2011/01/25

・クオリティが気になるようになってきた。自分が作るものに対しても、そうでないものに対しても。それが良いことなのか悪いことなのかもわからない。短期的に見れば完成までのハードルが高くなりそうだし、長期的にみればクオリティは上がるだろう。それとクオリティが気になることで表現の可能性が制限されそうな気もしている。これまた、良いとも悪いとも言えない。

・多くの人は、アプリケーションのデザインだったり見栄えだったりで、クオリティの判断をする。だから、私が機能自体を表現したいのだとしても、これらの部分をおろそかにするわけにはいかない。見栄えのデザインに興味はあるし、面白さも感じるけど、これが一番ではない。見栄えの良いラーメンよりも、おいしいラーメンを作りたいが、だからと言って店に来てくれないとどうしようもない。食べれば分かる、というのは現代的ではない。

・ラーメン店だとしたら、お店に入ってもらえるレベルの見栄えを作りたい。入りたくて仕方がないところまで行かなくてもいい。ま、見つけたし、入っても良いかな、ぐらいでいい。入ればいい。もしそれが派手に飾ることで達成できるならそうするし、最低限整えれば達成できるなら、そうしたい。一般的に言ってどちらが簡単なのだろうか。できれば過剰な装飾はしたくないと思っている。機能をむき出しにしたいとさえ思う。いくつか作りたいものや挑戦したいものがたまっているから、できるだけそちらに時間を使いたい。

・今作っている習作は作ることそのものの練習でもあるけど、こういったお店に入ってもらえるようにする練習でもある。ようやく頭に体が少しずつついてきている。追いついているわけでは決してない。

2011/01/18

・数字キーをブラインドタッチできるようになった。アルバイトの時間を利用して練習した。むろん仕事に支障がでない範囲。ブラインドタッチという言葉が差別語ではなかったかと思いウィキを引いてみると、別に気にしなくて良いと書かれてある。もっとも、あまり使われなくなった言葉らしい。

・この2ヶ月ぐらいで、作る練習を繰り返している。作る練習というのは、こんなこといいな、できたらいいな、と思ったものを文章や図レベルで形にするというもの。実際に作りながら作ってみるのも経験値は高いと思うけれど、今の自分により必要なのは、その前の段階と認識している。

・手を動かさないとだめ、だけど、手を動かしていれば良いわけでもない。頭をいかに動かすか。妥協なく。疲れても頭を動かす、何もでなくても頭を動かす。アイデアや部品を何度も列挙して組み立てて、解体して、また組み立てる。それを繰り返し何度もやっています。少しは上達した気がする。頭の体力もちょっとずつ上がっている感じがあります。この年齢だとなかなか鍛えられないのかもしれないが…。

・何度かこなしているうちに、良い企画、良いアイデアの判断も生まれてきた。考えていて楽しい時間が多い。それに、次から次に足したい機能が生まれてくる(ただし、すでに同じものがあるゆえにそうなる場合もあるので要注意)。足したい機能が増えすぎると、実際に作るのが大変なので、コンセプトを確認ながら、最初に作るべき部分(=最初に感触を確認したい部分)や、作らない部分を決めていきます。これがデザインという体験なのだ、と感じています。

・部屋に冷気が入り込む場所を見つけた。何とかしてふさげないだろうか。

2011/01/11

・たくさん1が並んでいる。これよりたくさんの1が揃う日は僕が生きている間はもうないだろう(うそ!)。

・この頃はこのブログを人生の記録みたいに書いているので、新しく書く前に最後に書いた日記を見直すようになっている。前回の日付を見て一ヶ月ぐらい日記を書いていないことが意外だった。twitterやchangelog、それに紙にたくさん断片を書いているからあまり実感がないのだと思う。感覚的には1週間に1度は書き繋いで行きたいと思っている。サラリーマン時代に比べて書くべき内容が多いはずだからだ。書けない時は何かおかしいか、時間を詰め過ぎているのだろう。

・新年になっている。年末年始はよくお酒を飲んだ。毎日何かしらのアルコールを喉に通していた。制作のことを考えないで過ごせた日が何日かあって、休息になったのではと思う。実際、調子が上向いてきたように感じます。今日はちょっと体調が悪かったけど、精神的に調子が良いのです。「産みの楽しみ」という言葉と出会えたのも大きい予感がしています。

・今年の目標はとても簡単です。自分名義の作品および商品を作って、1円でも利益をあげること。簡単だけど難しい。そして今まで僕はそれをクリアしていない。静かに熱く望み臨みます。