20111202

・いよいよメインマシンが調子が悪いので修理に出す。たぶんハードウェアのどこかを交換しないといけないはず。3万円ぐらいでなんとか直らないかな。さっきまでノートパソコンに作業の機能を移す作業をしていました。

・いよいよ12月というか、個人的な貯金もだいぶ減ってきて、あと1年ぐらいしか持たない。なんとでもなると思っているけれど、個人制作に使える時間が減るのは間違いないだろう。そうなっても、個人制作時間の確保を大事としたい。ネタが浮かばない間に仕事をするといった都合の良さがほしい。楽しいし、まだまだ納得いかない。情熱がなくなったらそりゃ辞めるだろうけど、僕の場合、納得いくかいかないかが情熱とイコールな気がします。

・いよいよ物語。今年は実装期間以外は、物語とゲームの組み合わせを試行錯誤していて、たくさん失敗して、完成品はできていないけれど、だいぶ試すことができた。書くことの難しさや技術をたくさん感じた1年だった。お話を作ること。書くことと組み立てること。適切な題材と適切な形態を探した1年とも言える。

・もうちょっと具体的に言うと、自分がどういうものが好きで作ってみたいのか、それとどのくらいの大きさや難しさなら作れるのだろうか、この2つについてあれこれした。今のゲーム、昔のゲーム、ネットのゲーム、小説、探偵小説、技術書、漫画、詩、短歌、ショートショート、昔話、伝説、SFなどを楽しみながら、自分が好きかどうか、作ってみたいかどうか、作れるだろうか、などのアタリをつけていった。遊んでいるだけとも言う。でも、今までこういう風に楽しんでこなかったのだと思った。二十歳ぐらいで作家デビューする人はもうちょっと違った視点で見ているのだろう。

・年齢は気にしない。年齢よりも健康や環境だろう。幸いまだ恵まれているので…。何歳までに諦めろ、などという人は自分にだけ適用してください。

・ゲーム以外の作品を人生で一番体験した一年だったと思う。それに驚くほど面白い作品をたくさんあって、驚いた。今まで知らなかったのだ。膨大な数の作品があって、今も生み出されていて、おそらく多くの人が新しく出たというだけで不当に多くの作品をつかまされていると思う。それでも新しいというのは価値があるし、古いものの平均よりは新しいものの平均が上回ると思う。作り手は古き良きものを探して、しっかり吸収して、新しいものを出せばいいんだと思う。すべてを遊べない人類の代わりに。すべてのエッセンスを楽しませるために。

2011/11/24

・ボランティアのイベントも成功裏に終わったところでセーブする。

・ボランティア活動では、子供、老人、高校生や先生など、これまで接することの少なかった人たちとの交流があって、閉じかけた世界を広げなおしてくれる。原点を思い出すし、比較することで自分の位置が浮き彫りになる。

・子供たちの遊び方はダイナミックかつスピードに溢れていて刺激的だ。時速200キロの車を追うようなもので、付いていくのが精一杯。竹ひとつやシャボン玉ひとつで遊びが成立する。次々とルールが生まれては消える。遊びは変化し続けて、文字通りシャボン玉や竹は遊び尽くされる。新しい遊びの仮説や試みにためらいがない。その場で思いつき実行される。僕にできることと言えば、そのインスピレーションを肯定し、助けることだけだ。そうして、彼らのダイナミックとスピード感を持ち帰った。

・ルールを守ることと、ルールを変えること。この2つはしばしば衝突する。ぶつかった結果、著しくパフォーマンスが低下する。子供たちの遊びは実にパフォーマンスが高いが、例えばゲーム開発のようにもっと複雑なものを作ろうとすると、そのままでは必ずしも上手くいかない。しかし、大人はここで守る側に一気に振れてしまう。保守によってパフォーマンスを出し、結果を間に合わせる。何かを制作するときに、もう少し子供のバランスを持ち込みたいな、と思ったのでした。

・前回の日記から二十日経って、まだ短い物語はできていない。残り時間的には、少し焦る。一日一プロット、みたいな目標だったのだが、二日に一回というペース。プロットに慣れてきた感覚はあります。設定も少し慣れてきたし、残りは人物やその関係、そして執筆、書き上げること。時間はかかっているけど、一作ではなくて、多作なのだから、これで正しい。一作ずつ完成させていくのがもっと正しいのだけど、僕みたいな甘い人間には少し難しいのかな。より甘い道を選択して、自分を誘導する。もともとの楽観がさらに楽観的になってきた。なんかできそうだ。

・プログラミングのhello worldに相当する物語ってなんだろう。ショートショートとか4コマ漫画になるのかな。水面下で考えること。

2011/11/02

・一週間ぐらい前から、お話を書くモードになっています。お話を書くのはまだ上手ではないので、インプットを多めに取りながら甘い目標設定をしている。1日2時間はお話を書く、どこかの時間帯で―という目標。設定などを考えるのは随時。こんな感じの取り決めが三日ぐらい前に固まってきた。

・小説が書けない、という状況は、自分の創造力を過信していることかと思った。今までお話を幾度となく書こうとして、少し書けたり、書けなかったりしてきた。振り返ってみて、お話を書く瞬間に創造力が発揮されるのを期待していたし、それができない時点で一旦あきらめていた。お話に限った話ではなく、近頃の自分の取り組み全体に言えるアプローチとして、小さく簡単にできるようにする、というのがある。その方が今のところ生産性が期待できるし、気持ちよくレベルアップできる。

・お話に関しても、小さく簡単に書けないか?ということを調べたり考えたりした。その結果、1.短編を書く 2.好きな物を好きな場面から書く 3.無理をしない(書く楽しさを味わう) 4.好きなものをたっぷり摂取する、といった方針を得た。書籍やネットの情報の参考にした他、自身のプログラミングの経験で補強した。

・プログラミングを楽しく集中して書ける条件が、ある程度はそのままお話を書くことにも適用できる気がした。プログラミングだって思い通りに書けるときは本当に楽しい。その条件は何かと考えると、ある程度の経験や知識がいる。快適な作業環境がいる。そしてこれからプログラミングするものに対する十分な予備知識や設計、イメージがいる。そして先立つものとして、それを書きたい、動かしたいと思う気持ち。もちろん心身が健康であること。お話にも多く当てはまりはしないだろうか?逆にこれら無しで、なんとなく書いたり、当たって砕けろ、みたいな気持ちでぶつかったら、文字通り当たって砕ける。波みたいだ。

・ちょっと回り道したなと思ったのは、何かひとつの分野がある程度できるようになったことで、自分が全体的に万能になったと錯覚したことだ。それでお話を書くときに初心から始めるのを怠ってしまった。急がば回れとは言うが、この件に関しては本当にそうだった。スポーツ選手がフォームを何度も繰り返してものにしていくような、地道な作業が必要なのだ。もちろんセンスがあるならば、ある程度はすっとばして構わないのだろうが、挫折感があるのならセンスなどと言っている場合ではない。その地道な段階を楽しく超えるための個人的なトレーニングメニューが上記の4つです。

・いきなり机を前にしてお話が創造されるのを期待されずに、あらかじめ知識やイメージをたっぷりと吸収し、時間をたっぷりと使って頭の中で想像しておく。布団にくるまって設定や場面を妄想する。ある程度溜まったと思ったら、この下ごしらえを持ちこんで机に向かう。頭に想像が浮かんだら、その範囲で創造していく。想像できたものを書き写していくだけだ。その瞬間に想像が創造になる。あるいはこれが執筆という行為そのものかもしれない。興奮は少し薄れるかもしれないが、それでも想像に対してよい言葉やフレーズが当てはめられたら楽しい。想像に適当な言葉がつけられないなら、辞書を捲ったり試しに書いたりして感触を確かめる。想像がMPみたいな感じで消費されていく。尽きたら、そこでおしまい。宿に入るなり、好きな本やゲームを楽しんで回復させる。そうやって取り組めば、少なくても書ける。面白いものかは別にして。そういう段階があっても良いのではないか!

2011/10/27

万葉拾遺ポストは毎日ひとつぐらい細かい修正をしています。だいぶサービスとしての体裁ができてきました。人数は少ないけれど、直接の知人じゃない方も書いてくれて、少し満足しました。自己中心的だけれど、自分の世界に関わってくれる人が嬉しい。

・物語を作ることに関する日記を書いたのだけど、ふと思い立って、それを万葉拾遺ポストに投稿してみた。こういう形で日記を縦書きで読ませるのもいいかもしれない。同じ文章でも、たぶんこのブログを読むより、人の日記を読んでいる気分になれます。最初はブログでもそういう気分を味わえたものだけど、普通になっちゃったから。なんでも公開できる時代になった。世界を閉じ込める技術がいるのだと思う。

2011/10/11

・新しい空白の日記を1000日分生成した。つまり、前回の1000日分が尽きた。3年ぐらいが経過したし、そのツールを使ったのも3年ぶりだった。このツールを今なら、30分ぐらいで作れるだろう。さらにその3年前、たぶん6年前にも何かしら感想を持ったはずだ。

・http://tentomushi.mond.jp/のサーバ契約が終わった。長い間使わせていただきありがとうございました。

・次に作るものを想像しながら、万葉拾遺ポストの細かい修正や、携帯サイトなどを作っていた。詩を投稿して共有するサイトです。指標は、ひとつの文や言葉あたりが胸を打つ可能性です。有益な情報でも、面白インターネッツでも、巨大なメディアでもない。地味ながらも、普通で、自然で、素朴で、素直な言葉が集まるサイトにする。それができれば、指標に関しては、世の中のすべてのウェブサービスより上になる。

・言葉を写真や音楽や絵画のように楽しむこと。そういった楽しみを取り戻すこと。知ってもらうこと。万葉集みたいに集めて残すこと。前回の説明のバリエーションはこんな感じです。

・携帯は電話とメールにしか使わないけれど、携帯サイトも作ってみると、なかなか良いものですね。パソコンの空間が宇宙だとしたら、小宇宙という感じがします。個室というか、余計な情報が入ってこない。スマートフォンサイトも気が向いたら作ります。パソコンサイトと携帯サイトの中間、といった感じになるでしょうか。

万葉拾遺ポストを使っていると、いかに言葉を選んでこなかったか、という驚きがありました。それに言葉の配置に気をくばってこなかった。ツイッターでは7778回つぶやいているみたいだけれど、140文字に情報を圧縮する訓練をしただけで、つぶやいている回数ほど出てくる言葉や着想が磨かれたとは思えない。以前サイトに着想や感想を1000回書き付けたときの方が良かったと思う。要するに鈍っている。言葉が好きなので、万葉拾遺ポストのリリースを機に、もう一回言葉を磨きなおし、研ぎなおしたい気持ち。

・それから物語に進む。詩や歌物語に橋を架けてくれたのだと思う。万葉拾遺ポストはたくさんの人に使ってもらいたいサービスとして制作したけれど、結局はほとんど自分のためのリハビリ・サービスなのかもしれない。

2011/09/27

・詩を扱うサイトがだいたいできた。手元ではもうできていて、サーバにもアップロードしているのだけど、サーバが不調でまだろくに使える状態ではない。ただ、サーバの管理者が調整だけしてくれたら、私が何もしなくても、もう動く。

・日記というよりは、新しく作ったこのウェブサービス(『万葉拾遺ポスト』というのだが)とは何か?を自分の中で書きながら整理していきたい。草案を書く気持ちで書いているので、全体としてはぼやけた印象になるだろう。これを元にもっと、プレゼンショーン的な文章を作っていきたい。

・万葉拾遺ポストとは、投稿した文章が縦書きになるサービスだ。その文章は掲示板やブログみたいに共有できる。投稿する文章は何でも良いが、縦書きの文章は、次々に流し読みする文章ではなくて、ひとつひとつをじっくりと鑑賞する文章にぴったりだ。また、そういう文章が映えるように、ひとつの文章(詩)単位で表示するようにしている。詩といっても、広い意味で、文章なら何でもいい。俳句。短歌。自由詩などいろいろあるだろう。

・話は戻る。もし大量の情報の洪水に浸かっていくのがウェブの醍醐味なら、ひとつずつ文章を読んでいくのろまな『万葉拾遺ポスト』は、ウェブの文化の中ではマイナーなサービスだ。その代わり、投稿した文章ひとつあたりの味わいの平均は、他のどのサイトよりも高いものにしたいと思っている。それも、投稿する人に文章のスキルは要求せずにだ。投稿する人が素直に素朴な文章を投稿しやすいようなサイトにしたい。変なかわいさとかかっこ良さはいらない。万葉集のように素朴さを良しとしたい。ちょうど一ヶ月ぐらい前に初めて詩を好きになった僕みたいな人間に楽しんでほしい。そこに詩の上手い人が1割ぐらい加わってもらって、選者を募り、時代を感じられる詩集ができる…というのが青写真だ。

・今回のサービスは前のNINMARIよりもっと地味なサービスなので、広告するのが難しい。だから、とにかく、簡単に使ってもらえるように工夫した。他の機能を少し犠牲にした。ただ、携帯電話(スマートフォンを除く)では見れないので、そこだけが足りていない。とはいえ、基本的に横書きのコンピュータ、それも解像度の低いモニターである携帯で、どこまで詩を味わってもらえるのかは、イメージができない。

・なぜイメージできないかというと、体験が作れないからだ。万葉拾遺ポストに投稿したり読んだりすることは、ツイッターやブログや掲示板やケイタイ小説とは、読むという体験が違っていてほしいと思っている。また、画像や写真に文章がついたものとも違っていてほしいと思う。それで、その違いを携帯で作れるのかが、そこはまだイメージできていないから作れない。確認用としてのサイトなら少し勉強したら作れるけれど。

・地味で広告はしにくい、と言ったけれど、たとえば人と会ったときに「こういうものを作ったんです」とは言いやすいと思った。誰にでも勧められるし、特に言葉がすきそうな人にはしっかり伝えられる。その点はNINMARIより説明しやすいと思っている。迷惑かもしれないが、サーバが動いたら、過去にもらった名刺のアドレスに宣伝を送ってみようかと思っている。

・最後に、ツイッターや掲示板と違うのは、あるいは他のウェブサービスと違うのは、サイトの寿命にたいする予想や期待だ。仮にそこまで反響がなくても、ひとつひとつの投稿がよければ、長く生き続けられるサイトになると思う。それこそ、万葉集の思いをこめて作ったサイトだからだ。個人作品として、使い捨てのサービスや作品を作ろうとは思わない。

2011/09/12

・八月中に新作を出すと言っていたものが、ずれこんでいて、もう少しかかりそうです。中身はウェブの詩集サービスになります。前回(一ヶ月前)の日記を読み返すと、あと1日で最低限のシステムができる、と書いてあるけれど、昨日ようやくそれができた、という感じです。一ヶ月前に思い描いていた最低限はなんだったのだろう。最低限の最低限か、はたまた最低限の最低限の最低限か…。それならば、今日の最低限が明日の最低限になるとは限らない…。おお怖い…。

・空白の一ヶ月、とは言えない位、毎日作業していたから、日記を書きながら振り返ってみます。主に、1.サーバサイドプログラミング 2.サーバ構築&移植 3.縦書き表示、4.見栄えの試作、の4つがあります。特に3に時間がかかりました。単純に4で割るとそれぞれに1週間かかっていて、かかりすぎという印象です。でも1と2は単純に知識や慣れの問題だと思うので、今後は楽になりそう。

・自分のスキルやキャリアから見れば、もともとのゲームプログラミング技術に、ウェブシステムプログラミングが加わった格好です。あとはモバイル(スマートフォンやモバイルサイト)なんかに慣れておけば、かなり表現の幅が広がります。作りたいものに合わせて選択できるし、無理に既存のゲームの形にする必要もなくなる。これは、自分の興味にとって、かなり大きいことかも…と思っています。実際、ウェブシステムを作ってみて、(他にも面白いものが作れそうな)可能性を感じています。

・さて、詩をインターネットで見るのだから、縦書き表示にしたいと思いました。でも、ネットは横書きが普通で縦書きは面倒な技術が必要です。ただ、僕はそのプログラムをネットで見つけていました。そもそも、その縦書きプログラムの存在がなければ、詩集サービスを考えつくことは無かったと思います。それのおかげで簡単に縦書きが実現できたのですが、少し見栄えが思い通りに行かなかったことと、せっかく詩を投稿してもらうならば、きちんとしたフォントで表示したいと思ったのが、後に10日ぐらい時間を費やすことになりました。

・とまあ、サーバの技術や知識を身につけたり、コンセプトを洗練させたりしながら、残りは見栄えだけというところまできたので、とても充実した一ヶ月でした。友人にも会えたし。それで、今度は今週を目処に公開したいなと…(さて、次の日記の更新はいつになるだろうか)。これを読んだ方々は、そろそろ詩的なフレーズを書きためておいてください!