2010/06/30

・半年が過ぎようとしているけれど、二ヶ月が過ぎようとしている方が実感として強い。この二ヶ月は本当に十分だっただろうか?収入を得られない限り、この1セットをあと10回も繰り返せない。つまり、ゲーム風に言うと1機を消費し、残り10機を切っている。大事にせねば…。

・最初の一ヶ月は受け入れていた。明らかに生活のリズムが変わったし、見えている風景が変わった。環境に対して、大きく空気を吸って、準備をした。それから、不幸中の幸いを用いて、目を覚ました。もったいなかったとも思えるが、何か活きることもあると思えるような、不思議な一ヶ月だった。次の一ヶ月は得た知識や準備をもとに制作に入った。自宅で作業している以外は、会社員だった時と変わらない。いや、大きく違っている。誰が制作物に対して責任を持つのかだとか、誰が制作物のあるべきを決定するのかだとかが、全然違う。まったく違う作業だと言って良い。今はW杯の期間中だから言うが、監督がいるサッカーといないサッカーぐらい異なる。新しい職場で新しい仕事をしているんだ、という気持ちになっている。

・考えているとあっという間に時間が過ぎていく。しかし、考えながら手を動かているとそれよりも早く時間は過ぎ去っていく。別に私は時間を早送りしたい気持ちはないのに。

・チャンスは多くころがっているように思う。人も多くころがっているように思う。それらを丁寧に観察し選び取るのは大事だけれど、きょろきょろすることに熱中し過ぎると、色んな意味で危ない。横断歩道はよく見て渡れと言うけれど、横断歩道の真ん中で足を止めて周りを見ているような人が少なくない。

2010/06/23

・今週は製作中のウェブアプリを動作させる環境の設定をしていた。これが結構大変な作業だった。ゲームソフトを動かすのにゲーム機が必要なように、ウェブアプリという以上、ウェブを動作させるコンピュータが必要だ。それはサーバマシンと呼ばれる。ゲームソフト開発と異なるのは、ソフトを動かすためにハード側の構築や設定も必要になってくるという点だ。任天堂DSならDSのソフトが動けば良いだけだからソフトを動かすのに必要なハード側の設定は済んでいるけれど、サーバマシンはウェブを動作させる以外の用途にも使えるので素の状態では何も入っていない。ただのコンピュータである。そういう意味では、パソコンとサーバマシンは何の違いもない。実際、私がウェブサーバに使うために買ったのは、ノートパソコンである。エクセルやワードを入れればそれこそパソコンだし、ウェブサーバのソフトを入れればサーバマシンになる。あまり知識が無い人にも伝わるようにと少し冗長に書いてみたが、例えば私の両親―ホームページやデジカメの画像を見るくらいにしか使わない―はこの文章を読んでなるほどと思えるだろうか?

・上の文章は、私の理解も確認しながら書いている。それを知らない人に説明できるようになって始めて理解したと言えるからだ。実際、2週間前、いや1週間前の私ならここまで説明できなかったはずだ。理解をできるだけ効率よく進める為に1週間で、調べる、手を動かす、説明する、のプロセスを一通り行ってみました。個人で制作するようになって学ぶことが明らかに増えたので、できるだけ早く確かに学ぶ必要がある。成果と理解をセットにして日々を過していく必要がある。

・『あぺぽぺ』はしばらく停滞気味だが、完成させる力が無いと言うことで、完成させる模索をしている。たいていは手を動かし続ければ完成に近づいていくのだが、『あぺぽぺ』はそうは行かなかった。複雑になって遠のいてしまったように思える。そこで、できるだけ『あぺぽぺ』を細かくわけ、ひとつずつ完成させようと考えています。小さな作品の集合体を作っていく。

・ウェブアプリの作業の気分転換にそんなことをぼんやり考えていたら、ひとつの表現に関するアイデアとひとつの発見があった。アイデアの方は単純かつ実験的なので形にして見せたい。発見の方は昔話の本を読んでいたときにあった。昔話の特徴について書かれている本を読んでいると、『あぺぽぺ』の話や表現が、かなり昔話の特徴と一致しているのだ。これはとても驚く発見だった。小さい頃から昔話は好きだったから、無意識のうちに反映されていたのかもしれない。少なくても今は『あぺぽぺ』の入り口が昔話の表現であると確信している。希望があった。

・’自らの意志で作る力’の向上が今の私にもっとも必要なことだ。

2010/06/08

・前回の日誌からまた二十日が経っている。一体どうしたというのだろうか。この時間というものは。退職してから一ヶ月は当に過ぎている。

・実家の母親から電話がかかってきたとき、私は幾分か落ち込んでいて、心配させたかもしれない。大きな理由のひとつは明らかで、友人と温泉旅行の行きしなに財布を落としてしまったのだ。日々の充実感と数年ぶりの旅行らしい旅行に浮かれていたのだろう。早朝の浅草線の、おそらく電車内に置いてきてしまった。改札を抜けようとして気がつき、即座に駅と警察に届け出たが連絡はない。同行者いわく、向かいの席の中年がにやにやしながらこちらを見ていたから、彼が拾ったのに間違いないとのこと。財布にはクレジットカードやら運転免許証やら職場のカードキーやら、ありとあらゆるものを詰め込んでいたから、手続きも迷惑も大層かかった。緊急の手続きだけでも2,3時間かかり、旅行が台無しになってしまった。幸いにも、チケットだけは鞄に入れていたから、旅行そのものには行くことができた。栃木県は、日光。さらに奥日光。できるだけ気持ちを切り替えて東照宮やら温泉を満喫してきた。

・宿泊して早朝、奥日光の湖をぐるりと一周散歩した。柔らかい木漏れ日と静かな水の流れ、さまざまな鳥たちの控えめな声、植物のさまざま。自然をしっかりと感じたのは、随分となかったと分かった。自然が作る空間の時間に身を任せてみると、過去の記憶がストリームとなって降り注いでくるような気がした。それで、財布を無くしたショックも思い出しながら、ああ、これは10年前と同じだと思った。

・その時、私は北海道の牧場にいて、親方に退職をつげた後だった。残りの勤務は後わずかというところで、上司の車に乗って大事故をやらかした。気が抜けていたのだと思う。そうやって命からがら目が覚めた。今回の財布に関しても、万が一、悪用されてすべての財産が失われようものなら、大事故だろう。物理的には死なないが、時間が死に、ほとんどの予定が狂ってしまう。結果が分からない状態でとても怖かった私は、奥日光の自然と一体化して少しは平静を取り戻したのかもしれない。全然成長していない自身を確認するのも、落ち着けるのには良い効果があるようだった。

・旅行から帰宅して、最初のプロジェクトの進捗があまりにも進んでいないので、仲間から怒りと激励を受けた。勉強は楽しいし、必要だが、私はどうにも作らなければならない。もう会社員ではない。自分で作るものを考えて、自分の力で作らなければならない。己の意志次第では一ミリも進まない。そしてもはやプログラムを組むだけではいけないのだ。もちろん、プログラムも組まなくてはいけない。私が全ての責任を持たなくてはならない。そうしないと私自身が困るし、目指す状態に到達し得ない。甘い。何をやっているのだ。

・そうやって目が覚めつつあるときの電話であったので、落ち着きがなかった。今は大丈夫になった。会話は少し足りないが、もっと寂しくなるのか、それとも慣れていくのか、もう少し様子をみていけば良いと思う。目が覚めたのか、旅行でお賽銭を十数か所に撒いてきたからか、温泉につかりまくったせいか、理由は分からないが、朝早く目覚めるようになった。生活周期は良い感じである。リズムのよさを楽しめるようになってきている。会社員のときよりずっと良い。

・幸い(今のところ)貯金残高にまで被害はないようだ。カードの類も差し止めて清算した。免許証も再発行してもらうなど、手続きはほとんど終わっている。