2010/01/28

・夜も更けて朝に近いので、駆け足で振り返ってみたい。

・『あぺぽぺ』は少しずつできてきている。コンセプトが決まってから、ゴールに近づいている実感がある。『あぺぽぺ』は2つの世界を表現する。外の世界と内の世界だ。2つの世界は関係している。プレイヤーは内の世界を操る側である。内の世界と外の世界は、それぞれ、独自に動いている。具体的な作業としては、内の世界の大まかな設計図を書いた。次は、この設計図とプロットを見ながら、物語の始めから順番に、プログラムで表現してみたい。外の世界の表現は仲間の手助けが必要だと思っている。内の世界も必要だが、外は特に必要だ。

・友人と話していて、今の私には不完全なものしか作れないと分かったから、素直にそれを表現する。それでいい。自分の力量や感覚をより正しく反映した完成品を作りたい。それから進みたい。だから、全力で、不完全なものを作ることにした。不完全にしたいのではない。不完全になる。

・論理学を勉強することにしました。プログラマが何を言うかと、思われる方もいるかもしれませんが…。みっちり取り組んでみます。

2010/01/13

元旦に祖父が亡くなったので、帰省しておりました。新年のめでたい挨拶はひかえさせていただきます。

両親がインターネットプロバイダを解約するとのことなので、ここを定期的に読んでいる方がほとんどいないと推測しますが、今年もよろしくお願いします。

もともと考え過ぎるほうだけど、今年は平年よりも考える量の増える年になりそうです。進路を中心にだけど、年末に『あぺぽぺ』を通して遡った結果、遡るという動作を色々としてしまいました。過去を振り返ったり、今までの姿勢や思考の根底を探そうとしたり、していました。表現については、技術は少しずつ身につけているものの、表現したいものそのものについて、ほとんど磨けていなかった、というのがよくよく分かって、戸惑いました。実態がまるでない感じです。それでも、それが分かったのだけでも良かった。これは気づくのが遅ければ遅いほど、致命的な類のエラーです。

一方で、作品制作の姿勢として掲げる『大作と多作』という姿勢は、間違っていなかったどころか、強化せねばならない、と分かった。私にとって『あぺぽぺ』は大事な作品で、私にとっては作品の規模とは関係なく「大作」であるが、大作につかえ過ぎては良くない、と思いました。同時にいくつか、作り出さねばならない。「質より量をこなす方が上達に近づきやすい」と聞いたことがあります。私にとって、これは感覚的にその通りだと思っています。これには、作品制作の一連の肯定 ―どんなものを作ろうかと考えるところから、きちんと人様に見せれるところまで完成させる― を繰り返し通過できる環境を作ることが重要だと思っています。それには、時間(=お金)とアイデアと人間がいるので、それらを得なければならない。そして反復することで、自分の方法と速度を向上させる。実力をそうやって身につけようと思っています。

twitterでもつぶやいたけれど、話すこと、何かを作ること、学ぶこと、学んだことを(自分や社会に)生かすこと、たまにゃ遊ぶこと。自分がやりたいことは、(おそらくすべてが)この中のどれかには当てはまります。複数当てはまるものを探して選び、次々と形にできればと思っています。できるだけ思い通りに、そして早く実装する。 ご協力いただければ嬉しく思います。