2010/11/30

・新しい住所での生活も、もうすぐで2ヶ月になります。最初の1ヶ月はだいぶバタバタとしたいたけれど、だいぶ落ち着いてきました。友人向けの小さなツールアプリの制作などもしています(あとは見た目だけ整えれればおしまい)。長期の制作をたくさん抱えると、まだ自分はうまくさばけないようなので、これ以上は増やさず、小さなツールや作品を作りながら、大きなものも作れるようにしていきたいです。

・デザインを上手くできないことが分かって、興味がわいてきました。原則を学んだり、小さな道具や作品の制作したりしています。一見相反する要求を両方満たすことを考えるのは楽しいです。

・まず、どういうことを実現したいのかを考えて、それを一言で表現することを考える。これがコンセプトです。道具の場合は、機能の集まりがコンセプトになるし、娯楽だと楽しませたいことが、芸術作品だと表現したいことがコンセプトになります。今はこれを一番大事にして、たっぷりと時間をかけてコンセプトを作ってみています。たとえばゲームだと、剣と魔法のファンタジーという世界観は同一でも、かわいい動物の勇者のキャラクターを楽しませるコンセプトや、幻想的な世界の旅をとことん楽しませるコンセプトといった風に色々と考えられます。コンセプトは柱であって、以降のすべての作業や素材に反映すべきものです。つまり、コンセプトしだいでまったく別のものになりそうなのが想像できて楽しいのです。

・基本的に制作以外の仕事はしないつもりでいたのですが、興味が持てる短期の仕事があったので、1ヶ月ぐらいですが働くことになりました(年末年始は休み)。公園の改善に関する調査をする仕事で、一昨日から近所の公園でアンケートをとっています。緑が美しくて、運動にもなるし、会話もできるしで、気分転換できます。基本的に部屋でパソコン作業なので、こういう仕事はありがたいです。ただ、来月から群馬は寒い風が吹くそうなので、外は寒そうです(戦々恐々)。

・公園こそデザインが必要なのだと、少しだけ働いてみて思いました。毎日ウォーキングする人、休日に赤ん坊を連れてくる家族、紅葉の写真を撮りに来る人、つらいことがあって癒されに来る人…さまざまな人がさまざまな目的でやってくる。これらの要望にできるだけ多く応えるには、デザインが不可欠なのです。一方向の要望だけ採用すれば良いのなら、デザインは大して要りません。コストを考えるぐらいで良いからです。

・せっかく公園で働いているので、樹木や草花の観賞も楽しみたいと欲が出てきました。両親に電話して聞いてみるか…。

2010/11/17

・しばらく日記を書いていなかったと思う。だからいまから書くのは、日記ではなく、前回日記を書いてから今日までの記録になる。日記とは1日単位で書く記録ともいえる。それは寝る―記録がある程度処理されて整理される―前に、記録を残す意味もあるだろう。晩御飯に何を食べたか、などというのは、たいていの人がすぐに忘れてしまうものだから。では、しばらくぶりに書く記録というのは、そういった忘れる処理を得て、なお残っているもの書く。書く瞬間の思い出す処理によって呼び出されるものを書く。そんな行動だろうか。

・日記を書いていなかった間、インターネットも使えなかったので、主にデスクトップ上で記録を残している。ただ、こういう風に考えや感じを書くのではなくて、行動を主に残している。そういう習慣をつけることで、少しずつものごとを進めて行きたいと思ったからだ。実際、少しずつものごとは進んでいる。一方で、そうやって記録できないような行動、つまり(おもむろに辞書をとり、成果を調べ、次に結果を調べ)結果はあるが成果としては数えにくいものもあって、それもまた大事な行動だと思っている。

・紙の辞書を使って言葉を調べるようになったのも、インターネットを使わない間に復活した習慣です。インターネットでも言葉は調べられるけど、紙の辞書を使うほうがより言葉を大事に扱える気がします。インターネットだと、ぱっと調べてぱっと閉じるという風に、どうしてもがさつに扱ってしまう。もちろん、インターネットが悪いわけではなく、僕の道具の使い方にあるのだと思う。

・ほかには、詩に興味が出てきたのも、この一ヶ月弱の間にあった変化だと思います。僕のことなので、おそらく、ゲーム表現について考えた成果のひとつだと思います。中でも、『たいようのおなら』という児童たちの詩集がとても良くて、10日ぐらい、毎日読んでいます。とにかく発想が抜群です。言葉の選び方や組み合わせがすごいのではなくて、太陽やお父さんやお母さんという、ありふれたテーマでここまで深いものが書けるのか、見立てるのか、という驚きがあります。たぶんこういう方向では詩人も子供には適わなくて、それで言葉の選び方や音の並び方をがんばるのだと思います。そういう詩集も、もっと読んでみたいと思います。僕はもう子供ではありません。

・紙の辞書も、詩も、言葉についてもっと知りたい、磨きたい、そういう考えがベースだと思います。たとえば、今日の記録では自分を「僕」と書いていますが、ここしばらくは「私」と書いていました。それも言葉に敏感になった結果、僕を選びとったのです。曖昧な記録や洗練していない内省には僕という言葉が似合う。僕の成果が私といえます。aimquestは僕のためのもので、私のためのものではない。

・途中から、僕、私、成果、結果という言葉を使って書いてみました。僕が良いと思う文章には必ずといってよいほど、心にひっかかる言葉がひとつはあります。叶恭子『知のジュエリー12ヶ月』だと、それは検討という言葉です。読んで以降、検討という言葉を使うたびに、彼女が真剣に何かを比べて選んでいるイメージが浮かんできます。

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