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・王子の遊び総合研究所の研究員になった。実体はまだないが、遊びに関する研究を行い、1年後に発表することになりそうだ。「遊び」とは何と捉えどころのない、広大な、分からないものか!すぐに成果を出せそうもない。よって感覚や思考をメモするところから始める。

・遊びをめぐる冒険。挫折している『あぺぽぺ』も遊びをめぐる冒険であったなあ。

・「遊びは疲れる」と投げかけてみたら、「疲れるのなら遊びではない」と返ってきた。

・出だしとして、古今東西の遊びについての知見をあたってみるか。それとも自分の頭の中から出発するか。制約を設けないでいると両者が並行して進んでいきそうだ。

・ホイジンガ。カイヨワ。遊びと聞いて名前が浮かぶ人たち。日本では五味太郎やかこさとしなどの絵本作家が浮かんだ。そしてゲームでは宮本茂。

・遊びをPLAYに絞るか、それとも毛先を遊ばせるとかアクセルペダルの遊びとかの遊びも入れるか。そもそも目指している概念が遊びなのかも疑いつつ進めていく必要がある。

・僕が発表したい遊びはゲームか手帳類が濃厚。特に後者を想定して進めていく。手帳類はどういう遊びかといえば、私的な領域についての遊びだ。

・私的な領域を遊ぶとはどういうことか。ひとまずここを出発点にして思考を遊ばせようとしている。

2017/06/19

・相変わらずミサイルは落ちてきていない。2週連続でダンボールを捨てるのに失敗した。朝9時に回収が終わっているのはきびしい。

・数年では記憶がないほどよくゲームをしている。昨日も7時間はプレイした。何かが空になり欲したのであろうか、それとも何かを空にしたくて欲したのであろうか。

・手帳類には様々な人がアクセスしてくれる。それによって情熱や可能性が開けていくし、持続していける。取材においても、様々な興味深い人がアクセスしてくれることは重要な指標だと答えている。うろ覚えだが、インタビュアーの方によるとそれを人間関係資本と言っていた(今Webで検索したらそれらしい言葉が見つかった)。ゲームづくりやその他の活動においても同等のアクセス可能性があるだろうか。そこから逆算すると、作るべきゲームの姿や水準がおぼろげながら見えてくる。相当に高いハードルだと思われる。が、あまりに課すのもやめて作ってみようとも考えている。

・先日の取材はスターインタビュワーとでも言うべき方に来ていただいて、大変楽しい取材となった。そばで見ていた方が驚くほどだった。良い聞き手というのはどうしてこう愉快なのだろう。今は、聞き手の書いた本が圧倒的に面白い。ただ僕にとって面白い聞き手は多くなくて、黒子に徹しているタイプの聞き手が好きだ。例えば木村俊介さんがそうだ。

・優れた聞き手のかたともっと話がしたい。インタビューという形でなくても良いし、むしろそのほうが興味深い。インタビュワーの方に逆取材した集成のような本があれば読んでみたい。

・古田さんや村田さんがおっしゃっていたことだけど、作品などの表現されたものは、その人の全てではなくて地中に深くどっしりとしたものがあって、その頭頂部が少し現れたようなものがいい。もちろん隠されたどっしりとしたもの(基礎といっていいだろう)をそれこそこしらえる必要がある。自然とこしらえてしまっている状況・状態がのぞましい。僕より少し上の世代である40代の人で、何人か見受けられる。そういった差が目につくのが40代という年齢かもしれない。年齢だけでくくるつもりはないけれど、あえてくくってみるという見方で。

・書いたものを見直していくと、読点を間違った位置につけているケースが少なくない。変な習慣になっている。書くときに打ちたい読点と読むときに読みたい読点の場所が異なっている。

・そろそろラジオ体操をして出社する時間なのでセーブを終わろう。揮発性の高いメモの記録を再開した。6/14-15あたりは良く書けた。おそらく取材を直前に控えていたからだと思われる。

2017/06/04

・ミサイルは飛んでこなかった。ミサイルという次元の外交ではないのかもしれない。

・本来はゲーマーなのであり、5月はゲームをよくプレイできた。スマートフォンのコマンド選択ADV的ゲームを中心に5つはプレイできた。『名探偵キラリ』と『嘘発見人【万目今日助】』が良かった。キラリのほうはナンセンス的世界観や人物が、万目今日助は表情学的アプローチが面白く、現実でも人の顔をつい見てしまいたくなるような反映があった。

・これを書いている今日は、涼しい気候で、落ち着いた自宅の空間を味わうことができた。同棲が始まってからと言うもの、同じ間取りの空間が2つ以上の表情を持つ。1人の時と2人の時と。仕事の日とお互いの休日の組み合わせをかけ合わせるとさらにさまざまな生活空間となる。手帳類関連の応答が引き続き多いのもあって、1人で過ごす時間を欲していたようなので、今日は出かけもせず、家でよく過ごした。すごしかたのバランスはポーリング的に取得しておきたい。

・手帳類では、ラジオにも出演し、芸能人のかたとライブな会話も楽しんだ。また、手帳類を題材としたワークショップも進行中である。今日はトークイベントのお誘いもいただいた。プロジェクトが広がりや深みを持続させる限り、手帳類はコミットさせつづけるだろう。手帳類もゲームづくりもその他の活動も、持続の要素を見ながら進めていきたい。持続が難しいのならコンパクトや短編に仕立てることもできる。

・ちょっと短いセーブデータになってしまったが、焼きうどんの準備があるのでこれぐらいにします。『思考の手帖』的記録習慣を復活させたいと思ったことを最後につけたしておく。

2017/05/04

・4月は記録を残せなかったようだ。手帳展が手帳類図書室になり、その準備にかかりきりであった。3月下旬に打診が合ったから、1ヶ月で準備したことになる。仕事のα版と重なったが、なんとかなったようだ。

・ミサイルが飛んで来るのかどうか。これまでの心配よりも心配し、わずかな非常食を買うなどの対策はした。しばらく何事もなくても、心配し続けるのがデフォルト状態になった。何を今頃、という向きもあるだろうが、一瞬でそれを普通とする空気になったと感じもした。今頃といえば、国同士でのいざこざもそうだ。おもったより国という概念ががんばっている。インターネットが普及して過去のものになるかもしれないと楽観的に思っていたものだった。

・ただしこれは僕の心の一部でしかなく、別の考え、政治的思想も、ときどきの気分によって引き出すことができる。それは要するに深入りしていないだけかもしれないし、思いつけるシナリオのどれが来ても対応してやろう、生き延びてやろうという意気込みでもある。

・あと4月。何かあったであろうか。新年度はほとんど関係がない。キャリア相談を受けたり、花見をしたり、本はあまり読まなかったり、『ファイアーエンブレムヒーローズ』をプレイし、近所の接骨院に新たに行き始め、花粉は落ち着いてきただろうか。

・それにしても手帳をよく買った。150冊ぐらいだ。3年前、買い始めたときに漠然と思いえがいていた1000冊にも近い将来到達しそうな勢いだ。一生かかって1000冊のつもりだったが。

・手帳類図書室が無事営業を開始して、一旦は目標は落ち着き、残りのGWは何をしようかと半分以上過ぎたところで考えている。その一つとして日記を書くことを思い出したのだ。他にも、たまった本を読むこともその一つだろう(『「百学連環」を読む』が立ちはだかっている)。新しいゲームにも出会いたい。画面文学とも向き合いたい。そうだった。

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Shirado Masafumi