2016/07/13

・2週間も経たないうちに日記を書きたくてそわそわしてしまう、ということは近年にはあまりなかった。ブログの見栄えを手入れしたことも影響しているだろう。それと、ここ数ヶ月の、1日が2回訪れるような感覚について。

・仕事も、私事も1日に大きなものは1つにしていた。前と後ろを楽しみたいからだ。後ろは余韻と呼ばれるようなものだ。ところが、ここのところ大きなものの数が2倍3倍と数を伴っているいるため、しかたなく大きなものを1日に2つ配置せざるを得ない。たとえば朝、手帳類の取材を受けてから、集中を必要とする仕事にとりかかるため出社するといった風に。多くの人は、仕事と子育てといった例を出すまでもなく、両立をしているだろう。簡単に言えば僕はこれまで注意深く両立を取り除いていた。

・明後日の収録で、ひとまず取材周りは落ち着く。2ヶ月で10つぐらいはこなしただろうか。多くは平日である。感覚的にも毎週ひとつぐらい取材や打ち合わせがあったし、スマートフォンのカレンダーアプリにかつてないほど予定を登録した。よくがんばったと思うし、これぐらい取材を受けると人々に広がっていくのだなと体感できた。もちろん普通は有名人でもない限り向こうから取材なんてやってこない。ゲームを作ってリリースしたところで女子大生から取材依頼が来るだろうか。だから普通は広告と呼ばれる行動を多かれ少なかれ放ち、なんとか広めようとする。

・そんなたくさんの取材の成果もあり、手帳類のツイッターアカウントは半年で個人アカウントのフォロワー数を越えようとしている。個人アカウントは2009年からこつこつつぶやいている。そいうものなのだという諦観にもにた納得がある。

・ずっと思ってきたり話したりしてきた、一人の同じ人とどこまで関係を深めることができるか試してみたり、関係を集中させたり、ということについて。

・でもゲームを作ることをあきらめてはいない。たくさん作れたらとすら思っている。

・手帳類では、僕のまなざしやものの見かたが問われているし、求められていると感じる。まなざしはこれから意識的に鍛えていきたいと思っているパラメータのひとつ。パラメータと言っても筋トレのように自明の強化方法があるわけではない。だからこそ求められるのだろう。

・世界について。もしかしたら僕は世界を作ることよりも、世界を見たり、世界から見い出したりする方が得意なのかもしれない。どちらが好きなのかはさておき。その可能性を自覚した。

・そうだとすると、世界はこしらえるものではなく、そこにあってほしい。ゲームの世界においても誰かが作った世界、それも手垢にまみれた世界ではなく、個人制作規模もの、未開で発見可能性に満ちた世界がいい。

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Shirado Masafumi