2011/09/27

・詩を扱うサイトがだいたいできた。手元ではもうできていて、サーバにもアップロードしているのだけど、サーバが不調でまだろくに使える状態ではない。ただ、サーバの管理者が調整だけしてくれたら、私が何もしなくても、もう動く。

・日記というよりは、新しく作ったこのウェブサービス(『万葉拾遺ポスト』というのだが)とは何か?を自分の中で書きながら整理していきたい。草案を書く気持ちで書いているので、全体としてはぼやけた印象になるだろう。これを元にもっと、プレゼンショーン的な文章を作っていきたい。

・万葉拾遺ポストとは、投稿した文章が縦書きになるサービスだ。その文章は掲示板やブログみたいに共有できる。投稿する文章は何でも良いが、縦書きの文章は、次々に流し読みする文章ではなくて、ひとつひとつをじっくりと鑑賞する文章にぴったりだ。また、そういう文章が映えるように、ひとつの文章(詩)単位で表示するようにしている。詩といっても、広い意味で、文章なら何でもいい。俳句。短歌。自由詩などいろいろあるだろう。

・話は戻る。もし大量の情報の洪水に浸かっていくのがウェブの醍醐味なら、ひとつずつ文章を読んでいくのろまな『万葉拾遺ポスト』は、ウェブの文化の中ではマイナーなサービスだ。その代わり、投稿した文章ひとつあたりの味わいの平均は、他のどのサイトよりも高いものにしたいと思っている。それも、投稿する人に文章のスキルは要求せずにだ。投稿する人が素直に素朴な文章を投稿しやすいようなサイトにしたい。変なかわいさとかかっこ良さはいらない。万葉集のように素朴さを良しとしたい。ちょうど一ヶ月ぐらい前に初めて詩を好きになった僕みたいな人間に楽しんでほしい。そこに詩の上手い人が1割ぐらい加わってもらって、選者を募り、時代を感じられる詩集ができる…というのが青写真だ。

・今回のサービスは前のNINMARIよりもっと地味なサービスなので、広告するのが難しい。だから、とにかく、簡単に使ってもらえるように工夫した。他の機能を少し犠牲にした。ただ、携帯電話(スマートフォンを除く)では見れないので、そこだけが足りていない。とはいえ、基本的に横書きのコンピュータ、それも解像度の低いモニターである携帯で、どこまで詩を味わってもらえるのかは、イメージができない。

・なぜイメージできないかというと、体験が作れないからだ。万葉拾遺ポストに投稿したり読んだりすることは、ツイッターやブログや掲示板やケイタイ小説とは、読むという体験が違っていてほしいと思っている。また、画像や写真に文章がついたものとも違っていてほしいと思う。それで、その違いを携帯で作れるのかが、そこはまだイメージできていないから作れない。確認用としてのサイトなら少し勉強したら作れるけれど。

・地味で広告はしにくい、と言ったけれど、たとえば人と会ったときに「こういうものを作ったんです」とは言いやすいと思った。誰にでも勧められるし、特に言葉がすきそうな人にはしっかり伝えられる。その点はNINMARIより説明しやすいと思っている。迷惑かもしれないが、サーバが動いたら、過去にもらった名刺のアドレスに宣伝を送ってみようかと思っている。

・最後に、ツイッターや掲示板と違うのは、あるいは他のウェブサービスと違うのは、サイトの寿命にたいする予想や期待だ。仮にそこまで反響がなくても、ひとつひとつの投稿がよければ、長く生き続けられるサイトになると思う。それこそ、万葉集の思いをこめて作ったサイトだからだ。個人作品として、使い捨てのサービスや作品を作ろうとは思わない。

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Shirado Masafumi