2009/03/17

・世田谷の荷物を背負ったまま、出社したところ、登山者みたいだと言われた。浮浪者といわれるかと思っていた。

・無糖珈琲#2が公開されました。私もインタビューのゲストという形ですが、参加させていただきました。宜しければごらんください。

http://ytaiyo.com/coffee/

2009/03/22

・無茶な働き方をしているなあ。こうなる前に先手を打って仕事ができれば良かったのだが、経験と技術が足りなかった。なんだ。いつもの事か。

2009/03/23

・人付き合いが広くない理由は、どうも、一人当たりに入れ込み過ぎる性質が原因のようだ。親しい人間は、恋人であってほしいし、家族であってほしいし、友人であってほしいし、ペットであってほしい。実際にそうはしないし、できないが、心の中では求めているのだろう。嫉妬心、独占欲が強い。もちろん若い女性が一番だが、傾向は老若男女問わずあるようだ。

・ようやく自分自身で自分自身にプレッシャーを与えられるようになれたかもしれない。プレッシャーが負荷にしか聞こえなければ、責任と呼ぶこともできる。今までずっと他人や環境に与えられてきた。自分をコントロールするための第一歩だし、人任せにできない仕事や生活を始めるための最低条件だ。多くの人間は環境や立場によって、たとえば出世したり親になったりして、不回避にそれを得るのだろう。次の段階は馴致。このプレッシャーを飼いならさなくてはならない。プレッシャーでストレスを抱え込んで、肉体や精神を損ねてはならない。ここ1、2年で、感情的になる場面が増えていたが、コントロールを鍛えるという点では良かったし、意図した結果だ。感情的になる場面を避ければ、もっと頭は働かせるだろうが、それでは上手く行かない場面も多い。特に感情的な人間と接するとき。

2009/03/20

・今週は仕事だ。落ち着かせれるところまで組んでおきたい。

2009/03/21

・『あぺぽぺ』仲間にお願いするのはかなり不条理で困難な作業になりそうだ。おおよそ自分しか興味のない表現をお願いするわけだから。しかも膨大な量である。すまないが頼む、というしかない。なんでこんなものに馬鹿みたいに情熱や時間を投入できるんだ?というものができるかもしれない。感謝の気持ちは2倍にしても、ぜんぜん足りない。

2009/03/12

・noteを再開してみようか。1000まで書いたから次は2000まで。西暦を射程に捕らえる。

・ゲームを遊びたいと思って、フリーゲームを探してみたものの、遊びたいと思うほどリアリティのあるゲームが見つからなかった。リアリティというのは決してグラフィックについてのことだけではない。どのゲームについてもやわらかい印象を受ける。遊んでみないと分からないのがゲームであるから、食わず嫌いをしているのもあるが…。

・そういえば『プラネットライカ』をまだ遊んでいなかった。しかし見つからず。世田谷に忘れたようだ。その世田谷の家も今週一杯で使えなくなる。2ヶ月にも満たない期間であったが、充実した時間を過させていただいた。今週末は撤収作業に終われそうだ。

2009/03/14

・未開封だった『Rez』を遊んでみた。すごく雰囲気があって、面白さよりもそちらに気を奪われた。イメージそのものコンピューター・ワールドです。電子空間をたゆたう。説明書も手抜きが無くて、世界に引き込まれるのを助けた。手をこまねいて手引きされた格好だ。危なく遊ばないでおくところであった。今度、友人たちと遊んでみよう。こういうゲームがあっても良い、というお手本のようなゲームで、未プレイなら遊ぶべき一本だと思います。

・一週間分の日記を思い出して書いているが、良い点も悪い点もある。良い点は、記憶の強く残った分かりやすいものだけを書けること。悪い点は、まったく同じで、記憶の強く残った分かりやすいものしか書けないこと。

・二俣川に行って、最後のお片づけ。冷蔵庫とダンボールを撤去した。もっと有効に使えれば良かったと思う。ケールの仲間とも話したが、空間は適切な場所に無いと効果的でない。簡単に言うと、ケールのメンバーの家から遠すぎたのだ。それが世田谷との最大の違いだった。さらには、泊まれるための十分な施設があり、日付をまたいでの滞在が快適であったのも大きい。

・それにしても、この1週間で、2つの鍵が手元から離れてしまう。残りは3つ。残り個数を強調する意味は無いのだが。空間を資産と見なせば、かなりの損失だと思います。空間の効果は簡単には測定できないけど、世田谷で過した感覚を元に判断すれば、そうだろう。

・簡単に測定する方法があった。どれだけその家(空間)を利用したかだ。なかなか良い指標かもしれない。ためしにこの指標を使えば世田谷は得点が高い。ほぼ毎週、私と仲間の1人が通いつめたのだから。

・ひさしぶりに個人制作をしようと思ったが、まったく時間が取れなかった。ひとえに知識や経験、それに想像力が足りなかったせいである。これらが足りないと何が問題だろうか。問題を解決するのに時間がかかる、というのがその答えだ。たとえば、冷蔵庫を処分するという簡単な問題であってもたっぷり3時間は消費した。まず、前提知識として、冷蔵庫は、粗大ゴミとして他のものと同じ方法で捨てられないという情報があった。だから、まず、業者を探す。今日は引き取れないと回答があったので、別の業者を探す。次の業者では、包装しないと今日中には引き取れないらしい。包装さえできれば、引き取れるということだ。もちろんそうしよう。ならば、冷蔵庫を収めるのに適当なダンボールがないので確保しなければならない。さっそく、隣駅までダンボールをホームセンターにもらいに行く。冷蔵庫のサイズを思い浮かべながら、ぴったりと思われるダンボールを得る。それから、冷蔵庫のある場所へ移動する。電車で移動する際に、冷蔵庫の持ち主に回収費用をメールしてみたところ、値段が高すぎるというので、メールを何度か往復させた。その結果、処分方法が回収から郵送に変化した。冷蔵庫のある場所に到達し、実際に梱包してみると、ダンボールが大きすぎてスカスカだ。適切な大きさでなかったのだ。残念なことには、ほとんど引越しの終わった部屋には詰めるものが何も無かった。もう一度ダンボールをとりに行く時間もない。このダンボールで包むのをあきらめた。そこで、唯一残っていて、処分を頼まれていた小さなダンボールどもを手でちぎって、ガムテープでつぎはぎのダンボールをつくり、冷蔵庫を収めた。それから集荷を依頼したが、持ち主の住所である郵送先が分からないので、再度メールを問い合わせる。迅速に返信があったので助かった。無事集荷されひと段落。最後に、この余った大きなダンボールをどうするか。しかたがないのでいったん、自宅に持ち帰ることにした。そして持ち帰った。握力が筋肉痛になる。―ざっと列挙するとこんな具合だ。おそらく退屈か苦痛で最後まで読めなかったに違いない。効率が悪いとこれぐらいのことは平気で起こる。そうやって時間は奪われていくのだ。

・世田谷へ移動。たくさん移動するから、今は移動に慣れている。電車内では本を読むようになった。