2008/02/17

・×△○○○○×。 昨日朝まで作業してしまい、 起きたのは午後過ぎ。 それでも気力的には問題なく、 おきてからWEB文章の手直し。 そこそこできたので、 一旦公開する。 文章コンテンツはちょこちょこ更新して内容を高めていくことにした。 まだそんなに訪問者が多いわけではないし。 外堀を埋めるつもりでいく。

・T-Timeの作成に取り掛かった。 ごく小さいアプリケーションだから3日ぐらいで作りたい。 と、 思っていたが、 今日は完成度10%ぐらいで終わってしまったから、 どうなるか。 遅い代わりにリファクタリングが進む。 もしかして、 作るより整備するのが好きなプログラマになっていないか。 とはいえ、 速度以外は順調に進んだ。 にやにやしながら作っている。 それで遅いのかも。

・そこそこ規模のゲームをひとりで完成させるならば、 少しいかれた生産能力が必要になる。 もう5年もプログラマをやっているけど、 私にはまだまだ遠い。 大きな壁であるが、 さてどうアプローチしたら良いのだろう。 かれこれ似たような問題がずっと前から存在しているが、 問題の形は常に変化している。 問題をこねてこねてこねまくっている。 鈍行にもほどがあるであるか。 ぐちゃぐちゃだ。

・シューマイさんの動向が楽しみ。 負けじと楽しみを与えたい。

・現在のベクトルがそのままのびた未来を想像したら、 仕事もプライベートもさらに時間を奪われそうだ。 いまでも時間は足りていないと思うときは多いが、 現在から未来にかけて、 いまほど時間がある時は無い。

・『笑いの力』を読んだ。 笑いは良いねえ。 何が良いかというと人間らしい行為であること。 すなわち高度で奥が深い。 悲しみと笑いが隣り合わせという指摘に驚いた。 確かにそういうときもある。 また、 私の現時点での笑い観を確認できた。 テレビのバラエティがつまらないのは、 笑うタイミングを指示しているからだ。 笑いとはタイミングだ。 間だ。 それはひとりひとり異なっている。 劇場にはほとんど行かないが、 劇場での他人の笑いと間が異なるのと、 テレビの笑いと間が異なるのは、 私の笑いに与える影響は異なるだろうか。 それから、 芸人が素人をいじるのもあまり好みではない。 特に真剣な素人を笑うのは不快に感じる。 笑いを生業とする人間は、 自身が笑いを与えるべきだと、 私は感じているのだろう。 素人をいじりだしたら、 もはや芸人とは呼ばない。 というか、 それを始めたら、 その芸人は確実に面白くなくなってきている。 おそらく本人も自覚があるのだろう。 球速のでなくなった投手と似てはいるが、 技巧派にもなっていない。 芸人は下っ端でいるべきだ。 お給料は多くても良い。

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Shirado Masafumi