20090124

・デモ動画に音の作り手から返信があって、その文面が質/量ともに濃い内容で、とても嬉しかった。ここまで熱心にお便りいただいたのは初めてかもしれない。それぐらいすごかった。自分ごときにもったいないとさえ思った。ありがたい。そこには『あぺぽぺ』の姿、形、可能性が示されていた。完全にひとりで作るつもりであった『あぺぽぺ』は、共同作品と呼びたいものに変わった。たとえ、彼の都合が悪くなって、今後一切のサポートがなくてもそう呼びたい。それぐらいの仕事をすでにしてもらった。ますます意欲が沸いてきたし、なんとしても『あぺぽぺ』は完成させないといけない。生きるか死ぬか。それぐらい思って作りたい気持ちです。最後の作品というわけではないし、まだまだ人生は続くから、健康と情熱を保ちながら作っていきます。地味に地道にたゆみなく作り続けるために、自己の管理、制御を上手に行って行かないとね。

・世田谷の家に足りない環境を構築した。LANケーブルの先端がちぎれそうになっていたので、かしめ工具と先端を買ってきて修理。工作はひさしぶりだし、自発的に行ったのは、20代になってからは記憶がない。それがやってみたいと思ったのは、父親と森博嗣のブログの影響かもしれない。森氏のブログが終わってしまったのは残念だった。自分は幼いころからずっと不器用で、父親がとても器用に見えたものです。とても格好良かった。ミニ四駆のコースをダンボールで自作してもらったときはすごいと思ったし、友達を呼んで遊んだときにとても自慢だったのをよく覚えている。可能性は良くて五分五分程度だと思うけれど、いつか自分が父親になるかもしれない。多くの方が抱く第一印象と違って、男女としてお付き合いすると、私は亭主関白で何もしないところがある。結婚してもその可能性が高い。それでも機会に恵まれたとしたら、せめて学ぶ楽しさと作る楽しさと考える楽しさを親として教えたいと思っています。そのような気持ちが工作に向かわせたのかもしれない。子供は親を見て育つに決まっている。

・元のケーブルを切断したときは、怖かった。これで工作に失敗したら、一時的にでもネットが使えなくなる。なかなかうまくできなくて、30分ぐらいの時間だったように思うが、とても長い時間に感じられた。かしめ工具と部品のほかにニッパやペンチなどを使った。相変わらず不器用なことが確認できた。ちっとはまともにできるようになりたいと思った。これも例によって、小さいころからずっと両親に指摘されていたことであった。せいぜい、下手に手を出して怪我をしないように気をつけます。

・工具や部品を手に入れるのに、世田谷→三軒茶屋→渋谷と距離を伸ばしつつ探して、どこの電気屋にもなかったので、結局秋葉原に行った。パソコンは自作しないから知識は少なく、欲しい品が手に入るか不安であったけど、やはりここにはあった。パソコン周りの部品はインターネットか秋葉原で手に入れるのが普通なのかもしれない。こもって制作の休日が続いているので、この連続的外出は体力を消費した。おそらく疲れるぐらいに体を動かしたり外に出たほうが、体には良いのだろう。疲れると制作ができないから、どうしてもさぼってしまう。今日も途中までは疲れずに帰ってこようと思ったが、途中で開き直って、疲れても仕方がない日に設定した。環境はさっさと作り、来週からがんばろう。近所の銭湯に入って疲れをとる。お湯は「ふつう」「あつい」があって、「あつい」に入ったところ、問題なくつかれた。案外平気なのかもしれない。