2008/03/10

・捕鯨問題が面白くないから、 今一度考えた。 まず、 なぜ鯨をとってはいけないか、 という問題だ。 本来、 動物が他の動物に対して、 獲って食べる行為がもっとも自然である。 動物医療の漫画にも描かれていたはずだが、 わたしもほとんど同じ立場だ。 その上で、 生態系において人間は圧倒的な力を持つから、 他の動物に対しても配慮が必要であろう。 しかし、 それが獲って食べてだめだという話にはならない。 それが問題になるときは、 生態系に影響が出るくらいに、獲る対象の数が著しく減少したときのみだ。 他の動物を根絶やしにして良い権利はないし、 第一利益に反する。 だから、 反捕鯨の立場が、 鯨の数においてのみ、 その立場を理解できる。 その場合、 まずすべきは鯨の数をできるだけ正確に知ることだ。 鯨はその大きさゆえに、 繁殖能力は低い。 そして一方で莫大なエサを必要とする動物だ。 だから、 鯨を取りすぎるのと同じくらい、 鯨を守りすぎるのも良くない。 繰り返すが、 正確な数を知ることが望まれる。 そもそも、 人間がここまで力を持った以上、 地球上のあらゆる生物について状態を把握しておかなければならない。 すでにその考えはレッドデータなどで進んでいる。 捕鯨に賛成する立場でも、 鯨が絶滅するのを喜ぶ人はいないだろう。 人間は古代から、獲物に感謝しながら、適切な数だけをいただいてきたはずだ。反対に、獲り過ぎれば滅びるものと相場が決まっている。そういう文明をいくつも見れるではないか。

・問題なのは、鯨の数を問題にせず、 反捕鯨の立場をとる人がいる場合だ。 ヒンズーの人でさえ、 日本人が牛を食べるのを認めている。 自分たちの文化を尊重することは、 つまり他人の文化を尊重することだ。 私はヒンズーの人が牛を神聖な生き物と考えるのを良いと思う。 しかし、 牛は美味いので食べる。 こういう態度をとらない人間がいるのは知っているが、 それが国だった場合、 なんらかの制裁を課してくると思われるが、 別に良いではないか。 それが鯨で、制裁が貿易で受けるのが日本でも。 制裁を受ければ経済的に少し貧しくなるだろう。 しかし、 それより価値観を強制させられるほど貧しくはない。 日本が鯨を獲るのをやめなかったから、 制裁がきました。 貧乏になりました。 これからは自分たちで食べ物を生産しましょう。 それならそれで良い。 今はエンターテイメントで食べているが、 食べ物を自給自足しなければならないのなら、 しかたがないが食べ物を作ろう。 価値観をまげられるよりは、 数値で言い表せないぐらい良い。

・仮に私が反捕鯨で、 どうしても通したいなら、 鯨より美味い食べ物を作ってより安い値段で提供する。 鯨の食料としての価値が落ち、 少しは食べられなくなるはずだ。 どうしても価値観を押し付けたいなら、 北風ではなく太陽で行くのが現代のやりかただ。