2011/07/01

・先月はゲームのコンテストに合わせてとても小さなゲームを3日間で作った。現代的なゲームの要素は入れた(とにかく簡単、すぐ結果が出る)が、駄作である。恥ずかしいのでリンクは載せないが、3日で全工程を終えたことと、そんな駄作を人前にさらしたというのが、とても大きな前進だった。

・会社を辞めてからというのもの、何かを発表すること自体に恥ずかしさがあったのだと思う。手ごたえのあるもの以外は出さない、といえば作家として正しそうだが、結果的に作ることをためらってしまっていた。極端に言えば、何も作らないか、駄作を出すかのトレードオフで、僕は後者を選んだ。何もやっていない、と思われるほうが怖かった、という実に恥ずかしい理由だ。どちらにせよ恥ずかしいことだが。

・受け身プログラマからモデルチェンジをしないといけない。友人の師匠が言っていた『恥部おっぴろげ』という呪文を唱えなければならない。駄作ではなく質の高い恥部を見せられるのが個人制作の長所であり、見所でもあると思うからだ。

・モデルチェンジは簡単ではない。一瞬で180度変えてしまえる人間もいるが、僕はそうじゃない。だから少しずつ、時間をかけて直す。僕の場合、問題を認識して、対面するところから始まる。変えたくないところは、きっと新しい血肉とバランスを取ってくれる。受け身プログラマが、モデルチェンジを受け入れるというのも、どこか変な言葉遊びのようだ。全工程作成プログラマになる。監督の役割を僕というオブジェクトに追加する。

・このように、見所のないものを、確定してしまったものを、時間をかけて直していくところが僕の見所だ。きっと多くの人は諦める。それはほとんど正しい。時間がもったいないからだ。

2011/06/30

・友人の結婚式に出席したり、別の友人にゲームの(というより、システムの)試作品を見せたりした。どちらとも未来の自分に大きな影響がありそうだ。(試作品については明日日付の日記になります)

・結婚式に出席したのは二度目だけれど、結婚式をちゃんと体験したのはおそらく最初だった。正直に書くと、一般的な結婚式の効果はあまりないと思っていたが、いざ式を体験してみると、儀式を踏むことが大事なのだと思った。まだ上手に言葉では言えないが、儀式の効果みたいなものを感じた。

・普段は行わない(必要としない)動作をあえて連続して行って見せること。そしてそれをたくさんの人が厳かに体験すること。それが儀式というものの特別さを演出し、効果を作り出しているのかもしれない。

・ゲームでも儀式を取り入れることで、世界への没入を増す効果が得られるかもしれないと思った。あまり儀式だらけでも、うんざりすると思うけれど。

・結婚式は沖縄で行われた。自分たちの大事な人に旅行や気分転換もかねてほしいという、新郎新婦のはからいだった。僕の苗字は沖縄のものだけど、沖縄に行ったのは初めてだった。空から見ても、はっきり分かるほど、海がきれいで、浜辺の周辺がエメラルドグリーンで囲われているエリアもあって、実際に泊まったホテルからその色のビーチへといけることができた。結婚式ではあるが、バカンスでもあった。ビーチでとてもゆっくりした時間を過ごすことができた。ちょうど日が沈む時間帯だった。非日常的な時間と空間は、日常をバージョンアップさせる行為でもあるのだろうか。

・結局、儀式とリゾートの2つの概念体験を沖縄の結婚式から持ち帰った。友人夫妻に感謝!

2011/06/17

・やはり10日前は良いコミュニケーションが重なりすぎていたようで、常に思い通りの結果になるわけでもないし、可能性がたくさん転がってくるわけでもない。どうも自分は勝手に過剰に期待してしまうところが良くない。期待が最高の期待に変わってしまう。もっと見守れるようになりたい。最低、平常で動ければ良いなあと思う。

・1人で作るというのが原点で、最小の構成だ。心のどこかで外に期待してしまっているのは、その最小構成に自信がなかったり、それで満足いく制作ができていないからだと思う。よくぶれている。『NINMARI』は上手くできたほうだが、ことゲームに関すると、うまくできていないのが正直なところです。企画やゲームデザインといった作業が下手で不慣れだ。プログラムだと何時間も集中が続くのに、企画やデザインだと1時間と集中が持たないのが、それを証明している。ゲームデザインとは地道な作業であるし、設定を隅々まで丁寧に考えておくような、忍耐力のいる作業だ。構成と構造を丹念に作っていかなければならない。

・個人で作る以上、その丹念さにこだわりたいと思う。だから、今の集中力や能力を見て、あまり規模が大きいとできそうにないから、できるだけ規模が小さいものを作ろうと思っている。もっともどんな小さな世界ですら世界であるが。課題がとてもはっきりしている。幾分か抽象的な課題だが、結果は具体的になる。

・家で考えて集中が続かないなら、外で考えよう。しかし、夏であるのが良くない。図書館やカフェも利用してみようと思っています。友人も頼ってみるつもりです。

2011/06/07

・良いコミュニケーションがたくさんあった1日。3週間分ぐらいは満足できる量だった。量より質の内訳だったが。『NINMARI』を作って良かった。実った、という言葉をあてはめたい気分です。自分から見て素晴らしい仕事・成果をあげている人にコンセプトが伝わり、評価してもらう喜び。反応の質は満たされたから、あとは量が満たされればもっと嬉しい。ソフトウェアへのレスポンスは質だけではお金にならない。乱暴に言うと、もっとダウングレードしたコンセプトや企画を立てなければならないのかもしれない。

・嬉しいコミュニケーションが重なったことで、浸りたくなったり、広げたくなったりするが、毎日の制作を地味かつ地道に続けていくことが大事なのだと思う。そうやってできたものがあって、ほしかったコミュニケーションが得られる。言葉だけではない。上手に言葉を使ったコミュニケーションもすばらしいが、制作物に対しての言葉には果実がつまっていて美味しかった。理論も実践も好きだ。1セットで格別の果実になる。

・作っていくということにエネルギーが補填された。危うく言うと、作れという麻薬めいた信号が出てきた。優勝したらまた優勝しないと足りない。次がほしくてたまらない。ただレースをひとつ走っただけであるが、そんな気分が分かった気がしました。

2011/06/02

・NINMARI 1.0.0をリリースした。複数の意味でのリリース。NINMARIを手にとってもらえるように解放することでもあるし、NINMARIの制作から解放させることでもある。自動でパソコンの使用ログをとって眺められるソフトウェアです。パソコン作業者を励ますというコンセプトで作りました。[web]

・0.5を出してから1ヶ月、どうやったらもっと多くの人に伝わるか?みたいな課題で粘った。勤めていたときのプログラマではあまりこういう仕事をしなかった。与えられたものを作る、あるいは大雑把な要求からいい感じに作る。できたら、機能を作ったら、満足だったし十分だという感じだった。もっとこだわって仕事をするには気持ちも能力もなかった。ぎりぎりのスケジュールにこだわりをねじ込める人が抜けて成長していくのだろう。だから、できているものをデザインしなおしたり、クオリティアップを図る、それも1ヶ月―結局4ヶ月かかったから4分の1―をかけてやるというのは、初体験だったし、慣れていなくて下手糞だった。

・一方で、今になってみると、0.5のままにしておかなくて良かった。前のが100人に3人伝わるとすると、今度のは10人には伝わるだろう。本当は半分、50人ぐらいに伝えたかったが、既存の類似品があるソフトでもないし、能力的にも時間的にも諦めた。そういう感覚を体験できたことはとても良かった。iPhoneやiPadを分かってもらうために、どれほどのアイデアとデザインが注ぎ込まれてきたのだろう、そういう想像をした。

・判断の回数が会社員プログラマのときとは桁がひとつ違うぐらい多かった。もっともプログラミングが判断をしない作業であるはずがない。判断するものの質が違ったというべきかもしれない。プログラミングは正しく動かすための判断という感じでいるけど、ブラッシュアップの一ヶ月の間に起こった判断はこんな風に迫ってきた。何を残すべきか?何を削るべきか?そもそも何を作るべきか?どうしたら伝わるのか?次々と迫ってきた。

・次はゲームを作るつもりだ。1年と1ヶ月で、最初のものが出せた。あと1年ぐらいで貯金が尽きるが、もう2つぐらいは作品をリリースしたいと思っている。