2010/08/04

・良い会話があった時は日記を書きたくなります。

・良い会話とは何だろうか。少なくても私にとっての良いについて。すぐに浮かぶのは、心地よさだったり、嬉しさだったり、楽しさだったり、豊かさだったりする。この中で少し前までは、心地よさという項目は入っていなかった。これと同じ意味ですが、ゲームに心地よさは求めていなかった。私にとって、会話に求めるものとゲームに求めるものはほとんど同じです。つまり、今まであまり気にしていなかった心地よさを会話にも作ろうとするゲームにも導入しようとしている。たぶん、潜在的には心地よさをまったく気にしていないことはないはずだけど、意識をあまりしていなかったので表現には苦労しそうです。これは見た目やゲームで言う演出に関心があまりなかったのと同じです。苦労するだろうな、と思う。受け手のことを考えていかないと、作ってもあまり意味がないのでは、と思うようになっています。

・良い会話の話から少しずれてしまった。再挑戦。楽しいと思った会話の共通点を探してみると、あまりタブーのない人と、ちょうどお互いが理解できるぎりぎりの調節をして、色々な話題を横断しながら、思ったことをそのまま言葉にできるとき、会話がすごく楽しいと感じることが多いです。話す内容は、心もち知識よりも思考を多めなのが好み。それで、会話によって、人間とか世界の真理みたいなのが感じられたら最高です。それに加え、これは少し贅沢な要望だけれど、ある程度の年齢に達した人間には、その人間のストーリーやスタイルみたいなのを持っていて欲しいと思う。ここでいうストーリーというのは、ただ思い出や武勇伝の筋を語るだけでなくて、そこに意思や観念が含まれているようなもの。筋のあるなしはあまり関係がないかもしれない。ストーリーを感じた方を、大人っぽいと思います。そうやって生きてこられたのだなあ、としみじみ感じ入る。

・作業を地道に続けていくこと、手を動かし続けることは大事だと思うけれど、会話も同じくらいに大事だと思う。関心が会話と作ることにほとんど集まっている。あとは、深く掘り下げた趣味がひとつあればいいのかもしれないが、今のところ無趣味です。制作に関連のあることばかりに興味が向いてしまいます。生きている中心とは(一見)関係がないところで夢中になれるものが趣味ではないでしょうか。

謝辞
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Shirado Masafumi