2010/11/17

・しばらく日記を書いていなかったと思う。だからいまから書くのは、日記ではなく、前回日記を書いてから今日までの記録になる。日記とは1日単位で書く記録ともいえる。それは寝る―記録がある程度処理されて整理される―前に、記録を残す意味もあるだろう。晩御飯に何を食べたか、などというのは、たいていの人がすぐに忘れてしまうものだから。では、しばらくぶりに書く記録というのは、そういった忘れる処理を得て、なお残っているもの書く。書く瞬間の思い出す処理によって呼び出されるものを書く。そんな行動だろうか。

・日記を書いていなかった間、インターネットも使えなかったので、主にデスクトップ上で記録を残している。ただ、こういう風に考えや感じを書くのではなくて、行動を主に残している。そういう習慣をつけることで、少しずつものごとを進めて行きたいと思ったからだ。実際、少しずつものごとは進んでいる。一方で、そうやって記録できないような行動、つまり(おもむろに辞書をとり、成果を調べ、次に結果を調べ)結果はあるが成果としては数えにくいものもあって、それもまた大事な行動だと思っている。

・紙の辞書を使って言葉を調べるようになったのも、インターネットを使わない間に復活した習慣です。インターネットでも言葉は調べられるけど、紙の辞書を使うほうがより言葉を大事に扱える気がします。インターネットだと、ぱっと調べてぱっと閉じるという風に、どうしてもがさつに扱ってしまう。もちろん、インターネットが悪いわけではなく、僕の道具の使い方にあるのだと思う。

・ほかには、詩に興味が出てきたのも、この一ヶ月弱の間にあった変化だと思います。僕のことなので、おそらく、ゲーム表現について考えた成果のひとつだと思います。中でも、『たいようのおなら』という児童たちの詩集がとても良くて、10日ぐらい、毎日読んでいます。とにかく発想が抜群です。言葉の選び方や組み合わせがすごいのではなくて、太陽やお父さんやお母さんという、ありふれたテーマでここまで深いものが書けるのか、見立てるのか、という驚きがあります。たぶんこういう方向では詩人も子供には適わなくて、それで言葉の選び方や音の並び方をがんばるのだと思います。そういう詩集も、もっと読んでみたいと思います。僕はもう子供ではありません。

・紙の辞書も、詩も、言葉についてもっと知りたい、磨きたい、そういう考えがベースだと思います。たとえば、今日の記録では自分を「僕」と書いていますが、ここしばらくは「私」と書いていました。それも言葉に敏感になった結果、僕を選びとったのです。曖昧な記録や洗練していない内省には僕という言葉が似合う。僕の成果が私といえます。aimquestは僕のためのもので、私のためのものではない。

・途中から、僕、私、成果、結果という言葉を使って書いてみました。僕が良いと思う文章には必ずといってよいほど、心にひっかかる言葉がひとつはあります。叶恭子『知のジュエリー12ヶ月』だと、それは検討という言葉です。読んで以降、検討という言葉を使うたびに、彼女が真剣に何かを比べて選んでいるイメージが浮かんできます。