2014/12/11

・20分で日記を書く。約1ヶ月ぶりの日記。日記の日付を書くときできれば、12月8日ぐらいであってほしかったけど、11日。午前2時だから次の日になっているにしても、2日も余計に過ぎていた。師走という言葉はこれからもなくならないだろう。

・前回の日記は手帳展の初日だった。手帳展はそれから終わった。今年の仕事も終わった。そうしてようやく自宅から日記を書いている。できるだけはやく書く。はやく書く。手帳展のまとめを日付の変わる前ぐらいに書いた。手帳展は好評だった。僕の予想をはるかにこえていた。途中から、いつもの「根拠のない自信」に満ちてきた。たぶん、今年のすべての展示でもっとも価値があった展示に違いない、とさえ思った。でも、次の日の展示で、2時間ぐらい人が来なかったときは、こんなものか、このくらいしか評価されていないのかとさびしい気持ちになったりもした。自分の展示だからそれぐらい当事者意識があるのは当たり前かもしれないが、いささかオーバーだろうか。いや、このくらいの浮き沈みと情熱と自信と期待と不安を持てるもの、自分自身で持てるものこそを、今後も僕は取り組まねばならないのだろう。本業とも言える、『シルアードクエスト』より手応えがあったかもしれない。それは僕自身の欲望を見つめれたという点において。ようやくだ、という感覚が近い。ちょっと遅いかもしれないが、手遅れというほどでもない。ちょっとした運命のあやで、この地点に到達できなかった可能性もあった。それは決して低くなかった。独身だったり、残念な点もあるけど、あまりにも不条理というほどではない展開だ。

・夜らしく一気に書いた。少し背中が痛くなった。今日は文章を書きすぎているのだろうか。ずっとコタツで書いている。僕は多分1日に5000字が限界だ。それぐらいですごく書いた、という気分になる。

・手帳展は今後どうすべきだろうか、集めたい手帳、コレクションの方向性は見えている。多様性、バリエーションを第一に大事にする。手帳の万華鏡であり、万葉集。万葉集はとても好きなありかたをしている。万葉集という言葉を知ったのは、小学生か中学生の頃だろうが、万葉集の好きさを知ったのは、25歳をこえてからだと思う。友人がたまたま万葉集を選び、意図的かつ恣意的に僕の元に届いた。きっと今回の手帳展の運命に関与しているだろう。2年ぐらい前に作った詩のサイトもおそらくプレゼントされた万葉集から来ているし、手帳展はあまりぱっとしなかった詩のサイトを受け継いでいる。ADVゲーム『街』のように、運命の分かれ道は簡単な選択肢程度のことで決まっているのかもしれない。

・今年は『シルアードクエスト』のiOS版のリリースに、手帳展(正式名称は"「あなたが使った手帳、売ってください」手帳コレクターによる初のコレクション展in荻窪")、とても大きな1年だったと思う。去年の『シルアードクエスト』PC版もとても大きかった。もうそれを上回れる感触は(別のベクトルであっても)持てないかと思っていたけど、そんなことはなかった。ベクトルのスカラはもしかしたらシルクエの方が大きいかもしれないけれど、今回の手帳展はまったく育てていなかったベクトルを発芽から一気にのばしてくれた。雨後のひとつのタケノコのような。でも来年はここまでの感触は難しいだろう。温まっているネタがないからだ。だけど、そうも言ってられない。手帳コレクションも養分にして、なんとか作り出せたらと思っている。形はゲームがいい。