2011/03/08

・隠居みたいな生活をしているのに、誕生日をたくさんの方に祝っていただいてありがたい。

・しばらくの間、良いなと思ったものや好きなものを、絵、文、音、映像などフォーマットを問わず記録するようにしている。文といっても、誰かのつぶやきだったり、文句だったり、自分の感想だったり、思ったことだったりするし、絵と言っても、写真だったり、グラフィックだったり、はては自分の夢のスケッチだったりする。これらがいつか役に立つような気がしはじめた。引き出しを広げる、と呼ばれる。

・そうやって記録していくと、良いものなどいくらでもネットで探すことができるようにも思えた。良いものであふれている。だが、その良いものの中で、さらに厳しく見ていくと、本当に良いものや自分にとって好きなものはあんまり多くないというのが分かった。そうしたときに、もっと探すべきなのか、そもそもないのかが分からない。あるいは探すより作るほうが早そうだ、という感覚も生まれてきた。

・ただし、言葉については例外で、知らない良い言葉がたくさんある。知らない言葉というのは聞いて意味が分からない言葉ではなく、文章を書くときに自分が思いつけない言葉という意味。良い言葉として認識していない。もちろん、まったく知らなかった言葉と遭遇することもまだまだ多い。

・本来はこういった確認は、お勤めをしながら十分に行われていなければならないのかもしれない。周りを見ても、みな私より、自身が好きなものをよく知っている。私も好きなものは用意していたつもりだ。しかし、表現するのに十分な数がなかった。少ないものを無理やりくっつけようとすると不自然になるし、難しい。

・頭数が足りない原因は、好きなものを、だれも知らないものの中から探してきて選ぶようなところがあったからだと思う。一方で、好きなものを最後にとっておく、最後に食べる、みたいなところもあって、収集するという視点でみれば、回り道をしたように思う。ただ、今それらを新鮮に味わって吸収するためにとっておいたとも言える。今それらをむさぼっている。

・むさぼっていると、好きなものの数が、本>音楽>ゲームの不等式になっていると分かった。ただの感覚なのだが。特に、ゲームの一部のジャンル(例えばADV)では、とっておき(未プレイかつ好きなもの)が絶滅しかかっている。だから、自分でこのジャンルのものを作っていこうと思っている。作品という固体の数を増やさなければならない。理由付けがひとつ増えてまた少し強固になった。

謝辞
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Shirado Masafumi