2014/02/10

・1月29日の日記をアップし忘れていたのでアップした。そのまま今日の日記を書いていく。日記とは言いつつも、二週に一度、二週記なのであるが。

・仕事をして寝ているという状況で、プライベートや個人制作が入りこむ余地がない状況だ。かといって、まったくのゼロというわけではなく、そのわずかな瞬間が、けっこう良いものであるかもしれず、多忙を理由に黙殺するにはおしい。できるだけ書き留めておきたいところだ。

・よく作品などで作り手が、見る人によって違った作品になったらいい、みたいなことをいって賛否両論がある。自分としては賛同も反対もなくて、これは作り手の意図による。確実に一つのストーリー・解釈を届けたい場合は当てはまらないと思うし、たくさんの解釈を意図的につめこんだ作品は当然当てはまると思う。ゲームだとシングルストーリーかマルチストーリーかで明示的にできる。シングルストーリーがひとつの解釈しかない、という意味ではない。

・つまり、誰もが同じ映像をみる映画であっても、解釈のゆらぎがそれぞれの人に別個の物語を再生する。物語というものが全体的にそうなのだと思われる。解釈のゆらぎが深みという意見にはその通りだと思うし、単一の解釈がすきならもっと論理的なもの(たとえば数学)なんかを楽しめばいい。いや、数学的な楽しさをもっと手軽に味わいたい、というニーズがあるのかもしれない。

・あと映画とゲームの比較をすると、映画ではポーズボタンを押すと一時停止となるが、ゲームは何も入力しないでいると延々と今のシーンが再生されている。これは大きな違いだと思う。僕はRPGなんかでよく、何も操作せずにそのままゲームに浸っていることがある。それは特別なイベントシーンではなく、自由に操作できる町の中やタイトル画面であったりする。お気に入りの台詞を画面に映し出してそのまま作業をしたり、何もしないでいたりする。それは絵画とか写真の鑑賞に近いかもしれない。音楽のリピート再生にも似ている。ふっとその瞬間にとどまらせてリラックスしたくなるゲームは、僕の好きなゲームだ。たぶん年を取るともっとこういう要素がほしくなる。いまだにこういう遊び方、ゲームの効用はメジャーではないようだから、自分の作るゲームではなんとか再現したいものだ。