2016/09/24

・夜も涼しくなってきた。夏と同じ格好だと寒いぐらいだ。そんなことを書きたかったのではない。でもふと書いてみたくなったのだから書いてはおく。日記を書いてみたい感傷的な夜です。

・引越しの荷造りがだいぶと終わった。梱包以外の作業はあらかた終わり、梱包も8割程度終わっている。部屋はダンボールにあふれている。それが不思議と心地よい。モノが減ったからだろうか。それとも単に部屋の様子が変化しただろうか。着想を得たり構想を練ったりするのによさそうな夜です。虫の音も良い。

・日記から浮気をして、パソコンの様子を見たり、ツイッターを見たりしてきた。ポケモンGoの気分ではない。もうすぐ引っ越すと思うと、寡黙な相棒のようだったこの部屋との別れがさびしい。部屋だけではなく、よく行くスーパーや散歩コースにある古墳とも別れが近づいている。しんみりとする。6年。自由が目的で高崎に来たけれど、実際自由にやらせてくれたと思う。車がのさばっているところは最後まで気に入らなかったが(歩行者より車のほうが多いのです)、大きな事故もなく去ることができそうだ。

・新しい環境では同棲が始まる。いままでルームシェアや社員寮など誰かと住むことは何度かしたけれど、同棲は初めて。気が合わなかったらいつでも離脱できるルームシェアと違って、仮に問題があっても向き合い調整しながらなんとか楽しくやっていくことを目指すつながりであるから、気が引き締まる。楽しい別居なら言いけど、そうじゃないのは。増える自由、減る自由、手放す自由、獲得する自由があるだろう。ともかく楽しみにしている。

・ゲーム作りなどの個人制作を再開したい欲望への対応は住環境が落ち着いてからになりそうだ。落ち着いたときに欲望がどうなっているのか。それもまた自身を眺めてみたいことのひとつです。おそらく、きっと、増えることだろう。それならば、仕事の切れ目と、十分な構想の準備とを同期させたい。

・大江千里。

・同じ不動産、同じ部屋でも、その部屋に日常の何割居るのかで気分や体験がまったく違ってくるのが面白い。高崎の部屋はこの2年ぐらいあまり帰れなかったところ、一番自分の部屋の形をしているのに別荘みたいな感覚になっていったのだった。新しい住まいは一体どんな感覚を自分にもたらすのだろう。

・実装ができないぶん、構想、いや着想を繰り返している。持ち込むこと、見い出すこと、文体。この3つが大きな柱になってくる。おおよそゲームらしくないキーワードで柱だが、できあがったものもこれらを感じさせるものであってほしい。抽象的にはだいぶと方向が定まってきている。ゲームでも手帳類と同じような鮮度を人々に与えたい。だらだら遊ばれるのは嫌だ(といま文章を修正していて気づいた)。

謝辞
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Shirado Masafumi