2012/12/31

・今年もありがとうございました。あなたにも言っておきます。他に書き出しが思いつかなかったのです。師走の師走で、焦っているのかもしれません。書くべきことはありそうなもんだけれど。

・今年一年は制作面では去年よりだいぶ前進した年でした。短いながらも『ツキのないがいこつ』を作って出せたし。自分がゲームといってよいものを初めて世に出せたわけですから。それに良い出会いもありました。数は少ないけど大きかった。今ではその出会いを抜きにして、自分をイメージできないくらいです。来年は今年のまま続ければ成果がでそうな気がします。体に気をつけて、人間に気をつける。たぶん大丈夫。お金と生命をキープしつつ進みたいところです。

・RPGをつくっていて、来年の冬終わりか、春先に出せそうです。こてこてのクラシックRPGです。システムは8割、トータルでも7割近くはできています(自分感覚値)。ひとりではこんなRPGは作り始めなかったと思います。大晦日の今日も気になって少し制作を進めました。出すまではこんな生活が続くと思います。そうそう、ようやく書こうとしてた内容が浮かんできた。RPG、RPGです。とてもオーソドックスで新機軸とは無縁なつもりで作り出したのですが、それでもRPGという感じで、作るのが大変です。知識も実装も、たくさん知っていなければならないという感じで、とても慣れ親しんだもののはずなんですが、作ろうとしたときに作れない部分の多さ、つまり知らないことの多さに驚いています。もし、もっとオリジナリティのある内容だったら、作りきれたかどうか……。実のところ、絵もプログラムも音もすべてサポートしてもらっていまして、自分は世界や名前を考えるだけでいいという、これ以上ないくらい(自分視点だと)贅沢な体制で作っているのに、それでも怪しいという……。そういう点でも親しんだドラゴンクエスト初期型のRPGを最初に作ろうとしてよかったと思います。

・それはRPGだけに限らず、親しんでいないゲームを作ろうとしたら、大抵は苦戦するのでしょう。初期にジャンルを開拓した人たちは(ゲームに限らず)本当にすごい。そんな風に思いながら、基礎を自らにしみこませるように作っているのです。来年も楽しみですね。あなたもきっと。それでは新しい日記で会いましょう。

2012/12/12

・もし今日に日記を書こうとしなければ、12年12月12日だったこともたぶん気がつかなかった。13月はないのでもうしばらく来ない。今日日記と日が2つ繋がるのが絵的に気に入らなかったので、「に」を入れてみたのですが。寝てから起きるまで作っていて、それ以外のことを生存活動以外何もしていない気がします。出力が多いという感じです。RPGは腐ってもRPGと言いますか、コンパクトなRPGのはずなんですが、時間がかかっています。

・時間がかかるというのは、ただ単にマイナスだと言いたいのではなくて、色々と考えることがあるのだなあ思いながら作っています。作るっていうのは、何かを気にしたり、気にしたものをではどうするか?ということの積み重ねだとも。教えることで教える側の理解が深まるという話はよくありますが、作ることでも同じことが言えそうです。

・試行錯誤を多くしながら、快適にRPGのようなゲーム形式を作るのにはどうしたらいいかなと思っています。筆がすすむRPG制作の環境とは?筆がすべるぐらい作れてしまってもいいです。まずは執筆みたいに世界を配置して、それから推敲を重ねるように世界や人々の関わり合い(システム)を作りたいのです。GUIもただのテキストエディタも両方いるかもしれません。2つを行き来するような。正確にはプレイアブルな制作中ゲームの3つでしょうか。今回の制作が終わるころにはどのようなGUI開発ツールが必要なのかが見えてくるかもしれません。もっともツール作りに時間が取られすぎるのは本末転倒で、なぜかというと、そのツールは特に自分に向いているものだからです。今の時点で完成形が求まるというものではないです。自分が変化するから。

・それにしても前回の日記から10日も経っているとは、その間にひとつ書いた気がするのですが、どこかへ行ってしまったか、間違った記憶なのでしょう。それすらがあいまいな日々を過ごしています。

2012/12/01

・あと20分程度で出かけるので、そこまでにどれだけ書けるか、と思い書いてみる。12月。

・相変わらずRPGを作っている。少しずつ世界ができている。今回の制作はプログラミングを担当していないので、できあがっていくものにたいして客観的になれている。客観的というのだろうか、プログラミングを担当しているときよりも、できあがっていくものを眺めている時間が多い。プログラミングだから云々という話ではないかもしれない。自分がいま作っているものをよく見ているだろうか?という話かもしれない。

・僕にとってのビリーバブルにかかせないものは、それを誰がどういう意思で作ったかだ。それがないと信じきることができない。それが直接的に知っているか語られているかも要素としてあるし、そうでなくても作品からそれが感じ取れれば、ビリーバブルとなる。質が高くても、シナリオの基礎がおさえてあっても、それだけでビリーバブルには僕はならないし、なれない。ただたんに質が高いだけのものは、楽しむものというよりは、お勉強とか参考とかのモードになる。