2015/08/05

・暑い。

・毎日暑い。

・毎日暑い生存。

・毎日暑い生存暑い。

・こう暑いから働きつつ、あまり無理をしないように生きてみている。熱中症は非可逆な症状と聞いた。まだ身を削ってスパートする段階ではない。

・孤独にたんたんと自分の主題に取り組んでいる人はどうしても好きだ。機会があるなら、そういう人と、うまく一緒に作り上げたい。これまでの成功と失敗を忘れずに、向き合って、成果を出したいものだ。ところで、おろおろする夏だ。暑さと闘いながら、働いて、本を読み、制作を加えると、時間がもうない。独り身で、しかも忙しくはしないように気をつけていても、こうなる。ますますしっかり時間を選ばなくてはならないのだろう。

2015/06/23

・毎日を夏休みの最後の日にする方法について。

・文体派は、思想が進むも、実践が進まないでいる。制作を夢中にさせる何かが足りない。シナリオや絵素材のような中身だろうか。あるいはテーマだろうか。単に弾み車が回るところまで粘って実装しなければいけないだけかもしれない。グロックしてしまわないうちに多作にしたいのだが、思い通りにはいかない。

・もうちょっと休みがあれば良いのだが、普通の週休二日。普通なんだから、僕の方が切り替えれるようにならなければいけないのかもしれない。もっとも、去年までは、仕事中は個人制作を諦めていたわけだから、十分に挑戦できているし、欲張ってはいる。それだけ中心にできると踏んでいるわけだ。

・手帳は順調に集まってきていて、もうすぐ200冊に達しようとしている。去年の今頃は4冊だった。こちらは十分すぎる成果が出ている。金額にして20万円ぐらい買っている。自分で言うのもなんだけど、良い趣味、良い道楽だ。ただ、もっと多くの人に届けるべき活動だと思っているし、届き得ると思っている。自分の知名度の低さが足かせになっているけれど、無名でもいけるはずのプロジェクトだ。地道に買い取りを続けつつ、伝播を高めていきたい。何かできるグロースハックはないだろうか。

・フォントがあと10〜100倍程度、気楽に出せるデバイスが現れてくれればなあ。少なくてももう数年は待たないといけない。それまでに文体派はしっかり助走させたい。

・それにしても、日記に書くことが、制作や活動のことしかない。良いんだか悪いんだか。デートのこととかも書きたい。ない袖は振れぬ。

2015/06/03

劇団ままごとの『わが星』がすごくて、90分中、30分ぐらい泣いていた。こんなに連続的にないたのは記憶にない。詩や文学がすきになったことで、センサーが強化されたのかもしれない。声を出して泣くのはかろうじてこらえた。劇が終わったあとインターネットに繋いだら、カープがとても受け入れがたい負け方をしていた。そして日記を書いている最中であるがテニスの錦織選手もピンチである。

こうやって、一日のうちに感激して高まったり、無様で腹が立ったり、期待が裏切られてがっくりきたりする。気持ちの良い出来事がつらい出来事に相殺されて、何らかのプラスマイナスに落ち着く。また、気持ちの良いことしかなかった日でも、つらいことしかなかった日でも、大抵のことは翌日になると半減している。そして、翌日に新たでフレッシュな感情のプラスマイナスが加えられる。それが毎日なのだろう。

例えば、野球なんてものはけっこう毎日試合があるから、長期的にプラスマイナスが加算され続ける。同じ日にサッカーと野球が重なれば、+2だとか、±0だとか、ー2だとかが発生する。小説やゲームや音楽の体験は比較的任意のタイミングでそこに加えることができる。これは僕のメカニズムではあるのだけど、スポーツ等の時間が決まっているイベントは外側から気分の上下をもたらす。結果についてはコントロールできない。もちろん、無視するか興味を失えばは除外できる。気分を賭けた勝負を降りるわけである。その勝負に負け続けて気分が落ち込むと、自分で本やゲームを用意して回復させることができる。そういうときは、良いと確定しているものを選ぶことにしている。堅い単勝の馬券である。反対に落ち込んでない時は、ギャンブル的なものに挑戦できる。こんな風に、解き明かしているわけではないので冗長に書くしかないのだけれど、こういったメカニズムを不思議だなと感じている。みんなどういう風に処理しているのだろう。Facebookで問いかけてみようかな。

錦織が1セット奪い返した。

『わが星』はすごかったけど、文体派は慌てなくていい。焦らなくていい。気にしてもいい。ライバル視はしてもいい。持ち込んでもいい。明日からまた作り始めよう。

『わが星』よ、僕の心に残れ。

2015/05/14

・1ヶ月がたち、引き続きローカルな日記は書けていない。それでも書くこと自体は減っていないどころか、増えている。書き物の多い1ヶ月だった。Rashomonの実装はまったく進んでいないけれど、人生はかなり進めることができた。ライフイベントが発生したわけじゃない。個人的な人生、といえば良いだろうか。

・これまでの自分を振り返りながら、自分が営んできたことを、書物やウェブサイトなどを引用しながら外部と接続して書いていく営み。引用らしい引用をやっているなと思った。援用でもあるだろうか。外部と結びつけられるのか、あるいはどう結びつけられないのか。どちらにせよ、外部の言葉、外部の人がいる。そうやって、初めて説明することができるのだと思った。

・10000字にも満たないものを書くのに、GWの90%以上と数日を注ぎ込んだ。もちろん、それらの断片は手帖に書いたり、日記として書いてたりしたもの、もしくは一度以上はすでに考えたことがあるもの。そういったものを外部の言葉と結びつけようとし、ときには適切な言葉を探すために書物の中に潜り込む。すべてこれまで読んできたもの、触れてきた世界である。印象的な外部の言葉が先にあり、その言葉を竿の先に括り付けるようにして経験や思考を釣り上げたりもした。論文を書いた経験はないが、こういう感じ、体験なのだろうか。

・こういった自分を外部に照らし合わせて総括するような体験は、人生のセーブという感じがした。記録に残すことでいつでもここからプレイできるし、次の行動が照らされるというものだ。

・手帳展が再び開催されている。今回は中目黒のPicaresqueで1年にわたり開催される常設となっている。それゆえに僕は常駐しない。今回は手帳たちを外部にさらして問いかける展示となる。外と向き合う1年になっている。摩擦はあるが、実感もある。それが外という空間なのだろう。

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