2009/04/04

・電車の中で30字。

・最高の仲間とお花見。とにかく楽しかった。花なんか見ていない。人を見ている。話の幅が広い人間と話すのはとても面白い。異性の話から政治とか歴史とかへ簡単にワープする。教養があるとはこういうことに違いない。そして、そのような人たちとの会話は、私にも教養があると錯覚させる。

・前さんに久しぶりにお会いした。相変わらず粋な人だ。人間を大切になさる。素敵な方々と親しくさせていただいてると、普通の人付き合いがひどく意味の無いものに思えてしまうという欠点がある。花見をしていてそんなことを思った。

・今日のお花見は誘う側だったので、たくさんの人に声をかけた(家が遠くない人のみ)ものの、ひとりしか来てくれなかった。いや、それは違っている。なんと、ひとり来てくれた!が正しい。私は好きな人間を誘うことに成功したのだ。思えばずっと、誘われるのを待っていた。どれだけ素敵な人に誘われるか――こんな具合で自分を品定めしていた。それも悪くは無い方法だが、乙女的で不確実だ。たとえば、ギャンブルだと宝くじやパチンコが近いだろうか。ゲーム性がない。それよりは、競馬のような自分の知識や知恵を積極的に活用して勝ちをもぎとっていくギャンブルが好きだ。では、なぜ人間については積極的になっていなかったのか。おそらく甘えていただけである。中学時代の友人を思い出す。彼らは毛色の違う私を、とても積極的に誘ってくれた。それが嬉しかった。そんな嬉しさが甘えを育てたのかもしれない。彼らはもう結婚したと聞くし、子育ての段階に進んでいるだろう。

・花見の最中に分かったことで本当に恥ずかしい判明があった。近頃、四六時中、『あぺぽぺ』が浮かんできて、仕事中をはじめ、効率がダウンしている。これは一体どういうことだろうと思っていたけど、どうも恋をしてしまったみたいだ。そんな状態が近い。本当に馬鹿だなあと思うけれど、こればっかりはしかたがないのかもしれない。盲目的になっている。いつか覚めるだろう。それまでにしとめたい(完成させたい)です。

・何と言っても、最高の仲間にタダ同然で制作を手伝ってもらえることになったので、その状況に酔っているのかもしれないし、何よりも才能、時間をいただいているわけで、これで納得できるものが作れなかったら、自分の作りたいものなんて、きっと影も形も無いのだろう。規定は難しいが、時間(可能性)を奪うことは罪だ。よって、酌量の余地がない罪を犯したならば、潔く退場して、仲間の才能を引き出すことに尽くそう。