2012/06/30

・昨日で骨作りが100%に達した。最初から最後までの物語が1本の骨になった。分岐処理やフラグ管理なども含むので、小説よりも骨っぽいです。骨作りの最中に思いついた人物や世界の設定も多いので、少なくてももう一回は全体を見直すことになる。すでに知人の反応でキャラクターを大きく変更する人物が出てきた。この骨がどれぐらい役立つかは、今後の制作で見ていきたいと思います。小説やシナリオを書ききった経験がないので、すこしできた感があるのは確か。(プログラミングに浮気せず)1ヶ月それだけに取り組んだのも初めて。

・ここから仮絵をいれたり仮音を入れて雰囲気を見てみようと思います。楽しみです。それが終わったら、どうしても目に付いた部分を直して、友人知人にα版としてテストプレイしてもらおうと思っています。自己満足的な意味での芸術にしたい気持ちと商品にしたい気持ちが半分ぐらいずつあります。テストプレイは商品にしたい側の気持ちの表れです。

・骨組みを作ってみて、"自分のストーリーを自分が知らなければ、他の誰も知りはしない"という言葉がすこし分かった。自分のストーリーを最後まで知ること。つまり、最初から最後まで確定させること(修正するにしても、確定させてみること)。

・α版までにしたいことで、もやっとしているのは、何がしたい作品なのか?何を楽しんでほしい作品なのか?をもうちょっと突き詰めて考えて強調すること。せっかく個人で作っているので、できれば、とがらせたいです。たぶん、頭の中にはあるから、取り出して整理すれば良い。

・先日、ひょんなことからヌードの写真作品集をインターネットで見る機会があって、少なくても6月のインプットでは一番印象的だった。それを見るまでは、(頭では否定しつつも)ヌードは結局大衆的な卑猥さがあるかだろう、という気持ちがどこかにあったので。見るきっかけになったのが、ヌードの被写体の人だったので、その人越しに写真を見れたのも体験を強化した。まるで、初対面の女性の目の前で女性本人のヌード写真を見ているかのような緊張感があって真剣にみた(鑑賞と言って良いと思う)。

・ヌード見たの続き。純粋そうな友人が、舞台の上で官能的な役を演じているのを見たのを思い出した。見ているとき真空状態だった。卑猥さとは別の状態で夢中で見ていた。少なくても、体の一部分で見ている感じはなかったか、それどころじゃなくて、気づかなかった。ドラゴンクエストⅡを初めてプレイしたときもそうだった(あまりに夢中で、その様子を見ている両親がとても心配したそうだ)。食欲とか性欲とかのありがちな本能をオーバーテイクする体験が好きだ。インターネット越しにそのような貴重な体験ができるのだとわかって良かった。世界が立ち現れていたのかもしれない。体という世界、みたいな。

・純粋に良い体を見るのは良いと思った。老年のバレエダンサーの人生が刻み込まれたような体に衝撃を受けたものだし。自分自身について言えば、自分の体は、プログラムのコードであったり、今後作るものであったりすると思う。一番見られることを意識するものがその人の体なのだろう。

謝辞
Picnic CSS
T.T
©
Shirado Masafumi