2017/12/24

・仕事をやっていなくても月に1度程度のセーブになってしまうのか。1週間に一度を目指していたのに。

・印象として、12月前半は、手帳類図書室のサイト(Wordpress製)の直しと研究会の発表資料作成をやっていた。研究会が16日にあり、17日は忘年会的な催しがあって、18日から本当の意味での休みが始まった。そこから1周間ぐらい空いたことになる。これから確認してみるが12月前半も100%取り組んだとは言い難い。せいぜい60〜70%ぐらいであろうか。それでも安定して6,7割取り組めているところが例えば30歳直後の頃よりは随分と良いペースである。

・それは適切な〆切であったり目標であったりが自然と設定されているからでもあるだろう。えりさんがほぼ毎日「今日は何やったの?」と聞いてくれることでもあるだろう。周囲の人々が成果を出しておりそれに対する焦りでもあるだろう。気合を入れて日々取り組んでいるというよりは、「やらないとまずい」なる消極的なエンジンで動いていると言って良い。それを構築するのですら簡単では無いのだが。

・次にChangelogやTrelloのログを見て振り返ってみよう。答え合わせの前に思い出した。BSテレビの取材対応とラジオ出演と雑誌修正対応があった。出演以外にも準備や連絡などもあるから、それぞれ1日の作業とみなす。研究会の資料作成(2万字ほど)に7日、サイトの直しとWordpressの勉強に4日と合わせて14日は作業していただろう。これで半分ほど。あとは2日ほど作業を忘れてよいオフの日があったはずだ。

・それから職務経歴書のアップデートがあった。過去の15年分ぐらいの仕事を振り返ったので1日作業時間分ぐらいかけた。多くは忘れていたし、最初の10年ぐらいの似たような仕事の繰り返しにがくぜんともしたが、基礎固めと解釈するしかあるまい。もっとも基礎がどれぐらいついているのか大いに不安である。せめてコンピュータ・サイエンスと数学をしっかり身につけておけばよかったものを……と嘆いてみたところで、当時はまだその必要性が分かっていなかったし感じられていなかったのだから、どうしようもない。先回りして勉強しておくなど僕には不可能だ。

・技術的なところだと、Markdownの書き方やVS Codeでの記述→出力の学習もしている。WorkFlowyを実作業で使ってもみた。これまでのサイト作りよりもデザインの指定が多かったためCSSも実践的に学んだといえるだろう。ウェブサイトのリダイレクトを.htaccessで書くことも試した。生活面では、税金周りの手続きや、検便、トイレ詰まりなどの対応も慌ただしかった。ログをみていると細かい返信や手帳の買い取りなどが日々の時間に響いているという印象もうける。AIに返信を任せられたらだいぶ変わってきそうだ。ログを見ていくと、後半はまずまずだが、前半に3日時間ぐらい空白があるようにも見えた。さらに見ていくと11月末を〆切にしていたタスクが溢れて12月前半に作業していたようだ。11月のせいにしよう。

・忘れてはならないのはゲームのプレイ時間だ。1日2〜3時間プレイしたとすれば少なくても3日時間にはなる。『冒険者ギルド物語2』に加えて『宇宙戦艦大作戦』も並行してプレイした。遊ぶことと向き合うつもりではあったが、遊びすぎたかもしれない。遊びのフォームを取り戻した、といえばかっこよいだろうか。取り戻したと思ったら仕事が始まるのも悲しいことではあるが、この感覚を覚えておき、次は1週間で取り戻せるようにしたい。もっとも、取り戻すには新鮮で夢中になれるゲームの存在が不可欠ではあり、とっておきをプレイしてしまったので来年以降が不安でしかない。

・フォームを取り戻した感覚があったからこそ、手帳類は来年もたいへん遊べる良い企画から始めることができそうだ。この感覚は覚えておきたいのであいまいではあるが記した。遊ぶことと向き合うのは来年も引き続きテーマになるみこみ。

・残り10日ぐらいの休みを悔いなくすごしたい。年度末の行事や生活周りの作業が半分ぐらいにはなるだろう。そうするとほとんど休みがないではないか!(多くの人はそれでも多いと言うのかもしれないが……)

・これを持って12月のセーブとしよう。もしかしたらもう一度セーブできるかもしれないが、今年の感じだと新年になっていそうだ。

2017/11/28

・仕事をやっていないのだから、より日々のセーブが重要になってくるはずであり、週に1度はセーブしようと思っていたのに3週間が経っているとは何事だ。

・直近の2週間はWordPressをやっていた。手帳類サイトのリニューアルに使うからで、使ってみるとどうしてなかなか良いツール・ソフトウェアではないか。もう15年は経つだろうか、このサイトは専門学校時代の友人が作ってくれたものを手直しして使っている。それもあってWordPressなどのソフトウェアには手を出さなかったというのもあるが、良さがよく分かっていなかったというのもあるだろうし、何よりもよく分かっていなかった。やってみると面白いものだし、Wordpressという思想やつくりがよく感じられる。正しくできるかはさておき理解してきているのだろうし、おごりかも知れないがおもったよりも理解できるものだと思うし、Wordpressの理解を通して理解という現象を楽しんでもいる。

・ただ、ウェブサイトを作る以上、理解を楽しむだけではいけない。見ている人に伝わることが大事だし、見ている人がどう見ているかとか何を感じるかとかが大事になってくる。簡単に言うと、見栄えが大事だということだが、相変わらずそこらへんの感覚は薄いと感じる。人間のサイズを測らないと行けないのにものさしの単位が10センチとか17センチだとかだと話にならない。ある種の美に対するものさしがこんな感じなのだ。大事だと頭では思うが、心では思っていないのだろう。だから、そこは人に助けてもらうしかない。手を動かしつつも、頼ることが一番大事な作業になる。

・さて「他人の手帳を読む会」が終わってから、WordPressに取り組む前の1週間〜10日ばかりは何をしていたのだろうか。セーブしようにもすぐに思い出せないのは果たして良いことなのか。しかたがないからログを見てみるとしよう。

・11月4日。この日は11月の時間割を作ろうとしている。これは良いことだ。自由な時間はコントロールが難しいのは何度も経験しているつもりだ。

・11月5日。まだ時間割を作っている。Trelloを思い出しながら、というのもあるだろうか。「他人の手帳を読む会」に来てくださった方にお礼のメールも送っている。手帳類の取材対応も行っているようだ。11月6日。手帳類の取材。ピカレスクで数時間過ごした。『システムのはなし』(大村 平)を読み始めている。まるまる1冊システムについて書かれた本で少し古いがシステムという言葉をしっかり覚えて唱えたかったので買った本だ。続きを読まねばなるまい。『冒険者ギルド物語2』は毎日頑張ってプレイしている。クリアすべきシナリオや倒すべきボスについても時間割に書き込んでみている。夢中になりすぎてコミュニケーションに悪影響がでないと良いが。

・11月7日。自宅の作業環境の見直しにはいっている。スタンディングデスクを導入すべく調査に入った。それにともなってキャスターが壊れた椅子を捨てる決意をした。上の階の騒音が気になってしかたがないので、耳栓やイヤーマフについても調べている。11月8日。請求書を発送しているが対して何もしていないとログは言っている。11月9日は千葉県の佐倉まで「1968年」-無数の問いの噴出の時代」を見に行きカタログを買って満足した。良い問いが多くあったし、手帳類的な私的記録も多々あり。帰りにイケアに寄ってスタンディングデスクを見学した。11月10日。職務経歴書の更新を行っているが『冒険者ギルド物語2』の更新が目立つ。要は遊んでいたのだろうか。

・11日は「WorkFlowy」というオンラインのアウトライナーを触ってみた。アウトラインを思考ツールとして使う本とセットで試してみたが具合はいい。アウトライナーは今後も使って思考を書いてみたい。マインドマップとは又違った編集性がある、と言えばよいだろうか。12日は手帳類の打ち合わせがあった。

・前後するが11月11日〜12日にかけて『インタビュー』(木村俊介)を読む。13日にはインタビューに関するはなし会があるためだ。『インタビュー』、自身は大変面白く読め、これまた根拠のない話ではあるが作者の文体世界に入り込んでいった。水中に潜るようなところがあるのか、一息で読める単位で少しずつ半年近くかけて読んでいった。本を書くことがあるなら真似したい文体だとも思ったが、翌日(13日)のはなし会においては同著を読んだ3人が最後まで読めなかったという。繰り返し同じ話が書かれている無限回廊のような印象があって苦しかったのだという。もしかしたら僕はそういった目眩を楽しんでいたのかもしれないし、手帳類の読みを通してクリアでない記録を読むことが得意になってきているのかもしれない。13日は椅子を捨てた。捨てられている椅子を見て悲しい気持ちになった。どうして椅子はあんなに存在感があるのだろう。

・11月14日は辿ってみて一番記録が少なくよく分からない。サボっていた可能性がもっとも高い日だ。

・ここまで書き出してみて2時52分。こんな時間にもなったしセーブを終了する。

2017/11/05

・前回の日記から1ヶ月と少し。前々回の2ヶ月空いてしまったのよりは良い。ここまでの記録をセーブするとしよう。

・記録と言っても、色々なものがあるだろう。行動の記録、思考の記録、感情の記録、備忘の記録、可能性の記録……といった風に。それらが時間や因果によって刻々と変わっていく。時間よりも因果に興味があると知人の方が言っていたので試しに因果と書いてみたら、意外としっくりくるではないか。

・手帳類のほうは「他人の手帳を読む会」が無事終了した。道中は、誰も来てくれなかったらどうしよう、アイドルじゃないから集客はきついか、などと苦しみはあったものの、結果的には敢行して良かった、と言えるものになってくれた。山下メロさんを始め、来てくれた方々に感謝したい。解釈のライブは正直、まだまだだったなと思う。物心ついてから緊張型だと自覚しており、これまでライブや即興、試合といった、瞬発力を避けてきたのだから、当然の帰結というところもあった。パファーマンス/演劇を学ぶべきだとも思ってはいた一方で、これまで私的手帳類をたくさん読んできた蓄積で戦えるという期待もあった。完勝でも完敗でもない結果が出たという感じがしている。

・11月になり、かねての計画通りに最低1か月の無仕事期間に突入した。これまで何度となく無仕事期間を設けてはきたが、時間を大事にしたい気持ちがかつてないほど強まっている。今回はTrelloなどで、「勉強」「手帳類」「生活」「個人制作」「外部刺激」といった項目を作りスケジュールを組みたてつつ、過ごすことにした。出だしは良き日が送れているが、実行項目の合計は時間をオーバーしており、今後はどれかを諦めることも出てくるだろう。中途半端をどうするか。よしとするかだめとするか。どういう配分にしたとてマイナスではなくプラスではあるのだがより効果的な組み合わせを見つけたい。

・『冒険者ギルド物語2』はしっかりプレイしていかなければならない。タイミングをはかったように7章がアップデートされたではないか。毎日最優先でプレイしているがまだ5章である。すごいゲームだ。プレイしながらこのゲームが世界のシステムをよく投影できていると関心せずにはいられない。唸ってしまう世界の投影と言えば有名なゲームですぐに思い起こせるのは『ドラクエ3』の遊び人と賢者の関係だ。

・よく遊ぶということを夏ぐらいからがんばっている。遊ぶことは自発的なものでなければならない。自発的であれば疲れる遊びも遊びであろうか。

・スポーツマンシップを参考にしつつ、プライベーツマンシップを提唱した。手帳類の解釈を通してそれを実践できる。

2017/09/30

・さまざまなことはあったのだろうが、日々の記録が2ヶ月以上も空いてしまうとはどういうことか。それだけ腰を落ち着ける時間がなかったということか。腰を落ち着ける時間がないとはどういうことか。日記を書く時間がまるでなかったというわけではないのだ。仮に時間はあったとしても腰が落ち着くような時間はなかったということだ。腰を落ち着ける時間を増やさなければいけないのではないか。

・ゲームに回帰したい気持ちが高まりを続けている。手帳収集プロジェクトはゲームとかけ離れたものではない。むしろゲームである。とはいっても、無限ゲームではある。回帰したいゲームとはなんだろうか。おそらくコンピュータを使って作られるプログラミングベースのゲームということであろう。

・いまゲームを作るなら、何を考えて何を実装して何を届けるべきだろうか。それぞれの思考、整理、実装をうまく行えるだろうか。以前よりゲームという枠組みが広がった気もして、よりいっそうゲームづくりは困難に思える(特に時間的に)。でも取り組んでみたいとも思える。ある意味迂回してゲームにたどり着くということだ。どう迂回し、逸脱し、見い出し、たどり着くか。

・『冒険者ギルド物語2』は面白い。とっておいたゲームだが、面白いのはいいが、とっておきのゲームがなくなってしまい、セーフティネットが失われてしまった。確保は急務だ。

・飯田和敏さんが「ゲームから哲学が失われてきた」的なことを言っていた。失われてきたのは21世紀になってからのことだろうか。ネットを媒介としたゲームが多く生み出され、スマートフォンという日常やコミュニケーションと一体化したデバイスでのゲームが数多く生み出され、三宅さんが言っていたように思うが「軽いゲーム」になっていった過程もあるだろう。ドミニク・チェンさんは「ゲームのセオリー(ゲーム理論)であって哲学ではない」と言った。デビッドオライリーさんは「ゲームには5次元目=可能性の次元がある」と言い「一貫性が大事」とも言った。どれも正確な引用や発言ではないが僕が受け取った形を示すために「」をつけた。ゲームに哲学はあるのかという問いは、ゲームと作家性の問題とも重なるだろう。

・哲学とかセオリー(理論)とかの言葉を正しく僕はまだ使えないが、防御が硬い敵にシルクエでいうボル(ドラクエ1で言うギラ)の呪文を適切に選択できるように、哲学、セオリー、メソッド(も加えてみる)などの言葉を呪文として自在に使いこなせたらと思う。使いこなせるというのは、それらの言葉が含まれた内容を、しっくりとスムーズに読め、しっくりとスムーズに書け、しっくりとスムーズに聞けることだ。

・少なくても上記の発言の数々は僕が面白いと思うゲームが少なくなっていったことを裏付けてくれるものでもある。一貫した理論、逸脱した理論、などをゲームから感じ取って楽しみたかったのだろう。それは正しくなくてもよい、完全に理解できなくてもよい。やむをえず誰かが書いた手帳や日記を読んでいった、という事情もあったと言えるはずだ。殺菌消毒されてのどごしだけが残ったような食物をたべたときに心地よさの後にやってくるむなしさ。物足りなさ。もちろんそれらを備えたゲームがないわけではない。だけれど、軽さにとどまらないプレイの可能性を備えかつ売れるゲームを導かれたときに、僕の身体や感性と一致していない市場へと向かった。バイオレンスのアクションの方向やハイレゾな方向は、僕はあまり欲っしない。だからこそ、ゲームの外に摂取を求めた。

・おおよそ僕はこのように思っており、今後どのように振る舞えばよいかも自ずと導かれそうなものだ。手帳類がさまざまに展開することでプロジェクトという生態系に少しずつ書き手や読み手を取り込んでいったように、ゲームもまた僕が望む解釈や見い出しを中心とした静かなゲームを打ち出したり発見したりして作り手たちを誘っていかなければならない。そうやって僕が欲するゲームを確保する。それもまた生態的な無限ゲームのひとつの働きだろう。

・日常の行動についてのセーブがあまりできなかったが、今回はこれでいいだろう。セーブは少なくても月に1度は行わなければいけない。せっかくの行動や思考がリセット(巻き戻って)されてしまうから。

謝辞
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Shirado Masafumi