2017/03/01

・36歳は待ってなどくれなかった。

・1ヶ月の休暇のうち3週間ぐらいは手帳類のプロジェクトにあてた。無事放送されてくれてほっとしている。明日か明後日にあらためてお礼の連絡をしようと思う。

・マスメディアにとりあげてもらうことで、これまでとは違った人々に届いた。正しい言い方かは分からないが、アプリのユーザー、みたいな人々が手帳展にやってきた。美術ギャラリーに訪れた経験をほとんど持たない人も少なくなかったのではないだろうか。それゆえに大変なことは多い。だけど、彼らにこそ驚いてほしいし楽しんでほしいとも思っている。

・残りの休暇は、本をたくさん読んでいた。10冊ぐらいは通して読み、つまみ読みは20冊ぐらいあっただろうか。この数字は多く言い過ぎているかもしれないし、すくなく言い過ぎているかもしれない。ただ、そうやってたくさんの本をよむ中で、本から本へ、見えないハイパーリンクを見い出していた。図書館で借りて入る本が10冊ぐらい、これまでの積読があり、本屋や古本屋、ネットやオークションでも積極的に買っていった。購入もまたハイパーリンクを辿っているかのようだった。同じ言葉や用語について複数の本を参照して、立体的な語彙や知識を得ようとした。スポーツ選手のように読み方フォームを作ったり点検したりした。

・そうやって本を横断/サーフィンしていると、点ではなく線のような感覚があった。織物的でもあった。それはつまりテクストという言葉のイメージでもある。あるいは立体的と、それは点を頂点とみなして線分としポリゴンをつくっていく営みといえるかもしれない。立体化していくなかで、知識のイメージとしての自分の形/モデルオブジェクトができていくのなら、楽しそうだ。そのモデルを空間や時間に配置してルール、システム、インタラクションといったものを作っていく。それが僕の世界であり、ゲームである。具体的な構想の話ではないけれど、こんなふうにゲームをイメージしてみている。一体これで完成に向かえるのだろうか。

・ゲームについても最後の一週間で現状をセーブするように解きほぐして整頓センスメイキングした。企画ではなくそのさらに前段階の心の地図(思考ツールもマインドマップ)になった。この地図は一定間隔(たとえば1年毎)で更新すること。その差分、差異に注目すること。

・私的なプロジェクトが終わって、仕事がはじまった。精神的にどこか楽になっている。働くことは癒やしの一種とさえいえる。当事者でないことは楽だ。

・落合陽一さんの本を読んで、勉強と研究の違いがくっきりとわかった。僕が好きなのは研究だ。自分の問いが先にあり(あるいは問いを探す目的で)そこに外側のデータや文章を照合したり検討したりするのが研究。ただデータや文章を理解したり頭にいれたいのなら勉強だ。問いがあっても、答えがあらかじめ用意されているようなものならそれも勉強になる。つまり仕事では勉強もありえるが、私的領域では勉強している場合ではないしどうしても研究になる。