2017/06/19

・相変わらずミサイルは落ちてきていない。2週連続でダンボールを捨てるのに失敗した。朝9時に回収が終わっているのはきびしい。

・数年では記憶がないほどよくゲームをしている。昨日も7時間はプレイした。何かが空になり欲したのであろうか、それとも何かを空にしたくて欲したのであろうか。

・手帳類には様々な人がアクセスしてくれる。それによって情熱や可能性が開けていくし、持続していける。取材においても、様々な興味深い人がアクセスしてくれることは重要な指標だと答えている。うろ覚えだが、インタビュアーの方によるとそれを人間関係資本と言っていた(今Webで検索したらそれらしい言葉が見つかった)。ゲームづくりやその他の活動においても同等のアクセス可能性があるだろうか。そこから逆算すると、作るべきゲームの姿や水準がおぼろげながら見えてくる。相当に高いハードルだと思われる。が、あまりに課すのもやめて作ってみようとも考えている。

・先日の取材はスターインタビュワーとでも言うべき方に来ていただいて、大変楽しい取材となった。そばで見ていた方が驚くほどだった。良い聞き手というのはどうしてこう愉快なのだろう。今は、聞き手の書いた本が圧倒的に面白い。ただ僕にとって面白い聞き手は多くなくて、黒子に徹しているタイプの聞き手が好きだ。例えば木村俊介さんがそうだ。

・優れた聞き手のかたともっと話がしたい。インタビューという形でなくても良いし、むしろそのほうが興味深い。インタビュワーの方に逆取材した集成のような本があれば読んでみたい。

・古田さんや村田さんがおっしゃっていたことだけど、作品などの表現されたものは、その人の全てではなくて地中に深くどっしりとしたものがあって、その頭頂部が少し現れたようなものがいい。もちろん隠されたどっしりとしたもの(基礎といっていいだろう)をそれこそこしらえる必要がある。自然とこしらえてしまっている状況・状態がのぞましい。僕より少し上の世代である40代の人で、何人か見受けられる。そういった差が目につくのが40代という年齢かもしれない。年齢だけでくくるつもりはないけれど、あえてくくってみるという見方で。

・書いたものを見直していくと、読点を間違った位置につけているケースが少なくない。変な習慣になっている。書くときに打ちたい読点と読むときに読みたい読点の場所が異なっている。

・そろそろラジオ体操をして出社する時間なのでセーブを終わろう。揮発性の高いメモの記録を再開した。6/14-15あたりは良く書けた。おそらく取材を直前に控えていたからだと思われる。

2017/06/04

・ミサイルは飛んでこなかった。ミサイルという次元の外交ではないのかもしれない。

・本来はゲーマーなのであり、5月はゲームをよくプレイできた。スマートフォンのコマンド選択ADV的ゲームを中心に5つはプレイできた。『名探偵キラリ』と『嘘発見人【万目今日助】』が良かった。キラリのほうはナンセンス的世界観や人物が、万目今日助は表情学的アプローチが面白く、現実でも人の顔をつい見てしまいたくなるような反映があった。

・これを書いている今日は、涼しい気候で、落ち着いた自宅の空間を味わうことができた。同棲が始まってからと言うもの、同じ間取りの空間が2つ以上の表情を持つ。1人の時と2人の時と。仕事の日とお互いの休日の組み合わせをかけ合わせるとさらにさまざまな生活空間となる。手帳類関連の応答が引き続き多いのもあって、1人で過ごす時間を欲していたようなので、今日は出かけもせず、家でよく過ごした。すごしかたのバランスはポーリング的に取得しておきたい。

・手帳類では、ラジオにも出演し、芸能人のかたとライブな会話も楽しんだ。また、手帳類を題材としたワークショップも進行中である。今日はトークイベントのお誘いもいただいた。プロジェクトが広がりや深みを持続させる限り、手帳類はコミットさせつづけるだろう。手帳類もゲームづくりもその他の活動も、持続の要素を見ながら進めていきたい。持続が難しいのならコンパクトや短編に仕立てることもできる。

・ちょっと短いセーブデータになってしまったが、焼きうどんの準備があるのでこれぐらいにします。『思考の手帖』的記録習慣を復活させたいと思ったことを最後につけたしておく。

2017/05/04

・4月は記録を残せなかったようだ。手帳展が手帳類図書室になり、その準備にかかりきりであった。3月下旬に打診が合ったから、1ヶ月で準備したことになる。仕事のα版と重なったが、なんとかなったようだ。

・ミサイルが飛んで来るのかどうか。これまでの心配よりも心配し、わずかな非常食を買うなどの対策はした。しばらく何事もなくても、心配し続けるのがデフォルト状態になった。何を今頃、という向きもあるだろうが、一瞬でそれを普通とする空気になったと感じもした。今頃といえば、国同士でのいざこざもそうだ。おもったより国という概念ががんばっている。インターネットが普及して過去のものになるかもしれないと楽観的に思っていたものだった。

・ただしこれは僕の心の一部でしかなく、別の考え、政治的思想も、ときどきの気分によって引き出すことができる。それは要するに深入りしていないだけかもしれないし、思いつけるシナリオのどれが来ても対応してやろう、生き延びてやろうという意気込みでもある。

・あと4月。何かあったであろうか。新年度はほとんど関係がない。キャリア相談を受けたり、花見をしたり、本はあまり読まなかったり、『ファイアーエンブレムヒーローズ』をプレイし、近所の接骨院に新たに行き始め、花粉は落ち着いてきただろうか。

・それにしても手帳をよく買った。150冊ぐらいだ。3年前、買い始めたときに漠然と思いえがいていた1000冊にも近い将来到達しそうな勢いだ。一生かかって1000冊のつもりだったが。

・手帳類図書室が無事営業を開始して、一旦は目標は落ち着き、残りのGWは何をしようかと半分以上過ぎたところで考えている。その一つとして日記を書くことを思い出したのだ。他にも、たまった本を読むこともその一つだろう(『「百学連環」を読む』が立ちはだかっている)。新しいゲームにも出会いたい。画面文学とも向き合いたい。そうだった。

2017/03/21

・手帳類の新規買取が続いている。テレビを見たというかたがほとんどだ。手帳展は放送直後にピークが来たけど、買取のほうは1ヶ月近くたった今のほうが多い。不思議に思ってもみたが考えてみれば自然なことかもしれない。使い終わった手帳を買う人がいる―という記憶がテレビを見た人の中に残ったのだろう。

・それにしても手帳類の応答をしない日はなく、趣味の範囲を超えた責任をとっている。良いことではあるが、他の創作をしたい気持ちも生まれており、折り合いをつけていくことが求められる。ゲスト参加した「大ちがい展」が終わったばかりだが、終わる前から次の企画に向けて動き出している。ジャンプの連続であって、完成などは存在しない。明日には直接買取もある。仕事だったら通常業務の範疇だろうが、手帳類はお金が減っていくプロジェクトである。

・ことの流れとして、この三連休は本をほとんど読めなかった。10冊以上も意気揚々と借りたし、数冊買ってあった本もあった。ゲームはiPhoneアプリの『ファイアーエンブレム』を合間合間に。気がついたら僕の時間にも隙間タイプのゲームがフィットしていた。映画を見るのに重い腰をあげるかのように、かつての本格ゲームはプレイするのに気合の跳躍が必要になってしまった。遊ぶのに、旅行のような計画が必要に感じられるのだ。

・吉増剛造さんにいよいよはまっている。初期の詩集にも手を出した。「今夜、きみ」「スポーツ・カーに乗って」の詩のすごさよ。みんながTwitterに引用したくなるのも分かる。彼の膨大なメモにひれふす。今週は文字情報の入力がほとんどなく出力ばかりだったが、吉増さんのメモをみると全然足りないのだ。基礎体力、基礎馬力からして違う。少しでもパラメータを上げたい。

・携帯という形態に対抗するための詩。そして相撲。詩と相撲が可能性だ。断片と創発が合流する。

・もうすぐ2時なのでそろそろ寝る。2字はあっというま、なのだが。2字。

・松本和史さんという詩人を知った。具体詩や、詩とテクノロジーやメディアアートを結びつけるような活動をされている、という印象。大変興味深く、いい人みつけた、という感じです。

・それがまた文字のゲームを作りたいという欲望を喚起する。

・手帳類もいずれアプリ/ゲームになるだろう。そんな予感が生まれた。

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