すれば良い。カニさんやヤドカリさんみたいにです。

・あぺぽぺができて悔しいのはあるけど、生きる力になっていると思う。だからといって、完成させたら生きる気力がなくなりそうだからあえて苦戦している、みたいなのは全く無いと思います。

・私が今の時間を利用して勉強したいと思うものがはっきりして良かった。それは筋(ストーリー)と型(モデル)をたくさん作れるようになることです。

2010/07/14

・人にお金を払って何かを作ってもらうことを何度かしてみて、どういう風に話したり指示を出したりしたら良いかが少しずつ分かってきた。

・先月と今月の支出を見ると、家賃が70%ぐらいを占めている。安いところに引っ越せばかなり出て行くお金を減らせるだろう。

・今の生活に慣れてきて思うのは、今の毎日がとても充実して実り多いものになるだろう、ということ。まだまだコントロールできていないところもあるが、自分の責任で自分の追及したいものを追及できるというのは非常に楽しい。支出を抑えるために、外出や消費に制限はつくけど、それらのマイナスを補ってあまりある喜びがある。もし、お金さえ続けばずっとこういう日常を過せたらと思う。少ない時間働いて少ない収入を得て、その収入で生活しながら、今のスタイルを続けていくのも良いかもしれない。養う家族がいなければ可能なスタイルだ。そして、そのスタイルを私は選べるし、今の感触を持ち続ければ選ぶだろう。もちろん、そうなる前に利益を上げたいところだけれど。正面から利益について取り組むのも好きなようだ。

・振り返っても仕方のないことかもしれないけれど、あと3、4年早く今のスタイルを獲得していれば、と思う。そうするとちょうど30歳になったぐらいに、何かしらの成果が出ていたはずだ。30歳という年齢に対して、世間は成果や実績を見る。それをしっかりと感じられたのも、今の位置に立ってみてこそなのだが。もっとも、技術も展望も足りなかったから、あまり後悔はない。ただ、そうできていたらより順調であっただろうと思うだけだ。

・ipod touchの新作が出るかもしれないとのこと。そうだとすればありがたい。apple系はこれで間に合わせる。

2010/07/06

・昨晩は今週の日誌をいくらでも書けそうな気がしていたのに、今はあまり書けそうにない。1日経って体験や思ったことがリセットされてしまったのだろうか。それでも何かしら浮かんでくることもあるし、主だったものはそのうち思い出せるだろう。

・リセットされているのだろうか、と書いたけれど、それでも会社勤めをしている頃に比べると、消失は非常に減ったと感じる。仕事をすることで、頭の中に残っていた記憶や感覚を殺してしまうのだろう。殺してしまうとは言いすぎだし語弊がある。記憶や感覚が競合してしまうのだと思う。生の記憶であったり感覚であったりするのを頭の中に確定させることで、記憶や感覚は定着するのだけど、その前に上書きしてしまう感じです。定時の仕事が無いと、定着させる時間が取れる。その時間を、例えば、日記に書くことだったり、生の記憶や感覚について考えたり余韻に浸ったりするのに使える。こういう時間の使い方ができるのは、幸せだし贅沢なように思えます。

・また、こういう定着のための時間を持つことで、学習や成長をさらに進めて行ける気がしています。

・そこから親子関係のように、自分にとっての効果的な学習や成長について、知識を得たり実践したりしているところです。時間を得れば得るほど、やってみたいことが増えてきて、そのために必要な時間も増えてしまう。できるだけ欲張って考えると、基礎的な能力を高めることで、より多くを回収できると期待しています。何より学習や成長を感じられると言うのは、大きな喜びで、楽しいです。学習する方法は、見る、聞く、書く、試すなど色々ありますが、全部試してみて、より自身に相性の良い方法を見つけると良さそうです。そして、できるだけ全部の方法を関連づけて行うと効果が最大に近づくようです。見て、聞いて、書いて、実際に試して、それから人に話す、といった風にやると良いようです。最初は意識的に取り組まないと難しそうですが、慣れて自然にできるようにしたいところです。どうも私は、聞くことが自分で思っているより好きなようなので、聞くことを増やしてみたいと思います。一方で、話すのが苦手なので、自分で考えたことを話して録音して聞くようにすれば、効率的そうだと思っていて、さっそく試そうと思っています。無くしたボイスレコーダーをまた買ってみようかな。appleの製品に内蔵されているのならそれを買うのも良いかもしれない。

・これはプログラムやデザインの技術の向上に関しても当てはめられそうです。せっかく学びたい技術が常に山盛りなので、学習の実験に使っているところです。実験のために何か用意するのではなく、もともとやりたかったことを関連づけるのは良い考えではないでしょうか。効果が高まるのはもちろん、時間を大事に使うことにも繋がります。このように、何かと何かを関連づけて掛け算の効果を狙うことを、近頃はよく考えています。

2010/06/30

・半年が過ぎようとしているけれど、二ヶ月が過ぎようとしている方が実感として強い。この二ヶ月は本当に十分だっただろうか?収入を得られない限り、この1セットをあと10回も繰り返せない。つまり、ゲーム風に言うと1機を消費し、残り10機を切っている。大事にせねば…。

・最初の一ヶ月は受け入れていた。明らかに生活のリズムが変わったし、見えている風景が変わった。環境に対して、大きく空気を吸って、準備をした。それから、不幸中の幸いを用いて、目を覚ました。もったいなかったとも思えるが、何か活きることもあると思えるような、不思議な一ヶ月だった。次の一ヶ月は得た知識や準備をもとに制作に入った。自宅で作業している以外は、会社員だった時と変わらない。いや、大きく違っている。誰が制作物に対して責任を持つのかだとか、誰が制作物のあるべきを決定するのかだとかが、全然違う。まったく違う作業だと言って良い。今はW杯の期間中だから言うが、監督がいるサッカーといないサッカーぐらい異なる。新しい職場で新しい仕事をしているんだ、という気持ちになっている。

・考えているとあっという間に時間が過ぎていく。しかし、考えながら手を動かているとそれよりも早く時間は過ぎ去っていく。別に私は時間を早送りしたい気持ちはないのに。

・チャンスは多くころがっているように思う。人も多くころがっているように思う。それらを丁寧に観察し選び取るのは大事だけれど、きょろきょろすることに熱中し過ぎると、色んな意味で危ない。横断歩道はよく見て渡れと言うけれど、横断歩道の真ん中で足を止めて周りを見ているような人が少なくない。

2010/06/23

・今週は製作中のウェブアプリを動作させる環境の設定をしていた。これが結構大変な作業だった。ゲームソフトを動かすのにゲーム機が必要なように、ウェブアプリという以上、ウェブを動作させるコンピュータが必要だ。それはサーバマシンと呼ばれる。ゲームソフト開発と異なるのは、ソフトを動かすためにハード側の構築や設定も必要になってくるという点だ。任天堂DSならDSのソフトが動けば良いだけだからソフトを動かすのに必要なハード側の設定は済んでいるけれど、サーバマシンはウェブを動作させる以外の用途にも使えるので素の状態では何も入っていない。ただのコンピュータである。そういう意味では、パソコンとサーバマシンは何の違いもない。実際、私がウェブサーバに使うために買ったのは、ノートパソコンである。エクセルやワードを入れればそれこそパソコンだし、ウェブサーバのソフトを入れればサーバマシンになる。あまり知識が無い人にも伝わるようにと少し冗長に書いてみたが、例えば私の両親―ホームページやデジカメの画像を見るくらいにしか使わない―はこの文章を読んでなるほどと思えるだろうか?

・上の文章は、私の理解も確認しながら書いている。それを知らない人に説明できるようになって始めて理解したと言えるからだ。実際、2週間前、いや1週間前の私ならここまで説明できなかったはずだ。理解をできるだけ効率よく進める為に1週間で、調べる、手を動かす、説明する、のプロセスを一通り行ってみました。個人で制作するようになって学ぶことが明らかに増えたので、できるだけ早く確かに学ぶ必要がある。成果と理解をセットにして日々を過していく必要がある。

・『あぺぽぺ』はしばらく停滞気味だが、完成させる力が無いと言うことで、完成させる模索をしている。たいていは手を動かし続ければ完成に近づいていくのだが、『あぺぽぺ』はそうは行かなかった。複雑になって遠のいてしまったように思える。そこで、できるだけ『あぺぽぺ』を細かくわけ、ひとつずつ完成させようと考えています。小さな作品の集合体を作っていく。

・ウェブアプリの作業の気分転換にそんなことをぼんやり考えていたら、ひとつの表現に関するアイデアとひとつの発見があった。アイデアの方は単純かつ実験的なので形にして見せたい。発見の方は昔話の本を読んでいたときにあった。昔話の特徴について書かれている本を読んでいると、『あぺぽぺ』の話や表現が、かなり昔話の特徴と一致しているのだ。これはとても驚く発見だった。小さい頃から昔話は好きだったから、無意識のうちに反映されていたのかもしれない。少なくても今は『あぺぽぺ』の入り口が昔話の表現であると確信している。希望があった。

・’自らの意志で作る力’の向上が今の私にもっとも必要なことだ。

2010/06/08

・前回の日誌からまた二十日が経っている。一体どうしたというのだろうか。この時間というものは。退職してから一ヶ月は当に過ぎている。

・実家の母親から電話がかかってきたとき、私は幾分か落ち込んでいて、心配させたかもしれない。大きな理由のひとつは明らかで、友人と温泉旅行の行きしなに財布を落としてしまったのだ。日々の充実感と数年ぶりの旅行らしい旅行に浮かれていたのだろう。早朝の浅草線の、おそらく電車内に置いてきてしまった。改札を抜けようとして気がつき、即座に駅と警察に届け出たが連絡はない。同行者いわく、向かいの席の中年がにやにやしながらこちらを見ていたから、彼が拾ったのに間違いないとのこと。財布にはクレジットカードやら運転免許証やら職場のカードキーやら、ありとあらゆるものを詰め込んでいたから、手続きも迷惑も大層かかった。緊急の手続きだけでも2,3時間かかり、旅行が台無しになってしまった。幸いにも、チケットだけは鞄に入れていたから、旅行そのものには行くことができた。栃木県は、日光。さらに奥日光。できるだけ気持ちを切り替えて東照宮やら温泉を満喫してきた。

・宿泊して早朝、奥日光の湖をぐるりと一周散歩した。柔らかい木漏れ日と静かな水の流れ、さまざまな鳥たちの控えめな声、植物のさまざま。自然をしっかりと感じたのは、随分となかったと分かった。自然が作る空間の時間に身を任せてみると、過去の記憶がストリームとなって降り注いでくるような気がした。それで、財布を無くしたショックも思い出しながら、ああ、これは10年前と同じだと思った。

・その時、私は北海道の牧場にいて、親方に退職をつげた後だった。残りの勤務は後わずかというところで、上司の車に乗って大事故をやらかした。気が抜けていたのだと思う。そうやって命からがら目が覚めた。今回の財布に関しても、万が一、悪用されてすべての財産が失われようものなら、大事故だろう。物理的には死なないが、時間が死に、ほとんどの予定が狂ってしまう。結果が分からない状態でとても怖かった私は、奥日光の自然と一体化して少しは平静を取り戻したのかもしれない。全然成長していない自身を確認するのも、落ち着けるのには良い効果があるようだった。

・旅行から帰宅して、最初のプロジェクトの進捗があまりにも進んでいないので、仲間から怒りと激励を受けた。勉強は楽しいし、必要だが、私はどうにも作らなければならない。もう会社員ではない。自分で作るものを考えて、自分の力で作らなければならない。己の意志次第では一ミリも進まない。そしてもはやプログラムを組むだけではいけないのだ。もちろん、プログラムも組まなくてはいけない。私が全ての責任を持たなくてはならない。そうしないと私自身が困るし、目指す状態に到達し得ない。甘い。何をやっているのだ。

・そうやって目が覚めつつあるときの電話であったので、落ち着きがなかった。今は大丈夫になった。会話は少し足りないが、もっと寂しくなるのか、それとも慣れていくのか、もう少し様子をみていけば良いと思う。目が覚めたのか、旅行でお賽銭を十数か所に撒いてきたからか、温泉につかりまくったせいか、理由は分からないが、朝早く目覚めるようになった。生活周期は良い感じである。リズムのよさを楽しめるようになってきている。会社員のときよりずっと良い。

・幸い(今のところ)貯金残高にまで被害はないようだ。カードの類も差し止めて清算した。免許証も再発行してもらうなど、手続きはほとんど終わっている。

2010/05/18

・もっとまめに日記をつけるつもりだったが、丸二週間が経過している。驚くべき速度で進んでいる。時間が手に入ったのだから、もっとゆっくり進むかもしれないと思っていたけど、そんなことは無かった。一ヶ月も、一年も、あっという間に過ぎていくに違いない。大事にしなくてはいけない。

・時間の経過に恐れをいだきつつ、振り返ってみると、外出が日付をまたいだのも合わせると7日ほどあった。丁度半分ぐらいであった。なるほど。こんなに多ければ、速度もでるだろう。前日に準備が必要なものもあった。変わったところでは、大学に招かれてゲーム業界やゲーム会社の仕事について、40名ほどの大学生の前で喋ったのがあった。慣れないことなのでかなり緊張したが、人前で話すという貴重な経験ができて感謝している。公に30分も喋り続けるなんてできるわけがないと思ったが、そんなことはなく、喋り足りないぐらいであった。7年も会社に努めさせていただいた。学んだことは多かったのだろう。質問もたくさんでたが、即答できるものばかりだった。それは経験に基づいているからに他ならない。

・喋る経験もだが、職場での経験を見直して自分なりにまとめる良い機会にもなった。どんなことを学んで、反対に学んでこなかったか。あったチャンス。なかったチャンス。マインドマップというツールを使い、それらをひたすら書き殴っていく。書きながら同時に、できるところはグルーピングしていく。書きながら、浮かんでくるものがあった。自分が人材としてどういうものを持っているのか。他人に分かりやすく見せられる経験や能力のまとまり。連なり。そういうものが感じられてきた。いままでピンとこなかったが、これをキャリアというのかもしれない、と思った。辿ってきた道筋が見える。そして、今後辿りたい道を想像する。そのうちの辿れそうな道とそうでない道が見えてくる(実際のところ、辿れない道はそんなになさそうだった、ただし成長という条件をつければだが)。30歳という年齢を改めて感じた。

・時間を拘束するものが、自分の意志などの未来に属するものだけになって、少しバランスが乱れている。起きている間は無駄なことはあまりしていないはずだが、つい寝てしまう。睡眠の量が増えている。睡眠の質と量について、自分を管理しないといけない。

・WEB開発についての知識はだいぶ身についてきた。次の段階に進もう。知識は実践しないとどんどん腐っていく。記憶力もそんなに良くないほうだから、身につけてしまうべきだ。身に着けたらそれはもう記憶ではない。プログラミングをはじめとした記述の能力や知識は、やはり自分の手で書いて身につけることができる。どんどん書くには良い道具や環境が欠かせない。だから、次の段階として、開発環境の発見と構築をやっている。初心者の多くが詰まるのはこの段階だ。理由はよく分かる。私だって未だに新しい環境をセットアップするのは大変だ。そして面倒だ。面倒だと感じるのは詰まらないからだ。詰まらないから詰まってしまう。そういう微妙な言い回しをしたくなるような段階だ。唯一の嬉しい瞬間は、構築した環境を試してみて、動作や機能がすばらしかったときだ。報われたなあ、という気持ちになる。

2010/05/03

・自由を得たばかりではめを外したい気分ですが、今がとても大事な時間であることは自覚している。そんな時間帯がしばらく続いている。だからAimquestに日記を書き込む頻度があがるはずだ。頭の中にある構想やすべきことの断片を取り出して整理しなければならない。友人や知人に相談してみるのも良いが、まずはここで考えてみたい。そして、ここはAimquestなので、Aimquestの文脈で書いていこうと思う。もっとも、その文脈は私ぐらいしかピンとこないものかもしれない。

・前提として、程度は違うが、2つの大きな変化があった。ひとつは現在の仕事を退職してフリーで活動してみること。もう一つはルームメイトが退去して(おそらくは)新しいルームメイトが入居すること。まず、後者から見ていく。私は私以外の人間について制御できない(自身すら制御できないが、それよりもはるかにできない)。もちろんうまくやって行きたいし、そのためにできることを行う。でも、それだけだ。相手から信頼されるような人間であること。楽しんでもらえること。そのために行動すること。それに尽きる。

・さて前者。フリーになることについて。独立に形は近いけど、特定の仕事をもらえるつながりがあるわけではない。だから、現時点で確実な収入のあてはゼロである。その代わりやりたいこと、作ってみたいものはいくつか用意した。どれも学ぶことと作ることに関する(もっとも、作ると言ってもコードや文章を書くぐらいしかできない)。その中から選べば良いのだけど、お金になるもの、簡単に作れるもの、という基準で選ぼうと思っている。自分の生命や成長を確保するにはそうするしかない。学んだり作ったりしながら、親しい人たちと話したり遊んだりして暮らせたらと思っている。今までも、できていないわけではないが、贅沢にも、もっと楽しみたいと思っている。

・この何日か、もっと実作業をすべきだったかもしれないが、勉強と、そういった考え事に使っている。

・興味や関心を丁寧に学んで理解できたらと思う。それらをウェブにまとめて理解を確認する。能力を示す名刺にもなると思う。そのために、他の人が読んで楽めるものにする。楽しんでもらうこと自体の練習にもなる。具体的には、ゲームと学びをセットにしたブログを一つと、WEBやゲーム(ソーシャルゲーム含む)周りの技術開発の話題を扱ったブログを一つ作ろうと計画している。更新は頻繁にできなくても、しっかりとまとめたものを作って蓄えたいと思う。それらのすべてをjimi.jpですべてを束ねる。そういう構成を考えたとき、(すでにそうだったかもしれないけど)Aimquestは日記というよりは日誌の役割をになうようになる。すなわち、私のすべての活動についての航跡のようなものになると思う。

・内省をつづる(かつてのnoteカテゴリ)にも興味が続いているので、それは別の形で表現したいと思っています。

2010/04/12

・随分と時間がたってしまった。日記を書きたいと思ってから、2週間は経過した。ほとんど土日も会社で働き、時間は仕事に使われているが、変化がなかったわけではない。重要な変化がいくつかあった。思い出しながら書いておく。

・まず、『あぺぽぺ』だ。前回の日記には順調と書いてある。今、それを読んで驚いた。全然進んでいない!いや、進んでいないことよりも、私のやりたいことが絵を司る仲間に伝わらないことが問題だ。結果、伝えたつもりでも、私が手をつけられない間は何も進まないでいる。まるで『あぺぽぺ』について伝えるているようだ。このまま題名の通りの作品になってしまったのだろうか。作品にすらなれない。

・そうはいかない。私はそれを完成させたいと思っている。ではどうすれば完成させられるだろうか?もちろん、私がすべて作れば良い。拙い概観と感覚を持ったものができあがるだろう。だめだ。今のデザインはそれらを仲間に依存するように設計されている。それで困っている。もう少し、あと少しだけ作れば、一気に伝わるだろうか?素のプログラムは言語でできていて、数値のやりとりを行うだけのものだ。これでイメージを伝えるのは、とても、とても困難なのかもしれない。プログラムの分からない人間にプログラムでインスピレーションを与えることは不可能なのだろうか。

・そして、もう一つ重要なのが、私の説明能力だ。仕事でも個人制作でも、伝わるだろうと思っていることが伝わっていない。あるいは変に伝わっていたり、同じことを別の人がいうと伝わったりする。多くの人に伝わっていないところをみると、私の方の問題が大きい。ましてや、対象が『あぺぽぺ』ならば、なおさらだ。現状では、私がもっと作って見せないと、伝わりそうな感触が持てない。だがそれは本意ではない。お互いの創造と想像を絡めにからめて一体化させて『あぺぽぺ』を作りたったが、絡める労力を引き出せなかったのは、能力の不足である。特に時間がかかりすぎたことについて。もし、一年前に、今ぐらいまでに固まっていたら、何とかなったかもしれない。

・しかし、今は今である。確定している。では、方針を変えるしかないだろう。もっと私が形にできるように。そのために全体を変える必要があるだろう。『あぺぽぺ』はさまざまな失敗を生成する。それら受け止めて、なお進む。完成するために、そのために形を変えていく。この過程をすべて記録して、体験させることができたなら、それこそが『あぺぽぺ』である可能性が高い。

・それからもう一つ、案件が進んでいる。こちらは順調だ。『あぺぽぺ』とは全く違った、現実的で娯楽性の高いゲームができるだろう。

2010/03/10

・『あぺぽぺ』。日記を更新しない間に、随分と進んだ。とは言っても、一合目。山を登り始めたところだ。それまでは、山の周囲をうろちょろしたり、装備を整えていたに過ぎなかった…ように見える。まだ低いが、それでも景色はなかなか良い。その間、少しコミュニケーションは荒れてしまったが、結果、それが私を山へと押し出したように思う。恥ずかしいから、いやその恥さえも快楽を与えることになりかねないから、その第一歩はあまり大げさにしないでおきたい。制作者が最初に取り掛かるところにようやく着手したぐらいなのだから。

・大体のゲームデザインができてくると、他人の質問に即座に答えられるという感覚があった。それまでは、歯切れが悪かったし、質問によって考えさせられたり、発見することが多かった。もちろん、それはそれで良いが、何事にも段階がある。こういったコミュニケーションにおける感覚においても、『あぺぽぺ』が次の段階へと駒を進めたのだと確認できる。不一致があれば、適切な段階に無い、と言えるのではないか。

・見栄えありきのゲームで無い限り、ゲームの開発当初の画面はユーザーにはバグか?と思えるほど、質素な画面である。ロジックだけならなおさらだ。私は、あまりロジックを仕事で担当しなかったので、こっそりと感動していた。がんばれば、専門学生時代にも作れたロジックだ。ここまでは。しかし、画面に現れるものがまったく同じでも、その裏に、強度が、柔軟性が、依存性が、拡張性が、要するに設計がまるで違うのである。動作を作っているのではない。世界を作っている。

・生活とは、まず生き延びるためのもの。次に、リズムをつくるためのもの。

2010/02/16

・『あぺぽぺ』。なんど日記の冒頭にこの言葉を持ってきただろうか。そろそろ100回目ぐらいかもしれない。制作チームとどれくらい同期が取れているか、分からないが、私ひとりで見ると、視界がかなり開けてきて、それと同時に緊張感も生まれてきた。これから生まれるんだな、と思う。彫刻に例えてみる。例えなくても良い。かなり荒い部分は削られた。プログラムを書かなくてもここまで削れた、という感覚がある。プログラムを書くことでも削れたらよいと思う。この2つの道具は、両方とも使いこなしたい道具である。削るための道具。以前、私は、粘土を捏ねて捏ねていると、書いたかもしれない。それは何かをつかむためだったかも知れない。何かをつかんだかもしれない。捏ねるだけでは先に進まないという体験を得た。削る。

・少しキーボードを止めた。もう一つ別の感触もあるような気がした。それは囲むこと。柵を立てて仕切るかのような行為。追いかける。追い詰めていく。削るのと同じ結果が得られるのかもしれない。対象を狭めたり、小さくしたりする。書く。私にとって書くこと、もちろんほとんどは言葉を使って書く。これは削ったり、追い詰めたりする行為だ。作るものの姿を狭めていき、同時に逃げられないようにするための。

・緊張感を共有したいと思うのは、良いことかもしれないし、コミュニケーションには悪いことかもしれない。慣れない人にとっては特に良くないことなのかもしれない。しかし、完成させるために、この緊張感は役に立つ。日によってはあまり無い日もありそうだが、できるだけまとっていたいと思うし、生成したいと思う。容赦はしない。自分自身に対して。孤独になろうが、体に悪かろうが、これは扱えなければならない。私は今からずいぶんと強くならなければならない。さもないと、いつまで経っても、何もできやしない。それは嫌だ!

2010/02/12

・恐ろしい夢をみた。内容はとても書けないが、戦争なんかよりもずっと怖い夢、と言ったら伝わるだろうか。同時に私にとって、戦争より怖いものの種類が分かったとも言える。要するに、とてもリアルでまずい状況の夢を見た。やはり夢はシミュレータだ。戦争だって実際に起こったらとても怖いに違いない。ただし、今の日本に生まれ育った私には戦争はリアルなものではない。それより身近なところで破綻する何か、の方がよほど怖いということだ。

・『あぺぽぺ』は今年になって生まれ変わってきている。それは完成させたい気持ち、言い換えると完成させても良いんだという気持ちが出てきたのが一番かもしれない。今までずっと完成させようと思ってやってきたはずだけど、今の状態と比較すると、今までは完成させる気がなかった、と認めざるをえない。仕様が固まったのが大きい。次に個人的なゲームを作るときは、いかにしてこの段階に持ってくれば良いのだろうかと考えてしまう。まだ実装は全然済んでないのに、なぜ私は未来のことを考えてしまうのだろうか。まだ、作りながら考える、というところまではできていない。今回の『あぺぽぺ』は、ただ膨大な時間をかけて、何度も何度も作る前の段階で試行錯誤したにすぎない。

・『あぺぽぺ』の弾み車は回り始めた。このまま一気に完成へと持って行きたい。手に入れたい別の未来も待っている。

・もしかしたら、私は、丁度二個、作るべきものを持っているのが、良いバランスを保てるの状態なのかもしれない。

2010/02/02

『あぺぽぺ』のティザーサイト(告知サイト)が簡単ですが、できました。少しは雰囲気が分かるかと思います。ぜひ! これ→あぺぽぺ

・『あぺぽぺ』はプロットも固まったということで、始めのシーンから順番に、物語に必要な機能をプログラミングしています。プロットに沿った最終的な物語を書くのはその後で良さそう。今、一番必要なのは『あぺぽぺ』というゲームがどんなものなのか、その形を作っていくこと。本来は一番最初にすべきことですが、それを今、ようやくやっているという感じです。失敗ばかりだけれど、その度に、より正しい方法を獲得している気がしています。そろそろ景色が見えてきた。

・あと休日2日ぐらいの作業時間で、ゲームの核となる部分の実装に取り掛かれそうです。ようやくだ。ようやく。随分と時間をかけて、仲間の士気をくじけさせたかもしれないが、ここからどこまで巻き返せるか。楽しみと不安があります。何よりも自分自身に対して、作り手としての姿勢、精神が問われている。表せるか?現せるか?

・と、ここら辺まできたので、時間を集めたい。ネットの時間を減らすべきタイミングかもしれない。ここから『あぺぽぺ』ができあがるまで、mixiとtwitterのアクセスを10%ぐらいに抑えようと思っています。mixiの日記はこの日記を登録したほうが良いかもしれない。コメントもできないし、あまり面白いものではないけれど。twitterもメインアカウントではなく、apepopeにおもにアクセスしよう。こちらはフォローは7人ぐらいだから、そんなに見なくて大丈夫。

・ここまで『あぺぽぺ』が来ているけれど、もう一つ、ゆっくりと植物に関するアプリの制作に入りました。本当は『あぺぽぺ』の後に始める予定だったのですが、グラフィックの方と話が進んだので、発注するところまで進めてみるつもりです。発注は初めてだし、仕事として、個人制作として避けられない事務やコミュニケーションの練習も兼ねています。もちろん相応の報酬もお支払いする。こういう一連の過程に、そろそろ慣れておかないといけない。プログラム的な実装や追加の発注は『あぺぽぺ』が終わった後になると思います。よろしくお願いします。

・人とたくさん話すことで、自分の一般的な評価や、世の中の景気、時代の空気などが分かった気がする。いまをチャンスと捉えている人は思ったよりいなくて、安定と無難を求めている印象。予想と逆だった。もっとも、世の中にはたくさんの人間がいるのだから、じっくり探してみようと思う。もう何人か、たっぷり時間を持った作り手と出会っておきたい。

2010/01/28

・夜も更けて朝に近いので、駆け足で振り返ってみたい。

・『あぺぽぺ』は少しずつできてきている。コンセプトが決まってから、ゴールに近づいている実感がある。『あぺぽぺ』は2つの世界を表現する。外の世界と内の世界だ。2つの世界は関係している。プレイヤーは内の世界を操る側である。内の世界と外の世界は、それぞれ、独自に動いている。具体的な作業としては、内の世界の大まかな設計図を書いた。次は、この設計図とプロットを見ながら、物語の始めから順番に、プログラムで表現してみたい。外の世界の表現は仲間の手助けが必要だと思っている。内の世界も必要だが、外は特に必要だ。

・友人と話していて、今の私には不完全なものしか作れないと分かったから、素直にそれを表現する。それでいい。自分の力量や感覚をより正しく反映した完成品を作りたい。それから進みたい。だから、全力で、不完全なものを作ることにした。不完全にしたいのではない。不完全になる。

・論理学を勉強することにしました。プログラマが何を言うかと、思われる方もいるかもしれませんが…。みっちり取り組んでみます。

2010/01/13

元旦に祖父が亡くなったので、帰省しておりました。新年のめでたい挨拶はひかえさせていただきます。

両親がインターネットプロバイダを解約するとのことなので、ここを定期的に読んでいる方がほとんどいないと推測しますが、今年もよろしくお願いします。

もともと考え過ぎるほうだけど、今年は平年よりも考える量の増える年になりそうです。進路を中心にだけど、年末に『あぺぽぺ』を通して遡った結果、遡るという動作を色々としてしまいました。過去を振り返ったり、今までの姿勢や思考の根底を探そうとしたり、していました。表現については、技術は少しずつ身につけているものの、表現したいものそのものについて、ほとんど磨けていなかった、というのがよくよく分かって、戸惑いました。実態がまるでない感じです。それでも、それが分かったのだけでも良かった。これは気づくのが遅ければ遅いほど、致命的な類のエラーです。

一方で、作品制作の姿勢として掲げる『大作と多作』という姿勢は、間違っていなかったどころか、強化せねばならない、と分かった。私にとって『あぺぽぺ』は大事な作品で、私にとっては作品の規模とは関係なく「大作」であるが、大作につかえ過ぎては良くない、と思いました。同時にいくつか、作り出さねばならない。「質より量をこなす方が上達に近づきやすい」と聞いたことがあります。私にとって、これは感覚的にその通りだと思っています。これには、作品制作の一連の肯定 ―どんなものを作ろうかと考えるところから、きちんと人様に見せれるところまで完成させる― を繰り返し通過できる環境を作ることが重要だと思っています。それには、時間(=お金)とアイデアと人間がいるので、それらを得なければならない。そして反復することで、自分の方法と速度を向上させる。実力をそうやって身につけようと思っています。

twitterでもつぶやいたけれど、話すこと、何かを作ること、学ぶこと、学んだことを(自分や社会に)生かすこと、たまにゃ遊ぶこと。自分がやりたいことは、(おそらくすべてが)この中のどれかには当てはまります。複数当てはまるものを探して選び、次々と形にできればと思っています。できるだけ思い通りに、そして早く実装する。 ご協力いただければ嬉しく思います。