2008/08/26

・ここ1ヶ月ぐらいは「note」カテゴリにあたるメモや文字入力を行っていない気がする。 入力<出力になっているか、 考え方が具体的になっているからだろうか。枯れていく感じがする。

・目が覚めたとき、 その時間がどういう時間か考えること。 寝る時間、 二度寝時間、 作業時間、 遅刻時間、 用事時間などがある。

・お弁当屋のおばさんとは客と店主の関係だが、 私が敬語を使って話していることに気がついた。 特に意識したわけではなく、 自然とそうなっていた。 この方とはそうしたいと無意識的に判断したのだろう。 実際に信頼関係(無論、 客と店主の関係であるが)ができている。 馬鹿丁寧に書くと、 おばさんは私をお客さんとして信頼し、 私はおばさんを店主として信頼していると言うことだ。 ほう、敬語も役に立っているんだなあと思った。

・敬語はあまり好きではないし、 面倒だと思っていた。 同じことをなぜ別の言葉に言い換えるのだろう。 しかも、 敬語は大抵冗長で遠回りで間接的だ。 要するに意図が伝わりにくい。 だから、 コミュニケーションに適していないと判断していたし、 また、 上下関係をさらし続ける儀式のようで嫌だった。 ところが、 今日話している関係だと、 敬語が上手く機能している。 これは便利かもしれないと思った。 少し考えて、 あ、 これも表現セットのひとつなんだなと思った。 私が書いたり話したりするときに、 どの表現がより適しているのかを選びとる行為の一形態だろう。 敬語というと、 一段上の特別なイメージがあって、 国語の教科書で知ったときからだろうか、 長らくそれがこびりついていたが、 例えば赤ちゃん言葉などと同じ表現セットであり、 同じ道具箱の中身だと分かった。 新しい文房具を手に入れたような気がしました。