2010/02/16

・『あぺぽぺ』。なんど日記の冒頭にこの言葉を持ってきただろうか。そろそろ100回目ぐらいかもしれない。制作チームとどれくらい同期が取れているか、分からないが、私ひとりで見ると、視界がかなり開けてきて、それと同時に緊張感も生まれてきた。これから生まれるんだな、と思う。彫刻に例えてみる。例えなくても良い。かなり荒い部分は削られた。プログラムを書かなくてもここまで削れた、という感覚がある。プログラムを書くことでも削れたらよいと思う。この2つの道具は、両方とも使いこなしたい道具である。削るための道具。以前、私は、粘土を捏ねて捏ねていると、書いたかもしれない。それは何かをつかむためだったかも知れない。何かをつかんだかもしれない。捏ねるだけでは先に進まないという体験を得た。削る。

・少しキーボードを止めた。もう一つ別の感触もあるような気がした。それは囲むこと。柵を立てて仕切るかのような行為。追いかける。追い詰めていく。削るのと同じ結果が得られるのかもしれない。対象を狭めたり、小さくしたりする。書く。私にとって書くこと、もちろんほとんどは言葉を使って書く。これは削ったり、追い詰めたりする行為だ。作るものの姿を狭めていき、同時に逃げられないようにするための。

・緊張感を共有したいと思うのは、良いことかもしれないし、コミュニケーションには悪いことかもしれない。慣れない人にとっては特に良くないことなのかもしれない。しかし、完成させるために、この緊張感は役に立つ。日によってはあまり無い日もありそうだが、できるだけまとっていたいと思うし、生成したいと思う。容赦はしない。自分自身に対して。孤独になろうが、体に悪かろうが、これは扱えなければならない。私は今からずいぶんと強くならなければならない。さもないと、いつまで経っても、何もできやしない。それは嫌だ!

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Shirado Masafumi