2018/08/27

・前回のセーブ時よりは心に余裕があるだろうか。仕事の余裕はないはずだが、我に返ったところがある。しばらく体験していなくて忘れかけていたが連休というのはありがたい時間だ。

・連休中、遊びや勉強などさまざまなことを復活できた。制作の復活まではできなかった。このことから、遊び<勉強<制作の順で復活が難しいようだ。もちろん抱えている遊びや勉強や制作の種類や環境にもよるだろうが、大体がこの順であるはずだ。

・概ねこの順序、と書いてから、大体この順序、と書き直した。最終的な正しさはさておき、違和感を感知する体力がまずあって違和感を吟味する体力へと続き、違和感を修正できる体力へと続く。

・制作するには、もっと言えば制作を続けるには、もっとまとまった時間、コンスタントな時間が必要になる。そのときのために少しでも蓄えておくべきだ。それは冬ごもりをするまえの哺乳類や鳥類の準備に似ている。いまから少しずつ計画を立てることで、環境的な準備になる同時に、気力的な準備にもなる。健康の負債も減らすこと。

・手帳類の本を書く作業は5月のGWのあとからほぼ滞っている。今のプロジェクトが落ち着いたらここから取り掛かる必要がある。いったん切断させてしまった情熱や思考を復活させることは可能だろうか、という不安はある。仕事に集中することで少しずつワーキングメモリから失われていったものを。

・必ずしも仕事は悪いことではない。悪いことでもあるが。それだけの情熱や思考を失わせるのに十分な(自身にとって)難易度を持っている。嬉しいことに数学的な実践ができていて、実践を伴った学習の効率や快感を体験してもいる。改めて改めて高校時代に数学をまともにやっていなかったことをも。級数(Σ)はわずかに感覚があったけど、微分や積分はまったく感覚がなくて、数学の本を読んでみても記憶のひっかかりがまったくない。もしかしたら授業でやっていない領域なのかもしれないが、それすら判断がつかない。

・ただ、ともかく、微分や積分にも興味が出てきたし、あわよくば使いこなそうとさえ考えている。5〜10年前はシグマ記号をみるだけで目をそむけていたが、いまはもう卒倒しなくなった。慣れてきた。プログラミングにおいてもポインタとかオブジェクト指向とかまるでわけがわからなかったものを、なんとか使うところまではもってこれた。そこまでにいくつかの「そういうことか!」体験があった。微分や積分とも、理解できなくても繰り返し触れていって、言葉や記号の意味を少しずつ見につけていけば、親しくなることは可能だろう。良い実践と結び付けることで、親しくなるまでの時間を飛躍的に早めることもできる。

・無縁な数学の概念を分かるために取っているアプローチとして、いろんなタイプの数学の本を読んでみている。さまざまな角度から同じ知識の説明をうけることで、立体的につかもうという目論見だ。最高の効率ではないが、効果は感じているところだ。さまざまな写像を足し合わせてひとつのベクトルを作るような方法だ(写像という言葉をこんなふうに使って合っているかもわからないが、言葉を何度もスケッチするようなものだと思ってほしい)。

・こうやって定期的に自身をセーブしながら、やがて来るであろうまとまった時間に大事なことをロードすることも考え始めている。ロードはどうやってやるのだろうか。どれぐらい時間がかかるのか。どれだけのものをロードできるか。ロードが頼りないものならば、セーブして中断するわけにはいかない。そんなことも検討してみよう。テストは一度きりというわけではないが、今回はそれを試す機会となる。