2012/06/16

・物語の骨作りは順調に進んでいる。今日の作業で全体の半分が終わったぐらいです。過去と比べたら順調だけれど、こんな物語で良いんだろうか?という気持ちと、これでいいという気持ちが交互にやってきています。

・正直に言うと、プログラムを書くときよりはナーバスになっている(楽しいときもあるけれど)。そんな時は、"writing is rewriting"というシナリオの格言や、知り合いの芸術家の"産みの楽しみ"とか"恥部おっぴろげ"とかの勇気づけられる言葉を思い出しながら進めている。実際、この程度の感触に対して、丁寧に何度も書き直すとどれぐらいの脚本になるのか、というテストや期待もある。磨けば光るのはどれぐらいの原石からだろう?台詞、構造、人物、環境、どれもこれも磨ける余地はある、というか磨いた場所はないというぐらい鈍く光っている。磨く技術もまだまだ。作って完成させてを繰り返すしかない。

・アニメーション作家は、わずか数分のアニメーションを作るのに膨大な時間をかけているという。文章を生業としている作家も、言葉のひとつひとつを磨いていくのだろう。骨ができて、プログラムを加えて、絵を描いて入れてみたあとに、磨く作業が待っているのだろう。まずはそこまでたどり着くことだ。短期と長期の両方を見ないといけない。

・骨作りは、小説で言うところの執筆なんだと思っている。執筆は磨かない。全体を切り出して並べていく。磨くのは推敲で行う。骨作りも、全体の筋を書きながら、必要な設定や前提を洗い出している。洗い出しながら、つじつまが合いそうにないと判断したらその場で修正はかけている。しかし、それ以外は要素を出すだけにしてみている。進むのを大事にしている。骨作りが終わった段階で、要素を全部並べて、整理して、推敲の材料にする。そんな流れを想像しています。

・今回は完全にストーリー主導になっている。人物などの設定は後付けになっている。現在がキャラクター主導なのは認識しているけど、自分ができそうな感じを優先して進めたらこうなっていた。もしかしたら骨作りが終わって、推敲(組み立てなおし)の段階になったときに、キャラクター主導で組みなおすかもしれない。でも、そうしないかもしれない。