20090119

※連絡についてのお知らせです。アトリエにパソコンを持ち込んだ関係で、パソコンメールocnアドレスでの連絡が遅れます。土日しかチェックできません。mixiとhotmail、電話、携帯メールは毎日チェックしますので、連絡は以上のどれかでお願いします。また、土日は横浜のアパートにいませんゆえ、抜き打ちで遊びに来ないでください。ま、数ヶ月に1人ぐらいしか来客はありませぬが…。

・昨日、インターネットをしていたら突然再起動がかかって驚く。何かリブート系のウィルスでも踏んだのかもしれない。念のためavastのスキャンを実行したがウィルスは検知されなかった。ノートン先生でないとだめなのだろうか。

・そう思っていたら今日また再起動がかかって、やはりインターネットをしているときであった。そこでインターネットで調べてみるとマイクロソフトのサポートページに“[システムのプロパティ] の [起動と回復] ダイアログ ボックスにある [システム エラー] の下の [自動的に再起動する] チェック ボックスがオンになっている。 ”と書いてあり、確認したところ、チェックが入っていたので、さっそく外しておいた。毒をもって毒を制す。これで直るとよいけれど、そうでなければ、ウィルスに犯されているのかもしれない。

・ケールはまた一人抜けた。残り3人だ。自分がリーダーをやっているからしかたがない。時代に反して責任という厳しさを要求する。束縛とは違うつもりだが、息苦しさを感じるだろうし、楽しくないし、希望が感じられなくなるのも分かる。実際にはこういう原因ではないが、これらが底をはっているのは、間違いないだろう。向きあうということは逃げれないとイコールで、疲れるし、人を遠ざける効果がある。豊かさの時代にあって陳腐な要求である。私はこうやって大切な人から逃げられている。今後もおおむねその傾向だろう。ネガティブに言っているのではない。例外には期待しています。

・だが、本当に楽しむには、希望を見出すには、こうするしかない。冗談ではなく、そう私は思っている。そこそこに快適で、そこそこに楽しくても満足できない。すぐ手に入るものでは、退屈でつまらなくなるのは目に見えている。心の底から何かを得たいと思えば、厳しさや辛さを避けられない。もちろんそれだけではない。喜怒哀楽のすべてを要求する。自由と不自由を要求する。厳しさと優しさを要求する。マラソンを例に出せばありきたり過ぎて伝わらないだろう。要約することや簡単なイメージに逃げることは、役に立たないどころか害悪だ。

・結局のところ、ケールはどういう存在なのだろう。私がリーダーになった時点で、方向が変わったのだろう。単にわいわいと楽しい集まりではなくなった。それが良いことか悪いことかは分からない。ただ私の意思であったように思える。たとえば『ビジョナリーカンパニー2』では、組織を作るとき最初にすべきことは人を選ぶことである、と書かれている(ちなみにその次に組織の目的を選ぶ、と書いてある)。私は人は選べないから、その条件は無視した。そのときのメンバーという条件だけを条件にした。それがどうだ。何年もかかって、私は人を選んでいたのではないだろうか。条件は個々の才能や技能ではなかった。意志だけであった。広い家に一人でいる。そういうことを考えた。

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Shirado Masafumi