2017/03/21

・手帳類の新規買取が続いている。テレビを見たというかたがほとんどだ。手帳展は放送直後にピークが来たけど、買取のほうは1ヶ月近くたった今のほうが多い。不思議に思ってもみたが考えてみれば自然なことかもしれない。使い終わった手帳を買う人がいる―という記憶がテレビを見た人の中に残ったのだろう。

・それにしても手帳類の応答をしない日はなく、趣味の範囲を超えた責任をとっている。良いことではあるが、他の創作をしたい気持ちも生まれており、折り合いをつけていくことが求められる。ゲスト参加した「大ちがい展」が終わったばかりだが、終わる前から次の企画に向けて動き出している。ジャンプの連続であって、完成などは存在しない。明日には直接買取もある。仕事だったら通常業務の範疇だろうが、手帳類はお金が減っていくプロジェクトである。

・ことの流れとして、この三連休は本をほとんど読めなかった。10冊以上も意気揚々と借りたし、数冊買ってあった本もあった。ゲームはiPhoneアプリの『ファイアーエンブレム』を合間合間に。気がついたら僕の時間にも隙間タイプのゲームがフィットしていた。映画を見るのに重い腰をあげるかのように、かつての本格ゲームはプレイするのに気合の跳躍が必要になってしまった。遊ぶのに、旅行のような計画が必要に感じられるのだ。

・吉増剛造さんにいよいよはまっている。初期の詩集にも手を出した。「今夜、きみ」「スポーツ・カーに乗って」の詩のすごさよ。みんながTwitterに引用したくなるのも分かる。彼の膨大なメモにひれふす。今週は文字情報の入力がほとんどなく出力ばかりだったが、吉増さんのメモをみると全然足りないのだ。基礎体力、基礎馬力からして違う。少しでもパラメータを上げたい。

・携帯という形態に対抗するための詩。そして相撲。詩と相撲が可能性だ。断片と創発が合流する。

・もうすぐ2時なのでそろそろ寝る。2字はあっというま、なのだが。2字。

・松本和史さんという詩人を知った。具体詩や、詩とテクノロジーやメディアアートを結びつけるような活動をされている、という印象。大変興味深く、いい人みつけた、という感じです。

・それがまた文字のゲームを作りたいという欲望を喚起する。

・手帳類もいずれアプリ/ゲームになるだろう。そんな予感が生まれた。

2017/03/01

・36歳は待ってなどくれなかった。

・1ヶ月の休暇のうち3週間ぐらいは手帳類のプロジェクトにあてた。無事放送されてくれてほっとしている。明日か明後日にあらためてお礼の連絡をしようと思う。

・マスメディアにとりあげてもらうことで、これまでとは違った人々に届いた。正しい言い方かは分からないが、アプリのユーザー、みたいな人々が手帳展にやってきた。美術ギャラリーに訪れた経験をほとんど持たない人も少なくなかったのではないだろうか。それゆえに大変なことは多い。だけど、彼らにこそ驚いてほしいし楽しんでほしいとも思っている。

・残りの休暇は、本をたくさん読んでいた。10冊ぐらいは通して読み、つまみ読みは20冊ぐらいあっただろうか。この数字は多く言い過ぎているかもしれないし、すくなく言い過ぎているかもしれない。ただ、そうやってたくさんの本をよむ中で、本から本へ、見えないハイパーリンクを見い出していた。図書館で借りて入る本が10冊ぐらい、これまでの積読があり、本屋や古本屋、ネットやオークションでも積極的に買っていった。購入もまたハイパーリンクを辿っているかのようだった。同じ言葉や用語について複数の本を参照して、立体的な語彙や知識を得ようとした。スポーツ選手のように読み方フォームを作ったり点検したりした。

・そうやって本を横断/サーフィンしていると、点ではなく線のような感覚があった。織物的でもあった。それはつまりテクストという言葉のイメージでもある。あるいは立体的と、それは点を頂点とみなして線分としポリゴンをつくっていく営みといえるかもしれない。立体化していくなかで、知識のイメージとしての自分の形/モデルオブジェクトができていくのなら、楽しそうだ。そのモデルを空間や時間に配置してルール、システム、インタラクションといったものを作っていく。それが僕の世界であり、ゲームである。具体的な構想の話ではないけれど、こんなふうにゲームをイメージしてみている。一体これで完成に向かえるのだろうか。

・ゲームについても最後の一週間で現状をセーブするように解きほぐして整頓センスメイキングした。企画ではなくそのさらに前段階の心の地図(思考ツールもマインドマップ)になった。この地図は一定間隔(たとえば1年毎)で更新すること。その差分、差異に注目すること。

・私的なプロジェクトが終わって、仕事がはじまった。精神的にどこか楽になっている。働くことは癒やしの一種とさえいえる。当事者でないことは楽だ。

・落合陽一さんの本を読んで、勉強と研究の違いがくっきりとわかった。僕が好きなのは研究だ。自分の問いが先にあり(あるいは問いを探す目的で)そこに外側のデータや文章を照合したり検討したりするのが研究。ただデータや文章を理解したり頭にいれたいのなら勉強だ。問いがあっても、答えがあらかじめ用意されているようなものならそれも勉強になる。つまり仕事では勉強もありえるが、私的領域では勉強している場合ではないしどうしても研究になる。