2010/10/06

・将棋で言えば、長考に入るべきタイミングじゃないか、と思った。設計が長考で、普段ノータイム、もしくはわずかに考えて指すのが、実装という作業なのではないだろうか。

・おそらくソフトウェア工学と呼ばれるものについて四苦八苦しているのだと思う。なんとなく仕事をやってきたつけだが、いま自分でなんとかしようとしている。

・物語を体感/分析するために、『ルドルフとイッパイアッテナ』の書き写しを1日に1章ずつやっていて、90%以上すんだ。本文が8万字になって、感想や気づきのメモが2万字とちょっとぐらいにたまってきた。作業を明確にし、適当な大きさに分割できると、毎日こつこつと、淡々と、粛々とできるのだと分かった。こうやって適切な大きさに切られた作業を何と呼んだらいいだろうか。ひとまずこれを、すこし堅苦しい言葉だけど、実装と呼ぶことにする。一方で、作業を明確にする作業と、適当な大きさに分割する作業みたいなのがあって、設計だとかデザインだとか呼ばれるのだと思った。設計とデザインの2つの言葉を、はっきりと使い分けられないので、いずれはっきりさせたいが、今日のところはごっちゃに扱う。

・それで、いま、私が設計だとかデザインだとか呼んでいる作業は、私にはまだうまくできない。それっぽい情報やアイデアをかき集めてみても、その瞬間は喜び勇むんだけど、しばらくして、あるいは検討してみると、ほころびが見えてきて、意欲や期待が急速に失われてしまう。そうなってくると、無理やり実装に舵を切ってみても、うまくいかない。これを何度か体験した。何かできるだろう、ぐらいの期待値では手が止まってしまう。手が動かない人間なのだといってしまえばそれまでだ。

・こうなってしまったときに、2つの方法を思いついて、ひとつは手をどうにかして動かしてしまう方法だ。これを試してみたけれど、心に何かがひっかかったまま、それをだましだまし抑えこみながら進めていくので、気分が良くない。仕事としてみても、あまりよろしい方法ではないだろう。これは失敗だった。仮に、やってみたら案外うまくいった/楽しくなってきた/期待値が上がってきた、そういう風に変化すれば、これでうまくいく。この判断を早めにできればいい。

・手を動かしてみて、あるいは手を動かしてもだめだろうと直感的に思ったとき、もう1つの方法がある。設計やデザインをもっと粘り強く行うというやり方だ。これは、環境にもよるだろうが、自然と身についている場合と、遠ざけている場合とがある。特に、実装込みの仕事では、締め切りもあって、つい見切り発車してしまう。時間のプレッシャーや何もできていないというプレッシャーはきつい。私はこれらがあまり得意ではない。でも、考えることや試行錯誤それ自体は好きなので、いまの機会を利用して、うまく取り入れられるんじゃないかと思っている。

・実装は何かしらの成果がでる。設計は何かしらの成果がでるとは限らない。設計に取り組んでみて、気が散ってしまっている自分に気がついた。設計は実装と違って、精神を落ち着けて、じっくりと取り組んでみないと、うまく行かない。ついネットを見てしまったり、遊んでしまったりするが、実装はそれでよくても、設計は(少なくても慣れるまでは)それでは良くない気がした。まとまった時間、集中する必要がある。

・明日引っ越すのだけれど、せっかくの切り替えのタイミングなので、すこしネットを切断したままにしてみようと思いついた。設計に取り組んで、適切な作業の単位をつくれたら、ネットを復旧させようと思う。もちろん、ネットがないことで設計するのにどうしても困るとなったら、それでも復旧させるつもりだれど。