2009/02/23

・ケールの仲間にプログラムを書いた。言葉のリストと文字数配置から歌詞を自動生成する単純なもので、デバッグ込みで20分ほどで書けた。GUIではもちろんない。にも関わらず、効果は絶大であった。絶大というのは仲間が喜んで使ってくれたという意味である。多少のおべっかはあったと思われるが、それはいい。そもそも、手芸や声を主戦とする彼女とプログラムが交わったのがとても驚きで、もちろん嬉しかった。驚きの度合いは間違いなくこの1年ぐらいでは1番だ。プログラムにそのような可能性があるのを、あきらめていたどころか、模索すらしていなかった。

・それから、作った歌詞をプリントアウトして、気に入った箇所に丸をつけた。楽しい時間だった。調子に乗って100回ぐらいプログラムを走らせたら、100枚以上印刷しても終わりそうに無いので、途中で中止した。単純なランダムだけどけっこうな詩人だ!仲間の感性と私のプログラムの共同制作。

・そもそも、前日に歌詞を考えて、私が書いたのを採用してもらったものの、どうもしっくり着ていない様子であった。共同作業にありがちな風景だと思います。こう着状態が訪れた。そこで、押し通すこともできたし、あきらめることもできた。しかし、そのどちらも採用したくなかったし、なにより時間がまだ残っていた。話しているうちに、プログラムを使ってみようというアイデアが生まれた。いま思い出しても素敵な瞬間だった。上に書いたとおり、プログラムの可能性を過小評価していたから、冗談半分だったけど、一軒家を使わせていただいている環境の充実と、がんばっている仲間を見て、廃棄物を作ることになっても良いから作ってみようと思った。個人的には忘れられない1日になった。たっぷりと時間をかけてコミュニケーションをとって、相手を理解しようとしつづければ、やがて何かが創造されるのだと理解した。もう1人の仲間とも同じことができるだろうか。

・たとえば、誰かと、1ヶ月まるまるコミュニケーションをとるのに使いつつ制作したらどうなるのだろう?1年では?20年あれば子供を育てられる。時間をかけるとはとてつもない結果を生む。1時間では制作できない、1日ではできない関係が作れる。独りももちろん良いが、もっとわくわくするのは複数の人間でそれを試すことだ。時間管理に優れた、あるいは潤沢な時間を持っている人間と制作を続けてみたい。作る楽しさがまたひとつ増えた。娯楽があふれているからほとんどの人は知らないまま一生を終えるだろう。私だって運が良くなければ、死ぬまでこういう体験はできなかった。これはもう止められないよ。