2010/04/12

・随分と時間がたってしまった。日記を書きたいと思ってから、2週間は経過した。ほとんど土日も会社で働き、時間は仕事に使われているが、変化がなかったわけではない。重要な変化がいくつかあった。思い出しながら書いておく。

・まず、『あぺぽぺ』だ。前回の日記には順調と書いてある。今、それを読んで驚いた。全然進んでいない!いや、進んでいないことよりも、私のやりたいことが絵を司る仲間に伝わらないことが問題だ。結果、伝えたつもりでも、私が手をつけられない間は何も進まないでいる。まるで『あぺぽぺ』について伝えるているようだ。このまま題名の通りの作品になってしまったのだろうか。作品にすらなれない。

・そうはいかない。私はそれを完成させたいと思っている。ではどうすれば完成させられるだろうか?もちろん、私がすべて作れば良い。拙い概観と感覚を持ったものができあがるだろう。だめだ。今のデザインはそれらを仲間に依存するように設計されている。それで困っている。もう少し、あと少しだけ作れば、一気に伝わるだろうか?素のプログラムは言語でできていて、数値のやりとりを行うだけのものだ。これでイメージを伝えるのは、とても、とても困難なのかもしれない。プログラムの分からない人間にプログラムでインスピレーションを与えることは不可能なのだろうか。

・そして、もう一つ重要なのが、私の説明能力だ。仕事でも個人制作でも、伝わるだろうと思っていることが伝わっていない。あるいは変に伝わっていたり、同じことを別の人がいうと伝わったりする。多くの人に伝わっていないところをみると、私の方の問題が大きい。ましてや、対象が『あぺぽぺ』ならば、なおさらだ。現状では、私がもっと作って見せないと、伝わりそうな感触が持てない。だがそれは本意ではない。お互いの創造と想像を絡めにからめて一体化させて『あぺぽぺ』を作りたったが、絡める労力を引き出せなかったのは、能力の不足である。特に時間がかかりすぎたことについて。もし、一年前に、今ぐらいまでに固まっていたら、何とかなったかもしれない。

・しかし、今は今である。確定している。では、方針を変えるしかないだろう。もっと私が形にできるように。そのために全体を変える必要があるだろう。『あぺぽぺ』はさまざまな失敗を生成する。それら受け止めて、なお進む。完成するために、そのために形を変えていく。この過程をすべて記録して、体験させることができたなら、それこそが『あぺぽぺ』である可能性が高い。

・それからもう一つ、案件が進んでいる。こちらは順調だ。『あぺぽぺ』とは全く違った、現実的で娯楽性の高いゲームができるだろう。

2010/03/10

・『あぺぽぺ』。日記を更新しない間に、随分と進んだ。とは言っても、一合目。山を登り始めたところだ。それまでは、山の周囲をうろちょろしたり、装備を整えていたに過ぎなかった…ように見える。まだ低いが、それでも景色はなかなか良い。その間、少しコミュニケーションは荒れてしまったが、結果、それが私を山へと押し出したように思う。恥ずかしいから、いやその恥さえも快楽を与えることになりかねないから、その第一歩はあまり大げさにしないでおきたい。制作者が最初に取り掛かるところにようやく着手したぐらいなのだから。

・大体のゲームデザインができてくると、他人の質問に即座に答えられるという感覚があった。それまでは、歯切れが悪かったし、質問によって考えさせられたり、発見することが多かった。もちろん、それはそれで良いが、何事にも段階がある。こういったコミュニケーションにおける感覚においても、『あぺぽぺ』が次の段階へと駒を進めたのだと確認できる。不一致があれば、適切な段階に無い、と言えるのではないか。

・見栄えありきのゲームで無い限り、ゲームの開発当初の画面はユーザーにはバグか?と思えるほど、質素な画面である。ロジックだけならなおさらだ。私は、あまりロジックを仕事で担当しなかったので、こっそりと感動していた。がんばれば、専門学生時代にも作れたロジックだ。ここまでは。しかし、画面に現れるものがまったく同じでも、その裏に、強度が、柔軟性が、依存性が、拡張性が、要するに設計がまるで違うのである。動作を作っているのではない。世界を作っている。

・生活とは、まず生き延びるためのもの。次に、リズムをつくるためのもの。

2010/02/16

・『あぺぽぺ』。なんど日記の冒頭にこの言葉を持ってきただろうか。そろそろ100回目ぐらいかもしれない。制作チームとどれくらい同期が取れているか、分からないが、私ひとりで見ると、視界がかなり開けてきて、それと同時に緊張感も生まれてきた。これから生まれるんだな、と思う。彫刻に例えてみる。例えなくても良い。かなり荒い部分は削られた。プログラムを書かなくてもここまで削れた、という感覚がある。プログラムを書くことでも削れたらよいと思う。この2つの道具は、両方とも使いこなしたい道具である。削るための道具。以前、私は、粘土を捏ねて捏ねていると、書いたかもしれない。それは何かをつかむためだったかも知れない。何かをつかんだかもしれない。捏ねるだけでは先に進まないという体験を得た。削る。

・少しキーボードを止めた。もう一つ別の感触もあるような気がした。それは囲むこと。柵を立てて仕切るかのような行為。追いかける。追い詰めていく。削るのと同じ結果が得られるのかもしれない。対象を狭めたり、小さくしたりする。書く。私にとって書くこと、もちろんほとんどは言葉を使って書く。これは削ったり、追い詰めたりする行為だ。作るものの姿を狭めていき、同時に逃げられないようにするための。

・緊張感を共有したいと思うのは、良いことかもしれないし、コミュニケーションには悪いことかもしれない。慣れない人にとっては特に良くないことなのかもしれない。しかし、完成させるために、この緊張感は役に立つ。日によってはあまり無い日もありそうだが、できるだけまとっていたいと思うし、生成したいと思う。容赦はしない。自分自身に対して。孤独になろうが、体に悪かろうが、これは扱えなければならない。私は今からずいぶんと強くならなければならない。さもないと、いつまで経っても、何もできやしない。それは嫌だ!

2010/02/12

・恐ろしい夢をみた。内容はとても書けないが、戦争なんかよりもずっと怖い夢、と言ったら伝わるだろうか。同時に私にとって、戦争より怖いものの種類が分かったとも言える。要するに、とてもリアルでまずい状況の夢を見た。やはり夢はシミュレータだ。戦争だって実際に起こったらとても怖いに違いない。ただし、今の日本に生まれ育った私には戦争はリアルなものではない。それより身近なところで破綻する何か、の方がよほど怖いということだ。

・『あぺぽぺ』は今年になって生まれ変わってきている。それは完成させたい気持ち、言い換えると完成させても良いんだという気持ちが出てきたのが一番かもしれない。今までずっと完成させようと思ってやってきたはずだけど、今の状態と比較すると、今までは完成させる気がなかった、と認めざるをえない。仕様が固まったのが大きい。次に個人的なゲームを作るときは、いかにしてこの段階に持ってくれば良いのだろうかと考えてしまう。まだ実装は全然済んでないのに、なぜ私は未来のことを考えてしまうのだろうか。まだ、作りながら考える、というところまではできていない。今回の『あぺぽぺ』は、ただ膨大な時間をかけて、何度も何度も作る前の段階で試行錯誤したにすぎない。

・『あぺぽぺ』の弾み車は回り始めた。このまま一気に完成へと持って行きたい。手に入れたい別の未来も待っている。

・もしかしたら、私は、丁度二個、作るべきものを持っているのが、良いバランスを保てるの状態なのかもしれない。

2010/02/02

『あぺぽぺ』のティザーサイト(告知サイト)が簡単ですが、できました。少しは雰囲気が分かるかと思います。ぜひ! これ→あぺぽぺ

・『あぺぽぺ』はプロットも固まったということで、始めのシーンから順番に、物語に必要な機能をプログラミングしています。プロットに沿った最終的な物語を書くのはその後で良さそう。今、一番必要なのは『あぺぽぺ』というゲームがどんなものなのか、その形を作っていくこと。本来は一番最初にすべきことですが、それを今、ようやくやっているという感じです。失敗ばかりだけれど、その度に、より正しい方法を獲得している気がしています。そろそろ景色が見えてきた。

・あと休日2日ぐらいの作業時間で、ゲームの核となる部分の実装に取り掛かれそうです。ようやくだ。ようやく。随分と時間をかけて、仲間の士気をくじけさせたかもしれないが、ここからどこまで巻き返せるか。楽しみと不安があります。何よりも自分自身に対して、作り手としての姿勢、精神が問われている。表せるか?現せるか?

・と、ここら辺まできたので、時間を集めたい。ネットの時間を減らすべきタイミングかもしれない。ここから『あぺぽぺ』ができあがるまで、mixiとtwitterのアクセスを10%ぐらいに抑えようと思っています。mixiの日記はこの日記を登録したほうが良いかもしれない。コメントもできないし、あまり面白いものではないけれど。twitterもメインアカウントではなく、apepopeにおもにアクセスしよう。こちらはフォローは7人ぐらいだから、そんなに見なくて大丈夫。

・ここまで『あぺぽぺ』が来ているけれど、もう一つ、ゆっくりと植物に関するアプリの制作に入りました。本当は『あぺぽぺ』の後に始める予定だったのですが、グラフィックの方と話が進んだので、発注するところまで進めてみるつもりです。発注は初めてだし、仕事として、個人制作として避けられない事務やコミュニケーションの練習も兼ねています。もちろん相応の報酬もお支払いする。こういう一連の過程に、そろそろ慣れておかないといけない。プログラム的な実装や追加の発注は『あぺぽぺ』が終わった後になると思います。よろしくお願いします。

・人とたくさん話すことで、自分の一般的な評価や、世の中の景気、時代の空気などが分かった気がする。いまをチャンスと捉えている人は思ったよりいなくて、安定と無難を求めている印象。予想と逆だった。もっとも、世の中にはたくさんの人間がいるのだから、じっくり探してみようと思う。もう何人か、たっぷり時間を持った作り手と出会っておきたい。

2010/01/28

・夜も更けて朝に近いので、駆け足で振り返ってみたい。

・『あぺぽぺ』は少しずつできてきている。コンセプトが決まってから、ゴールに近づいている実感がある。『あぺぽぺ』は2つの世界を表現する。外の世界と内の世界だ。2つの世界は関係している。プレイヤーは内の世界を操る側である。内の世界と外の世界は、それぞれ、独自に動いている。具体的な作業としては、内の世界の大まかな設計図を書いた。次は、この設計図とプロットを見ながら、物語の始めから順番に、プログラムで表現してみたい。外の世界の表現は仲間の手助けが必要だと思っている。内の世界も必要だが、外は特に必要だ。

・友人と話していて、今の私には不完全なものしか作れないと分かったから、素直にそれを表現する。それでいい。自分の力量や感覚をより正しく反映した完成品を作りたい。それから進みたい。だから、全力で、不完全なものを作ることにした。不完全にしたいのではない。不完全になる。

・論理学を勉強することにしました。プログラマが何を言うかと、思われる方もいるかもしれませんが…。みっちり取り組んでみます。

2010/01/13

元旦に祖父が亡くなったので、帰省しておりました。新年のめでたい挨拶はひかえさせていただきます。

両親がインターネットプロバイダを解約するとのことなので、ここを定期的に読んでいる方がほとんどいないと推測しますが、今年もよろしくお願いします。

もともと考え過ぎるほうだけど、今年は平年よりも考える量の増える年になりそうです。進路を中心にだけど、年末に『あぺぽぺ』を通して遡った結果、遡るという動作を色々としてしまいました。過去を振り返ったり、今までの姿勢や思考の根底を探そうとしたり、していました。表現については、技術は少しずつ身につけているものの、表現したいものそのものについて、ほとんど磨けていなかった、というのがよくよく分かって、戸惑いました。実態がまるでない感じです。それでも、それが分かったのだけでも良かった。これは気づくのが遅ければ遅いほど、致命的な類のエラーです。

一方で、作品制作の姿勢として掲げる『大作と多作』という姿勢は、間違っていなかったどころか、強化せねばならない、と分かった。私にとって『あぺぽぺ』は大事な作品で、私にとっては作品の規模とは関係なく「大作」であるが、大作につかえ過ぎては良くない、と思いました。同時にいくつか、作り出さねばならない。「質より量をこなす方が上達に近づきやすい」と聞いたことがあります。私にとって、これは感覚的にその通りだと思っています。これには、作品制作の一連の肯定 ―どんなものを作ろうかと考えるところから、きちんと人様に見せれるところまで完成させる― を繰り返し通過できる環境を作ることが重要だと思っています。それには、時間(=お金)とアイデアと人間がいるので、それらを得なければならない。そして反復することで、自分の方法と速度を向上させる。実力をそうやって身につけようと思っています。

twitterでもつぶやいたけれど、話すこと、何かを作ること、学ぶこと、学んだことを(自分や社会に)生かすこと、たまにゃ遊ぶこと。自分がやりたいことは、(おそらくすべてが)この中のどれかには当てはまります。複数当てはまるものを探して選び、次々と形にできればと思っています。できるだけ思い通りに、そして早く実装する。 ご協力いただければ嬉しく思います。