2013/09/23

・いつもどおり2週間ぶりの日記。ここまで規則正しいと2週間以上空いたら体調に異変があったことにしよう……。

・人生のテンポについて。短期戦と長期戦が平行して存在するとして、それぞれへの取り組み方。大きいこととたくさんのこととのバランス。無理なく欲張りたい。

・物語をもっと整理できなければならない。整理もしくは編集。一度見た映画のストーリーを思い出して書き起こすようなしっかりとした風景の運びがほしい。いきなり書き始められる人は、たとえば夢をみるように風景が頭に広がってそれを逐次書き写すような感じだという。それも正確さと整合性をもって。

・これらにアプローチするには、2つ思いつく。ひとつは、起きている最中にも夢を見られるようにすること(『夢の操縦法』という本をそれで借りたのかもしれない)。もうひとつは、物語を極限まで抽出して整理することだろう。どちらの方法にしても、執筆はそれこそ書記に近いのだろうけど、特に整理の方法をとった場合は自明を書き写すだけになるので執筆者は退屈かもしれない。しかし、その退屈を受け入れようと思っている。いくつかの作品を作ってみて、制作のすべてのパートがときめくものではないことを経験したし、納得している。

・力で起きている最中に夢を見られるように、ソフトウェアで補助できるだろうか? (たとえばミステリのような)物語を極限に整理するのに、ソフトウェアで補助できるだろうか? これらのツールがもしできるとしたら、自分(あるいはごく近しい人)専用の道具になるだろう。そしてその道具を作ること自体が創造的で、その構成論的なアプローチによって(反復気味だが)自分自身の創造性を発見していく過程になるだろう。またおそらく、これらの道具を作るのは予測不可能な時間がかかるから、別の作品制作と平行して進めるべきだろう。さもなくば私は今後何も世に発表することなく終わってしまう可能性が十分に高まる。

・(サウンドのボリュームつまみをひねるように)他人を自分に快適なように調節しようとする人がいて、そういう人は自分を隠しつつ相手を知りたがる。自分中心の世界というとネガティブなイメージになるが、自分の世界を作っていくと言っても良い。世界のバランス調整にかなりの労力を費やす。そんな人は、実際の人間関係をツイッターのフォローみたいに制御できればと思っている。他人に興味がないというのを少し詳しく冗長にいうと、他人の世界をプレイすることに興味はないが他人に自分の世界はプレイしてほしい、と言えるかもしれない。

・一方で、できることが多い今の時代、好きになった相手に対し一直線に最優先に向かう人はそんなに多くない。小細工も駆け引きもない。人の世界に入り込んで冒険をするプレイヤーだ。それをすがすがしいと思った。

・(要するに今これを書いている自分は)人間関係を世界の作り手と遊び手に分けて考えたのだろう。もちろん、1人の人間が作り手であり遊び手であり、そのバランスもさまざまである。2人の人間関係は、お互いの世界をプレイしあい報告をし世界を再調節する営みの繰り返しだ。

謝辞
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Shirado Masafumi