2011/05/24

・制作を全くしない日が減ってきているのは、純粋に良いことだ。ここのところ、やる気がダウンしても2、3日が限界で、プログラミングやゲームデザインに再び向かう。実践のない勉強が減ってきた。たぶん、作りたいものをイメージすることに慣れてきて、具体的できるようになってきているのだと思う。

・ゲームの企画を頭の中で何度も作ったり、ボツらせたりしている。成果物にはなっていないけれど、繰り返すたびに、作り直すたびに、より強固で形になった企画ができてきている。昨年の会社を辞めたときに頭の中にあった個人制作リストと今のリストでは質が全然違うだろう。面白さの得点は同じでも、あるいは作りたい度合いは同じでも、より少ない要素(つまり簡単に作れるということだ)でできている。漠然とした願望が、作れそうなレベルまでデザインされてきた。

・プログラムはそこそこできるにしても、上手に絵が描けた方が良いだろうし、効果音やBGMも作れた方がいいに決まっている。デザインもできたら幅が広がるだろう。もし自分で自分のイメージどおりにそれらを表現できたらどんなに良いことか。良いに決まっている。だが、時間は限られている。それはどうしても必要なものか?自分でできなければならないのか?最高に必要なものか?それなりに自問はしてきたと思う。

・デザインという言葉が頭にはりついた頃からか、ものとものとの関連、要素と要素の関連を意識するようになった。もうひとつ、作品と作品との関係がある。作ろうとしているゲームとゲームの関係も見ている。ある未来の作品がある別の未来作品の上位レベルに位置している場合がある。

・例えば、夢野久作という人の代表作と言われる『ドグラ・マグラ』は、それまでの彼の著作のありとあらゆる要素が入っているという。つまり、『ドグラ・マグラ』のそれまでの作品の集大成であり、それまでの作品は『ドグラ・マグラ』を作るための習作と言える。僕もこうやって作りたい作品同士を見比べている。そして、できるだけ簡単な要素でできているものから最初に作ろうと思っている。この1年で、要素がひとつあるだけで十分に難易度が高いと分かったし、それを磨くことが大事だと分かったからだ。ビジネスの世界ではキャリアデザインと呼ばれているものだろう。

・それで少し戻ると、自分にどうしても必要なキャリアは、絵でも音でもなく、物語を作れる能力だ。お話を作れなければお話にならない。企業活動にせよ個人活動にせよ、このキャリアを詰まなければならない。僕が作りたいもののリストにあるほとんどは、システムと物語がコアになっているからだ。密接度が高くて、差し替えや外注がしづらい。密接させたものを作りたいと言い換えてもいい。

・多分この日記は、以前書いた、”私が今の時間を利用して勉強したいと思うものがはっきりして良かった。それは筋(ストーリー)と型(モデル)をたくさん作れるようになることです。”の別の言い方にすぎない。ただし、より具体的に踏み込めた。一回転した地球のようなものだ。一周してまた戻ってきた。同じ面が前よりも豊かになっていた。