2010/09/29

・引越しの手続きが半分ぐらい終わった。荷造りもそろそろ開始しないと間に合わないので開始する。

・分かりやすくしなければならない。私が何をしたいのか、周りからは、雲みたいにぼんやりとしているのだと思う。 制作なら制作品を使って示すのが一番だとは思うけど、プロジェクトを立ち上げようとなったときに完成品を見せるわけには行かないので、別の方法が必要になってくる。

・さらには、自分がまだ何ができるか、何をしたいのかが、よく分かっていないのだと思う。初心者がオリジナルを過剰に追求しすぎた時に陥る状態だ。それで近頃は、芸術と呼ばれる分野で表現をする人に会うたびに、どういう風にものを作っているんだ、みたいなことを聞くことが多い。衝動で作る人と、考えに考えて作る人の2通りがいて、衝動で作る人に質問すると、大抵は考えすぎだよとたしなめられる。

・とはいえ、私は考えに考えて作るタイプなので、考えないわけにはいかない。とはいえ、私が考えていることをすべて人に話そうとすると、膨大だし、迷惑だし、どちらにせよ分かってもらえない。そもそも上手く説明ができない。とはいえ、自分の考えを分からないなりに説明することで、分かってくることもあるので、申し訳ないと思いつつ話を聞いてもらっている。とはいえ、そろそろ成果がほしい。とはいえ、考えがまとまっていないのに作ってもあぺぽぺみたいに破綻(現状は)してしまう。とはいえ、自分が好きなものを探って明らかにすることで、絞れてきて、まとまってくるのではないかと期待して、そうしている。とはいえ、時間がかかるのでやっぱり焦るのだけど、折り合いをつけながらやっている。とはいえ。

・上記のように、次から次へと、考えに考えつつも、思い詰めつつも、くよくよしたりへこたれたりあせったりしないように、注意しようとしている。ふと、ずっとそれらが不可分であったことに気がついた。時間をたっぷりとって考えることで、ネガティブな要因まで考えてしまい、そちらの道にはまり込んでしまう。そこで苦しみの風船みたいなものがふくらみはじめ、身近な人間関係をマイナスに考えたり、それこそネットやテレビのニュースだったり、あらゆるマイナスのできごとを取り込んで大きくなる。なんとかしてその風船をしぼませていると、時間がかかっている。またリセットされた状態で考え始める。こんなことを繰り返していた。要するに、考えすぎというよりは、考えが足りない、うまく考えられていないといった方が正しい。時間をいたずらに消費していた。考えるべきことを囲い込み、考えなくてよいことを追い出すような頭の動きができたら良いと思う。そうやって気をつけて、納得が行くまで考え、形をみつけ、成果が出ればいい。

・こんな調子なので、道のりは長いと思われるが、たっぷり考えるということの、大き目の不具合は少しずつ解消されてきているように思う。

2010/09/05

・日記にすべき内容がたまっていました。群馬に物件を見に行ったり、両親が神奈川に遊びに来ていたりしました。

・時間がある状態(自由)を、慣れさせなければならない。以前の時間の流れと違うところがあって、それにとまどって時間を潰してしまうことがある。ネットやテレビのような常に新しい情報を見せてくれるようなものを求めてしまう。

・たくさんの候補の中から決めること、絞ることが難しいのだと思う。特に、外からの圧力に頼らずに決めること、すなわち自分の責任で決めるというのは大変な力がいります。苦しいから知らず知らずのうちに避けている。でもこれは実践してものにする価値がある。さっそくいくつか決めた。必要以上にネットを見ない。それから、同じことを何度も悩まないようにする(ただし、あぺぽぺをのぞく)。特に、一度作ると決めたら、それを作るまでやめない。一ヶ月なら、一ヶ月それをがんばる。とりあえず粘ってみる。それがたとえ自分ひとりの制作でも。欲張り過ぎないように、一度にたくさん考えすぎないようにする。それが身の丈にあっている。丈を伸ばすにしても、竹の子ではもはやない。少しずつしかできない。たぶんすぐにはできないだろうから、それを可能にするための方法を探ること。

・やる気のようなものがすぐにリセットされてしまうのを何とかしたい。せめて、やる気がマイナスに落ちないように、できれば、ダウン幅をゼロの少し上のあたりぐらいでせき止めるような、そのくらいの落ち込みですむような、やり方はないだろうか。あるいは、いつでもそれを唱えることで、ゼロの少し上ぐらいまで戻ってこれるような方法。

・とにかく、何かを作って、それを人に見せないことには、何も始まらないし、いたずらに心配させるだけなのだ。作らなければならない。それしかない。それしかないと、言い聞かせること。それは動機には十分だ。もっと自分の環境を安定させないといけない。

・社会の平均的な行動なら、世間様が何度も言い聞かせてくれるから、耳を傾けるだけで(たびたびそれは面白くないことだけど)暗示がかかる。私にとってひとりでの制作が簡単に上手くいかないことは痛いほど暗示された。もはや暗くもなんともない。明示だ。今の自分の立場はそうではない。作って見せること、それしかないのだから、それについてはもう悩まない。両親と話していて、そういうことなんだと思った。受けるターンはもう終わりにしよう。今度こそ、私は集中する。

・両親の存在はありがたいし、まだまだ自分には必要だと思った。まったく別の価値観(古い価値観だったり、対立の価値観だったり、素朴な価値観だったりする)をシンプルに何度もぶつけてくれる。軽口も容赦が無い。言われたときはむっとして反発するし、よく考えてみても間違っている意見もあるけれど、しばらく経ったあとですごく冷静に今の問題を考えることができる。もやもやしていたり、浮かれていたりする頭の湿度や温度を下げてくれる。すぐに想像がつくけれど、この役割ができる人はそんなに多くない。

・不自由さが飛躍させる。ただしそれは時間的な不自由さであってはならない。

・ゲームという言葉とプログラミングという言葉を日本語で表現できないだろうか。そこから始まる気がするし、ドメインにもなる。

・ゲームという言葉や概念は、最大の関心事ではないのかもしれない。

・あまり精神的に追い詰めると病んでしまうかも知れない。しかし、あまり楽をさせても、時間が過ぎて成果がでないので、やはり病んでしまうかもしれない。それなら。

・みんなそう思っているのかもしれないけど、私の頭もぐちゃぐちゃとしている。

謝辞
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Shirado Masafumi