2015/05/14

・1ヶ月がたち、引き続きローカルな日記は書けていない。それでも書くこと自体は減っていないどころか、増えている。書き物の多い1ヶ月だった。Rashomonの実装はまったく進んでいないけれど、人生はかなり進めることができた。ライフイベントが発生したわけじゃない。個人的な人生、といえば良いだろうか。

・これまでの自分を振り返りながら、自分が営んできたことを、書物やウェブサイトなどを引用しながら外部と接続して書いていく営み。引用らしい引用をやっているなと思った。援用でもあるだろうか。外部と結びつけられるのか、あるいはどう結びつけられないのか。どちらにせよ、外部の言葉、外部の人がいる。そうやって、初めて説明することができるのだと思った。

・10000字にも満たないものを書くのに、GWの90%以上と数日を注ぎ込んだ。もちろん、それらの断片は手帖に書いたり、日記として書いてたりしたもの、もしくは一度以上はすでに考えたことがあるもの。そういったものを外部の言葉と結びつけようとし、ときには適切な言葉を探すために書物の中に潜り込む。すべてこれまで読んできたもの、触れてきた世界である。印象的な外部の言葉が先にあり、その言葉を竿の先に括り付けるようにして経験や思考を釣り上げたりもした。論文を書いた経験はないが、こういう感じ、体験なのだろうか。

・こういった自分を外部に照らし合わせて総括するような体験は、人生のセーブという感じがした。記録に残すことでいつでもここからプレイできるし、次の行動が照らされるというものだ。

・手帳展が再び開催されている。今回は中目黒のPicaresqueで1年にわたり開催される常設となっている。それゆえに僕は常駐しない。今回は手帳たちを外部にさらして問いかける展示となる。外と向き合う1年になっている。摩擦はあるが、実感もある。それが外という空間なのだろう。