2011/12/28

・メインマシンほどなくして帰ってきた。修理代も最低限の値段だった。部品の交換があるだろうと思っていたが、修理内容を見ると接続不良とのこと。PCの中を見ると、きれいに掃除されていた。単にホコリがたまっていたのかもしれない。マア定期クリーニングということで…。

・クリスマスイブに東京に寄って、クリスマスに名古屋に寄って、それから実家に帰省した。1ヶ月ぐらい厄介になる予定です。生活面が楽に簡単になるので、作業はしっかりする予定。

・今年はいつもにも増して、探す年でした。僕の基本方針として、何でも良い、というのがある。何でも受け入れるし、誰でも好きになれるようになろうとしている。別にそれで自分が揺らがない。確かにそれは幸せだとか楽しく生きるには強力な態度で気に入っているけれど、強すぎて表現のような繊細な作業にはマイナスになっている気もスル。それは僕がアーティストだと思う友人に共通して見て取れたし、彼らからそういう助言をいただいた。指摘を受けたときはもちろん心の中で猛反発したが、思うところがあったのだろう。やがて自分の好きや嫌いを自分に明かそうとした。そういう意識が多く働いた年でした。共存できると思っている。

・好きや嫌いを明かそうとしていくつか行動してみたが…結局、有効そうなのは過去に当たってみることだった。実家にもたくさん手がかりがありそうだ。そして実家の周辺にもあるかもしれない。

・だいぶ慣れてきたし、来年は成果を増やしたい。作るものの数でいえば二倍。金銭的な成果に関しては、10倍ぐらいにしたいです。今年は広告費で1000円ぐらいでした。毎月だったら少しは足しになるし、毎日だったら十分という額だけど、1年だと雀の涙…。

2011/12/12

・メインマシンはまだ修理中とのこと。楽観的な予想では今日までに直って返ってくると思っていたので少し困っています。20日目標のプログラミングは貧弱なサブマシンで開発するか…。

・ありがたいことに友人知人から依頼が来ているので、今年度末から来年2月までは自分制作以外の作業も行います。年中依頼が着たらご飯食えそうだけど、営業はしていないので臨時収入という見解。日々のパフォーマンスや切り替えが無理なく向上できているので、このまま行きたいものだが、貯蓄は順調に減っている。

・シナリオ作りにとても苦戦しているけど、卓球もプログラミングも上達にとても時間がかかったので、くじけることはない。諦めが悪い。もうちょっと追い込んだほうが良いという考え方もあるけど、短期完全燃焼ではなく、長く現役を続けるということにこだわっています。短く太くではなく、細く長く。

・自分の感覚では、プログラミングよりお話作りの方が技術的には難しい。文章は誰でも書ける分、技術がぼやけて見える。もしシナリオ専門言語みたいなものがあって、シナリオはそれでしか書けないのだとしたら、もっと簡単に上達できるのだと思う(一方で入り口は狭くなるのかな)。

・演出はなんでもない話を素材にしたほうが鍛錬になりそうです。

20111202

・いよいよメインマシンが調子が悪いので修理に出す。たぶんハードウェアのどこかを交換しないといけないはず。3万円ぐらいでなんとか直らないかな。さっきまでノートパソコンに作業の機能を移す作業をしていました。

・いよいよ12月というか、個人的な貯金もだいぶ減ってきて、あと1年ぐらいしか持たない。なんとでもなると思っているけれど、個人制作に使える時間が減るのは間違いないだろう。そうなっても、個人制作時間の確保を大事としたい。ネタが浮かばない間に仕事をするといった都合の良さがほしい。楽しいし、まだまだ納得いかない。情熱がなくなったらそりゃ辞めるだろうけど、僕の場合、納得いくかいかないかが情熱とイコールな気がします。

・いよいよ物語。今年は実装期間以外は、物語とゲームの組み合わせを試行錯誤していて、たくさん失敗して、完成品はできていないけれど、だいぶ試すことができた。書くことの難しさや技術をたくさん感じた1年だった。お話を作ること。書くことと組み立てること。適切な題材と適切な形態を探した1年とも言える。

・もうちょっと具体的に言うと、自分がどういうものが好きで作ってみたいのか、それとどのくらいの大きさや難しさなら作れるのだろうか、この2つについてあれこれした。今のゲーム、昔のゲーム、ネットのゲーム、小説、探偵小説、技術書、漫画、詩、短歌、ショートショート、昔話、伝説、SFなどを楽しみながら、自分が好きかどうか、作ってみたいかどうか、作れるだろうか、などのアタリをつけていった。遊んでいるだけとも言う。でも、今までこういう風に楽しんでこなかったのだと思った。二十歳ぐらいで作家デビューする人はもうちょっと違った視点で見ているのだろう。

・年齢は気にしない。年齢よりも健康や環境だろう。幸いまだ恵まれているので…。何歳までに諦めろ、などという人は自分にだけ適用してください。

・ゲーム以外の作品を人生で一番体験した一年だったと思う。それに驚くほど面白い作品をたくさんあって、驚いた。今まで知らなかったのだ。膨大な数の作品があって、今も生み出されていて、おそらく多くの人が新しく出たというだけで不当に多くの作品をつかまされていると思う。それでも新しいというのは価値があるし、古いものの平均よりは新しいものの平均が上回ると思う。作り手は古き良きものを探して、しっかり吸収して、新しいものを出せばいいんだと思う。すべてを遊べない人類の代わりに。すべてのエッセンスを楽しませるために。

2011/11/24

・ボランティアのイベントも成功裏に終わったところでセーブする。

・ボランティア活動では、子供、老人、高校生や先生など、これまで接することの少なかった人たちとの交流があって、閉じかけた世界を広げなおしてくれる。原点を思い出すし、比較することで自分の位置が浮き彫りになる。

・子供たちの遊び方はダイナミックかつスピードに溢れていて刺激的だ。時速200キロの車を追うようなもので、付いていくのが精一杯。竹ひとつやシャボン玉ひとつで遊びが成立する。次々とルールが生まれては消える。遊びは変化し続けて、文字通りシャボン玉や竹は遊び尽くされる。新しい遊びの仮説や試みにためらいがない。その場で思いつき実行される。僕にできることと言えば、そのインスピレーションを肯定し、助けることだけだ。そうして、彼らのダイナミックとスピード感を持ち帰った。

・ルールを守ることと、ルールを変えること。この2つはしばしば衝突する。ぶつかった結果、著しくパフォーマンスが低下する。子供たちの遊びは実にパフォーマンスが高いが、例えばゲーム開発のようにもっと複雑なものを作ろうとすると、そのままでは必ずしも上手くいかない。しかし、大人はここで守る側に一気に振れてしまう。保守によってパフォーマンスを出し、結果を間に合わせる。何かを制作するときに、もう少し子供のバランスを持ち込みたいな、と思ったのでした。

・前回の日記から二十日経って、まだ短い物語はできていない。残り時間的には、少し焦る。一日一プロット、みたいな目標だったのだが、二日に一回というペース。プロットに慣れてきた感覚はあります。設定も少し慣れてきたし、残りは人物やその関係、そして執筆、書き上げること。時間はかかっているけど、一作ではなくて、多作なのだから、これで正しい。一作ずつ完成させていくのがもっと正しいのだけど、僕みたいな甘い人間には少し難しいのかな。より甘い道を選択して、自分を誘導する。もともとの楽観がさらに楽観的になってきた。なんかできそうだ。

・プログラミングのhello worldに相当する物語ってなんだろう。ショートショートとか4コマ漫画になるのかな。水面下で考えること。

2011/11/02

・一週間ぐらい前から、お話を書くモードになっています。お話を書くのはまだ上手ではないので、インプットを多めに取りながら甘い目標設定をしている。1日2時間はお話を書く、どこかの時間帯で―という目標。設定などを考えるのは随時。こんな感じの取り決めが三日ぐらい前に固まってきた。

・小説が書けない、という状況は、自分の創造力を過信していることかと思った。今までお話を幾度となく書こうとして、少し書けたり、書けなかったりしてきた。振り返ってみて、お話を書く瞬間に創造力が発揮されるのを期待していたし、それができない時点で一旦あきらめていた。お話に限った話ではなく、近頃の自分の取り組み全体に言えるアプローチとして、小さく簡単にできるようにする、というのがある。その方が今のところ生産性が期待できるし、気持ちよくレベルアップできる。

・お話に関しても、小さく簡単に書けないか?ということを調べたり考えたりした。その結果、1.短編を書く 2.好きな物を好きな場面から書く 3.無理をしない(書く楽しさを味わう) 4.好きなものをたっぷり摂取する、といった方針を得た。書籍やネットの情報の参考にした他、自身のプログラミングの経験で補強した。

・プログラミングを楽しく集中して書ける条件が、ある程度はそのままお話を書くことにも適用できる気がした。プログラミングだって思い通りに書けるときは本当に楽しい。その条件は何かと考えると、ある程度の経験や知識がいる。快適な作業環境がいる。そしてこれからプログラミングするものに対する十分な予備知識や設計、イメージがいる。そして先立つものとして、それを書きたい、動かしたいと思う気持ち。もちろん心身が健康であること。お話にも多く当てはまりはしないだろうか?逆にこれら無しで、なんとなく書いたり、当たって砕けろ、みたいな気持ちでぶつかったら、文字通り当たって砕ける。波みたいだ。

・ちょっと回り道したなと思ったのは、何かひとつの分野がある程度できるようになったことで、自分が全体的に万能になったと錯覚したことだ。それでお話を書くときに初心から始めるのを怠ってしまった。急がば回れとは言うが、この件に関しては本当にそうだった。スポーツ選手がフォームを何度も繰り返してものにしていくような、地道な作業が必要なのだ。もちろんセンスがあるならば、ある程度はすっとばして構わないのだろうが、挫折感があるのならセンスなどと言っている場合ではない。その地道な段階を楽しく超えるための個人的なトレーニングメニューが上記の4つです。

・いきなり机を前にしてお話が創造されるのを期待されずに、あらかじめ知識やイメージをたっぷりと吸収し、時間をたっぷりと使って頭の中で想像しておく。布団にくるまって設定や場面を妄想する。ある程度溜まったと思ったら、この下ごしらえを持ちこんで机に向かう。頭に想像が浮かんだら、その範囲で創造していく。想像できたものを書き写していくだけだ。その瞬間に想像が創造になる。あるいはこれが執筆という行為そのものかもしれない。興奮は少し薄れるかもしれないが、それでも想像に対してよい言葉やフレーズが当てはめられたら楽しい。想像に適当な言葉がつけられないなら、辞書を捲ったり試しに書いたりして感触を確かめる。想像がMPみたいな感じで消費されていく。尽きたら、そこでおしまい。宿に入るなり、好きな本やゲームを楽しんで回復させる。そうやって取り組めば、少なくても書ける。面白いものかは別にして。そういう段階があっても良いのではないか!

2011/10/27

万葉拾遺ポストは毎日ひとつぐらい細かい修正をしています。だいぶサービスとしての体裁ができてきました。人数は少ないけれど、直接の知人じゃない方も書いてくれて、少し満足しました。自己中心的だけれど、自分の世界に関わってくれる人が嬉しい。

・物語を作ることに関する日記を書いたのだけど、ふと思い立って、それを万葉拾遺ポストに投稿してみた。こういう形で日記を縦書きで読ませるのもいいかもしれない。同じ文章でも、たぶんこのブログを読むより、人の日記を読んでいる気分になれます。最初はブログでもそういう気分を味わえたものだけど、普通になっちゃったから。なんでも公開できる時代になった。世界を閉じ込める技術がいるのだと思う。

2011/10/11

・新しい空白の日記を1000日分生成した。つまり、前回の1000日分が尽きた。3年ぐらいが経過したし、そのツールを使ったのも3年ぶりだった。このツールを今なら、30分ぐらいで作れるだろう。さらにその3年前、たぶん6年前にも何かしら感想を持ったはずだ。

・http://tentomushi.mond.jp/のサーバ契約が終わった。長い間使わせていただきありがとうございました。

・次に作るものを想像しながら、万葉拾遺ポストの細かい修正や、携帯サイトなどを作っていた。詩を投稿して共有するサイトです。指標は、ひとつの文や言葉あたりが胸を打つ可能性です。有益な情報でも、面白インターネッツでも、巨大なメディアでもない。地味ながらも、普通で、自然で、素朴で、素直な言葉が集まるサイトにする。それができれば、指標に関しては、世の中のすべてのウェブサービスより上になる。

・言葉を写真や音楽や絵画のように楽しむこと。そういった楽しみを取り戻すこと。知ってもらうこと。万葉集みたいに集めて残すこと。前回の説明のバリエーションはこんな感じです。

・携帯は電話とメールにしか使わないけれど、携帯サイトも作ってみると、なかなか良いものですね。パソコンの空間が宇宙だとしたら、小宇宙という感じがします。個室というか、余計な情報が入ってこない。スマートフォンサイトも気が向いたら作ります。パソコンサイトと携帯サイトの中間、といった感じになるでしょうか。

万葉拾遺ポストを使っていると、いかに言葉を選んでこなかったか、という驚きがありました。それに言葉の配置に気をくばってこなかった。ツイッターでは7778回つぶやいているみたいだけれど、140文字に情報を圧縮する訓練をしただけで、つぶやいている回数ほど出てくる言葉や着想が磨かれたとは思えない。以前サイトに着想や感想を1000回書き付けたときの方が良かったと思う。要するに鈍っている。言葉が好きなので、万葉拾遺ポストのリリースを機に、もう一回言葉を磨きなおし、研ぎなおしたい気持ち。

・それから物語に進む。詩や歌物語に橋を架けてくれたのだと思う。万葉拾遺ポストはたくさんの人に使ってもらいたいサービスとして制作したけれど、結局はほとんど自分のためのリハビリ・サービスなのかもしれない。

2011/09/27

・詩を扱うサイトがだいたいできた。手元ではもうできていて、サーバにもアップロードしているのだけど、サーバが不調でまだろくに使える状態ではない。ただ、サーバの管理者が調整だけしてくれたら、私が何もしなくても、もう動く。

・日記というよりは、新しく作ったこのウェブサービス(『万葉拾遺ポスト』というのだが)とは何か?を自分の中で書きながら整理していきたい。草案を書く気持ちで書いているので、全体としてはぼやけた印象になるだろう。これを元にもっと、プレゼンショーン的な文章を作っていきたい。

・万葉拾遺ポストとは、投稿した文章が縦書きになるサービスだ。その文章は掲示板やブログみたいに共有できる。投稿する文章は何でも良いが、縦書きの文章は、次々に流し読みする文章ではなくて、ひとつひとつをじっくりと鑑賞する文章にぴったりだ。また、そういう文章が映えるように、ひとつの文章(詩)単位で表示するようにしている。詩といっても、広い意味で、文章なら何でもいい。俳句。短歌。自由詩などいろいろあるだろう。

・話は戻る。もし大量の情報の洪水に浸かっていくのがウェブの醍醐味なら、ひとつずつ文章を読んでいくのろまな『万葉拾遺ポスト』は、ウェブの文化の中ではマイナーなサービスだ。その代わり、投稿した文章ひとつあたりの味わいの平均は、他のどのサイトよりも高いものにしたいと思っている。それも、投稿する人に文章のスキルは要求せずにだ。投稿する人が素直に素朴な文章を投稿しやすいようなサイトにしたい。変なかわいさとかかっこ良さはいらない。万葉集のように素朴さを良しとしたい。ちょうど一ヶ月ぐらい前に初めて詩を好きになった僕みたいな人間に楽しんでほしい。そこに詩の上手い人が1割ぐらい加わってもらって、選者を募り、時代を感じられる詩集ができる…というのが青写真だ。

・今回のサービスは前のNINMARIよりもっと地味なサービスなので、広告するのが難しい。だから、とにかく、簡単に使ってもらえるように工夫した。他の機能を少し犠牲にした。ただ、携帯電話(スマートフォンを除く)では見れないので、そこだけが足りていない。とはいえ、基本的に横書きのコンピュータ、それも解像度の低いモニターである携帯で、どこまで詩を味わってもらえるのかは、イメージができない。

・なぜイメージできないかというと、体験が作れないからだ。万葉拾遺ポストに投稿したり読んだりすることは、ツイッターやブログや掲示板やケイタイ小説とは、読むという体験が違っていてほしいと思っている。また、画像や写真に文章がついたものとも違っていてほしいと思う。それで、その違いを携帯で作れるのかが、そこはまだイメージできていないから作れない。確認用としてのサイトなら少し勉強したら作れるけれど。

・地味で広告はしにくい、と言ったけれど、たとえば人と会ったときに「こういうものを作ったんです」とは言いやすいと思った。誰にでも勧められるし、特に言葉がすきそうな人にはしっかり伝えられる。その点はNINMARIより説明しやすいと思っている。迷惑かもしれないが、サーバが動いたら、過去にもらった名刺のアドレスに宣伝を送ってみようかと思っている。

・最後に、ツイッターや掲示板と違うのは、あるいは他のウェブサービスと違うのは、サイトの寿命にたいする予想や期待だ。仮にそこまで反響がなくても、ひとつひとつの投稿がよければ、長く生き続けられるサイトになると思う。それこそ、万葉集の思いをこめて作ったサイトだからだ。個人作品として、使い捨てのサービスや作品を作ろうとは思わない。

2011/09/12

・八月中に新作を出すと言っていたものが、ずれこんでいて、もう少しかかりそうです。中身はウェブの詩集サービスになります。前回(一ヶ月前)の日記を読み返すと、あと1日で最低限のシステムができる、と書いてあるけれど、昨日ようやくそれができた、という感じです。一ヶ月前に思い描いていた最低限はなんだったのだろう。最低限の最低限か、はたまた最低限の最低限の最低限か…。それならば、今日の最低限が明日の最低限になるとは限らない…。おお怖い…。

・空白の一ヶ月、とは言えない位、毎日作業していたから、日記を書きながら振り返ってみます。主に、1.サーバサイドプログラミング 2.サーバ構築&移植 3.縦書き表示、4.見栄えの試作、の4つがあります。特に3に時間がかかりました。単純に4で割るとそれぞれに1週間かかっていて、かかりすぎという印象です。でも1と2は単純に知識や慣れの問題だと思うので、今後は楽になりそう。

・自分のスキルやキャリアから見れば、もともとのゲームプログラミング技術に、ウェブシステムプログラミングが加わった格好です。あとはモバイル(スマートフォンやモバイルサイト)なんかに慣れておけば、かなり表現の幅が広がります。作りたいものに合わせて選択できるし、無理に既存のゲームの形にする必要もなくなる。これは、自分の興味にとって、かなり大きいことかも…と思っています。実際、ウェブシステムを作ってみて、(他にも面白いものが作れそうな)可能性を感じています。

・さて、詩をインターネットで見るのだから、縦書き表示にしたいと思いました。でも、ネットは横書きが普通で縦書きは面倒な技術が必要です。ただ、僕はそのプログラムをネットで見つけていました。そもそも、その縦書きプログラムの存在がなければ、詩集サービスを考えつくことは無かったと思います。それのおかげで簡単に縦書きが実現できたのですが、少し見栄えが思い通りに行かなかったことと、せっかく詩を投稿してもらうならば、きちんとしたフォントで表示したいと思ったのが、後に10日ぐらい時間を費やすことになりました。

・とまあ、サーバの技術や知識を身につけたり、コンセプトを洗練させたりしながら、残りは見栄えだけというところまできたので、とても充実した一ヶ月でした。友人にも会えたし。それで、今度は今週を目処に公開したいなと…(さて、次の日記の更新はいつになるだろうか)。これを読んだ方々は、そろそろ詩的なフレーズを書きためておいてください!

2011/08/16

・日記を書かないのは良くない。でも、けっこう集中しているかもしれない。サボるのも集中してしまうのだが。

・前回の日記を読み返すと、8月中に短編を出すと書いてあるが、気がついたら、ウェブサービスを作っていた。嘘つきだ。書いたことに嘘をつくのと衝動に嘘をつくのと、どちらがよりましだろう。今回は前者を裏切った。さて。

・7月の末日ぐらいにサービス案が浮かんできて、8月頭ぐらいから実装に入っている。それも1週間から10日ぐらいで作ろうと思ったのだけど、少し仕様が大きくなって、今月中が目処になりそうです。コンセプトがある程度固いので、仕様の拡張も適切に大丈夫だろう。

・システム部分は整理も含めて今日明日で最低限ができる、という感じです。ウェブページの見た目は1日でできそうな気もするけど、おそらく4、5日はかかると予想するから、最終的には苦労して10日ぐらいかかりそうだ。8月中には出したい。

・ウェブサービス案がもう2つぐらいあって、短編とどちらを作ろうか迷っている。ゲームをつくるためにやめたのだが、先延ばしになっている。ウェブサービスの方が衝動的に作りやすいのはなぜだろうか。僕はきっと、世界や物語を衝動的に作れないのかもしれない。作れないというと語弊がある。多分、世界を隅々まで作るのに必要な幹が、ウェブサービスやゲームじゃないソフトウェアだと衝動が十分な強度なのに、ゲームだともろい。

・両親から夏のお中元が届いた(両親が僕の世話になっているわけではないから、お中元というは不適切かもしれない)。中身はスープ、お菓子、缶詰などの支援物資だ。お金に換算すると1万円以下ぐらいだろうが、それでもお金よりありがたいのはなぜだろう。僕が喜ぶものをよく分かっていらっしゃる。ありがとうございます。

2011/07/25

・会社を辞める前にやっておくべきだったことがまだまだ沸いて出てくる(モットモ僕には今でしかできなかったろうが)。その一つが、僕は作るのが下手だと分かってきたことだ。悲観ではなく、発見の気持ちです。まだ完璧には分かっていないので、気を抜かないようにします。

・下手っていうのはどういうことか。言い当てているかは分からないが、勢いで気分よく作っていくと途中で綻びがでてつまずいてしまうし、かといってしっかり構築して練り上げてから作ろうとするととても時間がかかってしまう。大雑把な2つのアプローチがどちらもうまくいかない。これを指して下手だと言っています。

・作るのが下手ということと、完成したものの良し悪しはまた別の話だ。僕は、ゲームに関しては、まだ両方ともうまく行っていない。NINMARIはある程度満足しているが、世の中の反応はあまり良くないから、あと100個ぐらい作らなければならない。それで全部芳しくなかったら諦めるかもしれないし、諦めないかもしれない。それくらいの数は作ってみたい。そのうちゲームと呼べるものは8割ぐらいにはなるだろうか。

・100。そういうことか!今後の目標がすっと立ち現れた気がした。

・100個作るという目標は、ずっと頭にあった、”大作かつ多作”という指針が具体的な数値になったものだと、書きながら思った。

・一方、目的は、作る過程に対して、あるいは作った成果に対して、納得がいくことだ。結局、納得のいかなさをなんとかすることが、僕の生き方のありようなのかもしれない。

・100個作るという目標が見えてくると、とるべき考え方や行動が晴れていく気がした。では戦略と戦術といった言葉を使ってみたくなる局面だ。そこで手始めに、正しい使い分けかは分からないけど、100作る全体を戦略、そのうち1つを作るのを戦術として考える。

・まずは戦略だ。実はこれはもう浮かんでいた。2つあって、ひとつは”短編”だ。100作るのだとしたら、今までの行動から導き出されるひとつのキーワードが短編だった。もっとも、これはインスピレーションではなくて、色んな人の指摘や作品を見て、少しずつ判断し近づいていったものだ。僕には、短編が良いし、短編しか作れない。好き嫌いではない。長編は短編から生まれればいい。

・もう一つは、コンセプトを始めとした下ごしらえを大事にすることだ。なんとなく作ってはいけない。2、3なら作れるだろうが、それでおしまいだ。100ならいけない。ゲームを完成させるという、作った成果も喉から手が出るほどほしいが、過程を向上させないと長く現役ではいられないだろう。

・さて次は戦術だが、8月に1つは短編を出す。これが戦術目標だ。10分で遊べるものでも良いだろう。コンセプトが実現できれば、長さは問わない。できるだけ簡単に実現できる計画を作って実行すること。これが戦術だ。

・というわけで、7月はそういう整理をした月ということにしよう。こんなところを右往左往するのが個人制作の醍醐味なのかもしれない。

2011/07/07

・群馬の夏は暑いが、近頃その暑さにも少しずつ慣れてきた。慣れてきたというのは、作業ができるようになってきたという意味。冷房を使う時間やタイミングも分かってきた。

・平屋であるため、特に日差しによって部屋が暑くなる。熱気がたまるのは12時頃で、それまでは比較的涼しい。実際の気温とはタイムラグがある。サインカーブとコサインカーブを思い出しておく。そして、日が沈んでからもそれまでたまっていた熱を放出するまでの間は暑い。

・1日を時間で4等分してまとめなおすと、12-18時の時間帯が一番暑くて、その次に18-24時が暑い。0ー6時と6-12時は涼しい。

・以上をもとに夏活動をねる。12-18時の時間に寝るのは、睡眠時の冷房の調節が面倒だ。かたや、静かで涼しい0ー6時の時間に寝るのはもったいない。となると、18-24時に寝るプランと、6-12時に寝るプランが浮かびあがる。前者は涼しい時間帯を作業にあてるのによく、後者は暑さで目が覚めるので規則正しく過ごしやすい。結局、後者に落ち着いた。自分のような怠け者は気温に起こしてもらうのが一番いい。一番暑い12-18時は素直に冷房を使うか、図書館や外出して過ごすようにしています。

・それから、インターネットを使う時間を減らして本を読んだり考えたりするようにしています。作業や思考を集中させたいという意図です。これは幾度と無く試みたことだけれど、インターネットを使わないことで入力が減ったり、あるいは考えたのに成果がでなかったとしても気にしないように考えることで、今までより自然に習慣になりつつあります。

・個人で自由を得て活動しているようなら、無理の無い自然な方法を選ぶことがコツなのかもしれないと感じています。少しずつ経験値がたまっている。1年も少し過ぎたけれど、一生で見れば1年なのだなあとも思う。もし、自分と同じように貯金で自活しながら思いきり何か制作したいと考えている人がいるのならば、2年は持つようにバランスを考えた方が良いと思います。1年以内に成果を出そうとするのはサラリーマンの流儀です。

2011/07/01

・先月はゲームのコンテストに合わせてとても小さなゲームを3日間で作った。現代的なゲームの要素は入れた(とにかく簡単、すぐ結果が出る)が、駄作である。恥ずかしいのでリンクは載せないが、3日で全工程を終えたことと、そんな駄作を人前にさらしたというのが、とても大きな前進だった。

・会社を辞めてからというのもの、何かを発表すること自体に恥ずかしさがあったのだと思う。手ごたえのあるもの以外は出さない、といえば作家として正しそうだが、結果的に作ることをためらってしまっていた。極端に言えば、何も作らないか、駄作を出すかのトレードオフで、僕は後者を選んだ。何もやっていない、と思われるほうが怖かった、という実に恥ずかしい理由だ。どちらにせよ恥ずかしいことだが。

・受け身プログラマからモデルチェンジをしないといけない。友人の師匠が言っていた『恥部おっぴろげ』という呪文を唱えなければならない。駄作ではなく質の高い恥部を見せられるのが個人制作の長所であり、見所でもあると思うからだ。

・モデルチェンジは簡単ではない。一瞬で180度変えてしまえる人間もいるが、僕はそうじゃない。だから少しずつ、時間をかけて直す。僕の場合、問題を認識して、対面するところから始まる。変えたくないところは、きっと新しい血肉とバランスを取ってくれる。受け身プログラマが、モデルチェンジを受け入れるというのも、どこか変な言葉遊びのようだ。全工程作成プログラマになる。監督の役割を僕というオブジェクトに追加する。

・このように、見所のないものを、確定してしまったものを、時間をかけて直していくところが僕の見所だ。きっと多くの人は諦める。それはほとんど正しい。時間がもったいないからだ。

2011/06/30

・友人の結婚式に出席したり、別の友人にゲームの(というより、システムの)試作品を見せたりした。どちらとも未来の自分に大きな影響がありそうだ。(試作品については明日日付の日記になります)

・結婚式に出席したのは二度目だけれど、結婚式をちゃんと体験したのはおそらく最初だった。正直に書くと、一般的な結婚式の効果はあまりないと思っていたが、いざ式を体験してみると、儀式を踏むことが大事なのだと思った。まだ上手に言葉では言えないが、儀式の効果みたいなものを感じた。

・普段は行わない(必要としない)動作をあえて連続して行って見せること。そしてそれをたくさんの人が厳かに体験すること。それが儀式というものの特別さを演出し、効果を作り出しているのかもしれない。

・ゲームでも儀式を取り入れることで、世界への没入を増す効果が得られるかもしれないと思った。あまり儀式だらけでも、うんざりすると思うけれど。

・結婚式は沖縄で行われた。自分たちの大事な人に旅行や気分転換もかねてほしいという、新郎新婦のはからいだった。僕の苗字は沖縄のものだけど、沖縄に行ったのは初めてだった。空から見ても、はっきり分かるほど、海がきれいで、浜辺の周辺がエメラルドグリーンで囲われているエリアもあって、実際に泊まったホテルからその色のビーチへといけることができた。結婚式ではあるが、バカンスでもあった。ビーチでとてもゆっくりした時間を過ごすことができた。ちょうど日が沈む時間帯だった。非日常的な時間と空間は、日常をバージョンアップさせる行為でもあるのだろうか。

・結局、儀式とリゾートの2つの概念体験を沖縄の結婚式から持ち帰った。友人夫妻に感謝!

2011/06/17

・やはり10日前は良いコミュニケーションが重なりすぎていたようで、常に思い通りの結果になるわけでもないし、可能性がたくさん転がってくるわけでもない。どうも自分は勝手に過剰に期待してしまうところが良くない。期待が最高の期待に変わってしまう。もっと見守れるようになりたい。最低、平常で動ければ良いなあと思う。

・1人で作るというのが原点で、最小の構成だ。心のどこかで外に期待してしまっているのは、その最小構成に自信がなかったり、それで満足いく制作ができていないからだと思う。よくぶれている。『NINMARI』は上手くできたほうだが、ことゲームに関すると、うまくできていないのが正直なところです。企画やゲームデザインといった作業が下手で不慣れだ。プログラムだと何時間も集中が続くのに、企画やデザインだと1時間と集中が持たないのが、それを証明している。ゲームデザインとは地道な作業であるし、設定を隅々まで丁寧に考えておくような、忍耐力のいる作業だ。構成と構造を丹念に作っていかなければならない。

・個人で作る以上、その丹念さにこだわりたいと思う。だから、今の集中力や能力を見て、あまり規模が大きいとできそうにないから、できるだけ規模が小さいものを作ろうと思っている。もっともどんな小さな世界ですら世界であるが。課題がとてもはっきりしている。幾分か抽象的な課題だが、結果は具体的になる。

・家で考えて集中が続かないなら、外で考えよう。しかし、夏であるのが良くない。図書館やカフェも利用してみようと思っています。友人も頼ってみるつもりです。

2011/06/07

・良いコミュニケーションがたくさんあった1日。3週間分ぐらいは満足できる量だった。量より質の内訳だったが。『NINMARI』を作って良かった。実った、という言葉をあてはめたい気分です。自分から見て素晴らしい仕事・成果をあげている人にコンセプトが伝わり、評価してもらう喜び。反応の質は満たされたから、あとは量が満たされればもっと嬉しい。ソフトウェアへのレスポンスは質だけではお金にならない。乱暴に言うと、もっとダウングレードしたコンセプトや企画を立てなければならないのかもしれない。

・嬉しいコミュニケーションが重なったことで、浸りたくなったり、広げたくなったりするが、毎日の制作を地味かつ地道に続けていくことが大事なのだと思う。そうやってできたものがあって、ほしかったコミュニケーションが得られる。言葉だけではない。上手に言葉を使ったコミュニケーションもすばらしいが、制作物に対しての言葉には果実がつまっていて美味しかった。理論も実践も好きだ。1セットで格別の果実になる。

・作っていくということにエネルギーが補填された。危うく言うと、作れという麻薬めいた信号が出てきた。優勝したらまた優勝しないと足りない。次がほしくてたまらない。ただレースをひとつ走っただけであるが、そんな気分が分かった気がしました。

2011/06/02

・NINMARI 1.0.0をリリースした。複数の意味でのリリース。NINMARIを手にとってもらえるように解放することでもあるし、NINMARIの制作から解放させることでもある。自動でパソコンの使用ログをとって眺められるソフトウェアです。パソコン作業者を励ますというコンセプトで作りました。[web]

・0.5を出してから1ヶ月、どうやったらもっと多くの人に伝わるか?みたいな課題で粘った。勤めていたときのプログラマではあまりこういう仕事をしなかった。与えられたものを作る、あるいは大雑把な要求からいい感じに作る。できたら、機能を作ったら、満足だったし十分だという感じだった。もっとこだわって仕事をするには気持ちも能力もなかった。ぎりぎりのスケジュールにこだわりをねじ込める人が抜けて成長していくのだろう。だから、できているものをデザインしなおしたり、クオリティアップを図る、それも1ヶ月―結局4ヶ月かかったから4分の1―をかけてやるというのは、初体験だったし、慣れていなくて下手糞だった。

・一方で、今になってみると、0.5のままにしておかなくて良かった。前のが100人に3人伝わるとすると、今度のは10人には伝わるだろう。本当は半分、50人ぐらいに伝えたかったが、既存の類似品があるソフトでもないし、能力的にも時間的にも諦めた。そういう感覚を体験できたことはとても良かった。iPhoneやiPadを分かってもらうために、どれほどのアイデアとデザインが注ぎ込まれてきたのだろう、そういう想像をした。

・判断の回数が会社員プログラマのときとは桁がひとつ違うぐらい多かった。もっともプログラミングが判断をしない作業であるはずがない。判断するものの質が違ったというべきかもしれない。プログラミングは正しく動かすための判断という感じでいるけど、ブラッシュアップの一ヶ月の間に起こった判断はこんな風に迫ってきた。何を残すべきか?何を削るべきか?そもそも何を作るべきか?どうしたら伝わるのか?次々と迫ってきた。

・次はゲームを作るつもりだ。1年と1ヶ月で、最初のものが出せた。あと1年ぐらいで貯金が尽きるが、もう2つぐらいは作品をリリースしたいと思っている。

2011/05/24

・制作を全くしない日が減ってきているのは、純粋に良いことだ。ここのところ、やる気がダウンしても2、3日が限界で、プログラミングやゲームデザインに再び向かう。実践のない勉強が減ってきた。たぶん、作りたいものをイメージすることに慣れてきて、具体的できるようになってきているのだと思う。

・ゲームの企画を頭の中で何度も作ったり、ボツらせたりしている。成果物にはなっていないけれど、繰り返すたびに、作り直すたびに、より強固で形になった企画ができてきている。昨年の会社を辞めたときに頭の中にあった個人制作リストと今のリストでは質が全然違うだろう。面白さの得点は同じでも、あるいは作りたい度合いは同じでも、より少ない要素(つまり簡単に作れるということだ)でできている。漠然とした願望が、作れそうなレベルまでデザインされてきた。

・プログラムはそこそこできるにしても、上手に絵が描けた方が良いだろうし、効果音やBGMも作れた方がいいに決まっている。デザインもできたら幅が広がるだろう。もし自分で自分のイメージどおりにそれらを表現できたらどんなに良いことか。良いに決まっている。だが、時間は限られている。それはどうしても必要なものか?自分でできなければならないのか?最高に必要なものか?それなりに自問はしてきたと思う。

・デザインという言葉が頭にはりついた頃からか、ものとものとの関連、要素と要素の関連を意識するようになった。もうひとつ、作品と作品との関係がある。作ろうとしているゲームとゲームの関係も見ている。ある未来の作品がある別の未来作品の上位レベルに位置している場合がある。

・例えば、夢野久作という人の代表作と言われる『ドグラ・マグラ』は、それまでの彼の著作のありとあらゆる要素が入っているという。つまり、『ドグラ・マグラ』のそれまでの作品の集大成であり、それまでの作品は『ドグラ・マグラ』を作るための習作と言える。僕もこうやって作りたい作品同士を見比べている。そして、できるだけ簡単な要素でできているものから最初に作ろうと思っている。この1年で、要素がひとつあるだけで十分に難易度が高いと分かったし、それを磨くことが大事だと分かったからだ。ビジネスの世界ではキャリアデザインと呼ばれているものだろう。

・それで少し戻ると、自分にどうしても必要なキャリアは、絵でも音でもなく、物語を作れる能力だ。お話を作れなければお話にならない。企業活動にせよ個人活動にせよ、このキャリアを詰まなければならない。僕が作りたいもののリストにあるほとんどは、システムと物語がコアになっているからだ。密接度が高くて、差し替えや外注がしづらい。密接させたものを作りたいと言い換えてもいい。

・多分この日記は、以前書いた、”私が今の時間を利用して勉強したいと思うものがはっきりして良かった。それは筋(ストーリー)と型(モデル)をたくさん作れるようになることです。”の別の言い方にすぎない。ただし、より具体的に踏み込めた。一回転した地球のようなものだ。一周してまた戻ってきた。同じ面が前よりも豊かになっていた。

2011/05/18

・NINMARIを何人かの友人に試してみてもらったところ、面白いとかつまらないとかの反応よりも、分かった分からない(伝わった伝わっていない)という反応の方が衝撃的だった。それほど、伝わっていなかったし、正しく理解されなかった。作ったものが伝わらないのはとても悲しいことだと分かった。NINMARIはゲームを作る前の習作でもあったが、貴重な体験ができたと思う。

・作る以上は、きちんと伝えたいと思った。もっとデザインを工夫しなければならないんだろう。機能を作るだけではいけない。デザインはとても広い言葉だが、機能のデザインとサービスのデザインがあるのだと思った。サービスを日本語にするとおもてなしになるだろう。例えば、ゲームデザインは機能のデザインになるし、見栄えや操作の快適さはサービスのデザインになるだろう。

・5月はNINMARIのデザインをやり直している。サービスのデザインの方だ。第一印象や、さっと使ってみた時に、何とか伝わってほしい。友人の助言を元に、作りっぱなしになっていた機能をひとつひとつ点検してみると、おどろくほど分かり辛いことが判明してきた。自分で長く使い続けることの盲点だろう。元が元だが、200%ぐらいは分かりやすくなったと思っている。今月中に正式に出す(ソフトウェア登録サイトに登録する)予定です。

・平行して進めている、次に作るゲームの構想もかなり進んできた。『あぺぽぺ』よりはずっと現実味があって、作れそうな構想になってきた。少しずつ作るのが上手くなってきている。貯金を食いつぶしながら間に合うだろうか。あと1年ぐらいしかない。

2011/04/30

・今後ブログはこちらのページに書きます。内容自体はAimquestのときと同じものになります。管理サイトが増えたのでまとめました。

NINMARIという、パソコン使用履歴を記録して分類して見せるソフトウェアを作りました。今年の初めぐらいから作っていました。会社を辞めてから初めて公開するものができました。ちょうど1年ぐらい経過しています。

NINMARIは簡単に使える面白いソフトウェアですので、ぜひ使ってみてください。windowsのパソコンで使えます。制作日記などはまた日を改めて書きたいと思っています。

2011/04/13

・思うところがあったのか、今作っているソフトウェアの締め切りを4月20日にした。ある程度できてきた感触があるのだと思う。一方で、作りたい機能が溢れている。それでひとつ区切りをつけてやろうというもの。そして早く次に移りたい。ゲームになる。ゲームを作りたい。ゲームを作らなければならない。

・締め切りではあるが、急ぐわけではない。要するに諦めるために締め切りを設けたのだ。文字通り、諦めて追い出す扉として、切るというはさみとして役に立つ。

・作っているものを簡単に言うと、自分の作業記録を見て楽しみ、モチベーションを保つためのWINDOWSソフトウェアだ。バージョンは0.5~1.0の間になると思う。キリがないので、あとは紹介ページと、google広告や寄付といった収益を組み込んで落ち着かせる。あと1週間なので、それすら十分ではないだろう。見栄えももっとがんばらねばならないが、それどころではない。それで良いのだと思う。リリース。

・私自身に宣伝力があまりないので、どれぐらい知ってもらえるかが分からない。なので、利益は、1円あれば良いものとする。名刺にはなると思う。もっと時間をかけて作ればもっとお金が得られるかもしれないが、差額を予想できるほど見通しに長けていない。よりゆるく考えれば、最初から上手く行くわけがない。頃合だ。今までで一番反応があった『tashiro-player』より反応があれば良いなと思う。

2011/03/31

5%ぐらいの確率で関東が危険な状態になると思った。原発問題が安全か危険かは十分に理解できなかったし、日々不安がたまっていき判断能力が減ってきていると思ったので、わかりやすい逃げるか否かのボーダーを決めたところ、越えたので、実家に避難させていただいた。関東に出て以来、実家にはお正月に帰るぐらいだったから、少しためらった。逃げる、という選択肢の一般的なイメージも悪いと思った。でも今は会社組織にも属していないし、それよりも、自分の命は自分で判断しなければいけないと思った。

広島の実家に戻ると、ここは安全なんだという感覚がすぐにあった。たぶん、阪神大震災が起こったときと同じぐらいの感覚。ひどいが、どこか他人事に感じられる距離。生まれて初めて有事を感じた出来事に対して無責任に思えた。それに対し、制作をきちんとする、という、自分の最優先をとってきてふたをした。避難生活を何日かして、そういう感覚にしたと思う。

実家では、かつて自分がずっとそうだったように、母がご飯や風呂や洗濯の世話をしてくれた。父は仕事に行って夜になると帰ってきてご飯を食べた。またこの家の子供になった気分がした。ただ、そういったバックアップを得て、制作ははかどった。より時間をかけて考えなければいけないような作業も、いくつかできた気がする。例えばデザインについて。他にも、いくつか恩恵に見合う成果はあっただろうか。

2週間の疎開生活のあと、高崎に戻り、確定申告の手続き他を済ませた。これでまたひとつ軽くなった。軽くなった自分の制御を自分でしなければならない。意志も決意も実行も強くはないが、それでも、だいたい1週間の半分ぐらいはきちんと作業できるようになってきた。採取的には5日分ぐらいに上げたいが、最低これぐらいを維持できるのも大事だ。調子が悪いときは悪いなりに。プロ野球のピッチャーと似ているだろう。

2011/03/08

・隠居みたいな生活をしているのに、誕生日をたくさんの方に祝っていただいてありがたい。

・しばらくの間、良いなと思ったものや好きなものを、絵、文、音、映像などフォーマットを問わず記録するようにしている。文といっても、誰かのつぶやきだったり、文句だったり、自分の感想だったり、思ったことだったりするし、絵と言っても、写真だったり、グラフィックだったり、はては自分の夢のスケッチだったりする。これらがいつか役に立つような気がしはじめた。引き出しを広げる、と呼ばれる。

・そうやって記録していくと、良いものなどいくらでもネットで探すことができるようにも思えた。良いものであふれている。だが、その良いものの中で、さらに厳しく見ていくと、本当に良いものや自分にとって好きなものはあんまり多くないというのが分かった。そうしたときに、もっと探すべきなのか、そもそもないのかが分からない。あるいは探すより作るほうが早そうだ、という感覚も生まれてきた。

・ただし、言葉については例外で、知らない良い言葉がたくさんある。知らない言葉というのは聞いて意味が分からない言葉ではなく、文章を書くときに自分が思いつけない言葉という意味。良い言葉として認識していない。もちろん、まったく知らなかった言葉と遭遇することもまだまだ多い。

・本来はこういった確認は、お勤めをしながら十分に行われていなければならないのかもしれない。周りを見ても、みな私より、自身が好きなものをよく知っている。私も好きなものは用意していたつもりだ。しかし、表現するのに十分な数がなかった。少ないものを無理やりくっつけようとすると不自然になるし、難しい。

・頭数が足りない原因は、好きなものを、だれも知らないものの中から探してきて選ぶようなところがあったからだと思う。一方で、好きなものを最後にとっておく、最後に食べる、みたいなところもあって、収集するという視点でみれば、回り道をしたように思う。ただ、今それらを新鮮に味わって吸収するためにとっておいたとも言える。今それらをむさぼっている。

・むさぼっていると、好きなものの数が、本>音楽>ゲームの不等式になっていると分かった。ただの感覚なのだが。特に、ゲームの一部のジャンル(例えばADV)では、とっておき(未プレイかつ好きなもの)が絶滅しかかっている。だから、自分でこのジャンルのものを作っていこうと思っている。作品という固体の数を増やさなければならない。理由付けがひとつ増えてまた少し強固になった。

2011/02/24

・こんな明るい時間に日記を書こうと思ったのはあまりのないのでは?と思ったが、過去の記録を見ていくと、あった。しかし、それは朝起きて書いたのか、それは夜通し作業して寝る前に書いたのか、それは単に朝と夜がずれているのか、それは分からない。

・日記を書く前に近所を散歩している。起きた瞬間に制作を開始しないとき、制作内容が具体的になっていない。目の前に作業がない。少なくてもそういうときは散歩を課してみるのが良いらしい。作業という魚を釣りに出かける。本当は抽象の作業こそ気合が入ってほしいものだが、まだ抽象というものをよく分かっていない。散歩の中や、コタツの中でしか、抽象的なものを考えられない。抽象的とは言えるけど抽象かは分からない。

・僕にって、すべてのプログラミングは、できたときに、できた、という喜びを得られる。ただ、個人制作においては、喜びが、できた、だけでは足りないのだと思う。できた、しか得られなければ、続けられない。例えば、できたに加え、お金が得られるのが仕事だ。個人制作においては、できた、お金、以外を得たいと思っている。

・いま作っているパソコンによる個人制作を応援するソフトウェアは、ソフトウェアの出力する結果が、喜びを持っている。それで制作を続けられている。あと5日(つまり10日)ぐらいで機能は終わりにしたい。いつもだいたい予想の二倍の時間がかかる。個人としては最初のリリースになるだろう。

2011/02/10

・0と1と2で構成されていて間違えやすい年月日です。

・先日、母親にも電話で話したのだけれど、やることが決まってきた感じがしています。見晴らしがずいぶん良い。昨年5月に会社を辞めてからだから、いくつかの挑戦があったにせよ、だいぶ時間がかかっているけれど、何をするのかを決めるのが一番時間がかかるのかもしれないし、かけて良いのかもしれない。真剣にそう考えています。大学には行ったことがないけれど、大学生にはそういう時間が与えられるのではないだろうか。

・今ゲームとは直接に関係がない単純な道具を作っていて、それが終わったら短編の探偵ゲームを作る。サイトと名刺をデザインする。これらを今年中にすべてできたら良いなと思っています。どれくらい拘るのかが分からないから、すべてできるかは分からないけど、見通しが立っているところまでは行きたいです。

・これも分からないし、不安定だとは思うけれど、ようやく淡々と作れそうな気配がある。もっと言うと、完成するんだろうな、というイメージを得た。何一つ作っていないのに。どうしてそういう心境になったのかは定かではないけど、少なくとも悪い兆候ではないはずだ。何を作るか考えることを繰り返したのが関係あるかもしれない。

・今の心境と、”自分名義の作品および商品を作って、1円でも利益をあげること”という年始の目標はどうだろう。重なっているところと重なっていないところがあるかもしれない。

・アルゴリズムについて学んでいます。あまりにも勉強不足だったみたいです。要するにアルゴリズムの楽しさをまったく実感してこなかった。入り口はデータ構造だった。出口もデータ構造だった。

2011/01/25

・クオリティが気になるようになってきた。自分が作るものに対しても、そうでないものに対しても。それが良いことなのか悪いことなのかもわからない。短期的に見れば完成までのハードルが高くなりそうだし、長期的にみればクオリティは上がるだろう。それとクオリティが気になることで表現の可能性が制限されそうな気もしている。これまた、良いとも悪いとも言えない。

・多くの人は、アプリケーションのデザインだったり見栄えだったりで、クオリティの判断をする。だから、私が機能自体を表現したいのだとしても、これらの部分をおろそかにするわけにはいかない。見栄えのデザインに興味はあるし、面白さも感じるけど、これが一番ではない。見栄えの良いラーメンよりも、おいしいラーメンを作りたいが、だからと言って店に来てくれないとどうしようもない。食べれば分かる、というのは現代的ではない。

・ラーメン店だとしたら、お店に入ってもらえるレベルの見栄えを作りたい。入りたくて仕方がないところまで行かなくてもいい。ま、見つけたし、入っても良いかな、ぐらいでいい。入ればいい。もしそれが派手に飾ることで達成できるならそうするし、最低限整えれば達成できるなら、そうしたい。一般的に言ってどちらが簡単なのだろうか。できれば過剰な装飾はしたくないと思っている。機能をむき出しにしたいとさえ思う。いくつか作りたいものや挑戦したいものがたまっているから、できるだけそちらに時間を使いたい。

・今作っている習作は作ることそのものの練習でもあるけど、こういったお店に入ってもらえるようにする練習でもある。ようやく頭に体が少しずつついてきている。追いついているわけでは決してない。

2011/01/18

・数字キーをブラインドタッチできるようになった。アルバイトの時間を利用して練習した。むろん仕事に支障がでない範囲。ブラインドタッチという言葉が差別語ではなかったかと思いウィキを引いてみると、別に気にしなくて良いと書かれてある。もっとも、あまり使われなくなった言葉らしい。

・この2ヶ月ぐらいで、作る練習を繰り返している。作る練習というのは、こんなこといいな、できたらいいな、と思ったものを文章や図レベルで形にするというもの。実際に作りながら作ってみるのも経験値は高いと思うけれど、今の自分により必要なのは、その前の段階と認識している。

・手を動かさないとだめ、だけど、手を動かしていれば良いわけでもない。頭をいかに動かすか。妥協なく。疲れても頭を動かす、何もでなくても頭を動かす。アイデアや部品を何度も列挙して組み立てて、解体して、また組み立てる。それを繰り返し何度もやっています。少しは上達した気がする。頭の体力もちょっとずつ上がっている感じがあります。この年齢だとなかなか鍛えられないのかもしれないが…。

・何度かこなしているうちに、良い企画、良いアイデアの判断も生まれてきた。考えていて楽しい時間が多い。それに、次から次に足したい機能が生まれてくる(ただし、すでに同じものがあるゆえにそうなる場合もあるので要注意)。足したい機能が増えすぎると、実際に作るのが大変なので、コンセプトを確認ながら、最初に作るべき部分(=最初に感触を確認したい部分)や、作らない部分を決めていきます。これがデザインという体験なのだ、と感じています。

・部屋に冷気が入り込む場所を見つけた。何とかしてふさげないだろうか。

2011/01/11

・たくさん1が並んでいる。これよりたくさんの1が揃う日は僕が生きている間はもうないだろう(うそ!)。

・この頃はこのブログを人生の記録みたいに書いているので、新しく書く前に最後に書いた日記を見直すようになっている。前回の日付を見て一ヶ月ぐらい日記を書いていないことが意外だった。twitterやchangelog、それに紙にたくさん断片を書いているからあまり実感がないのだと思う。感覚的には1週間に1度は書き繋いで行きたいと思っている。サラリーマン時代に比べて書くべき内容が多いはずだからだ。書けない時は何かおかしいか、時間を詰め過ぎているのだろう。

・新年になっている。年末年始はよくお酒を飲んだ。毎日何かしらのアルコールを喉に通していた。制作のことを考えないで過ごせた日が何日かあって、休息になったのではと思う。実際、調子が上向いてきたように感じます。今日はちょっと体調が悪かったけど、精神的に調子が良いのです。「産みの楽しみ」という言葉と出会えたのも大きい予感がしています。

・今年の目標はとても簡単です。自分名義の作品および商品を作って、1円でも利益をあげること。簡単だけど難しい。そして今まで僕はそれをクリアしていない。静かに熱く望み臨みます。