2015/08/23

・夏らしく、つめこんでいる。インプットもアウトプットも。日記もアウトプットと言えばアウトプットだろうか。30分ぐらいの時間があったため、いまがセーブのタイミングだと思った。

・また作れるか分からない仕事(時間がもっとあれば大丈夫なんだけど)をしていて、心がざわめいている夏です。仕事のほうも、私事のほうもそうだ。夏らしい。8月31日のあの気持ちは、いまだって再生している。

・読みたい本が山のようにたまっている。本好きというわけじゃない。ただ読みたい本がある。本の、参照力、別の本をポイントする力がすごくて、興味を持てば持つほど、まるでウェブのようにリンクが生まれる。コンテナがあふれかえる。かたやゲームや漫画は、ある作品の中において進ませる力はすごいけど、外の別の作品を呼んでくることはあまりない。独立した世界である。ゲームが暇をつぶすものだとしたら、本は暇をつぶしにやってくる。

・何か他に書き残しておくことはなかった。(好きなのであまり読まないようにしている)森博嗣氏の文章は相変わらず読みやすくて好きだった。

・平日の夜に人と会ったりイベントに参加したりするのはいい。週単位、月単位での充実感は得られつつ、休日はゆっくりすごせる。そういうわけで休日はゆっくり何かを作りながらすごしたいが、最初に戻ると、仕事や私事が落ち着いてくれないと、どうにもそわそわしてしまう。

2015/08/05

・暑い。

・毎日暑い。

・毎日暑い生存。

・毎日暑い生存暑い。

・こう暑いから働きつつ、あまり無理をしないように生きてみている。熱中症は非可逆な症状と聞いた。まだ身を削ってスパートする段階ではない。

・孤独にたんたんと自分の主題に取り組んでいる人はどうしても好きだ。機会があるなら、そういう人と、うまく一緒に作り上げたい。これまでの成功と失敗を忘れずに、向き合って、成果を出したいものだ。ところで、おろおろする夏だ。暑さと闘いながら、働いて、本を読み、制作を加えると、時間がもうない。独り身で、しかも忙しくはしないように気をつけていても、こうなる。ますますしっかり時間を選ばなくてはならないのだろう。

2015/06/23

・毎日を夏休みの最後の日にする方法について。

・文体派は、思想が進むも、実践が進まないでいる。制作を夢中にさせる何かが足りない。シナリオや絵素材のような中身だろうか。あるいはテーマだろうか。単に弾み車が回るところまで粘って実装しなければいけないだけかもしれない。グロックしてしまわないうちに多作にしたいのだが、思い通りにはいかない。

・もうちょっと休みがあれば良いのだが、普通の週休二日。普通なんだから、僕の方が切り替えれるようにならなければいけないのかもしれない。もっとも、去年までは、仕事中は個人制作を諦めていたわけだから、十分に挑戦できているし、欲張ってはいる。それだけ中心にできると踏んでいるわけだ。

・手帳は順調に集まってきていて、もうすぐ200冊に達しようとしている。去年の今頃は4冊だった。こちらは十分すぎる成果が出ている。金額にして20万円ぐらい買っている。自分で言うのもなんだけど、良い趣味、良い道楽だ。ただ、もっと多くの人に届けるべき活動だと思っているし、届き得ると思っている。自分の知名度の低さが足かせになっているけれど、無名でもいけるはずのプロジェクトだ。地道に買い取りを続けつつ、伝播を高めていきたい。何かできるグロースハックはないだろうか。

・フォントがあと10〜100倍程度、気楽に出せるデバイスが現れてくれればなあ。少なくてももう数年は待たないといけない。それまでに文体派はしっかり助走させたい。

・それにしても、日記に書くことが、制作や活動のことしかない。良いんだか悪いんだか。デートのこととかも書きたい。ない袖は振れぬ。

2015/06/03

劇団ままごとの『わが星』がすごくて、90分中、30分ぐらい泣いていた。こんなに連続的にないたのは記憶にない。詩や文学がすきになったことで、センサーが強化されたのかもしれない。声を出して泣くのはかろうじてこらえた。劇が終わったあとインターネットに繋いだら、カープがとても受け入れがたい負け方をしていた。そして日記を書いている最中であるがテニスの錦織選手もピンチである。

こうやって、一日のうちに感激して高まったり、無様で腹が立ったり、期待が裏切られてがっくりきたりする。気持ちの良い出来事がつらい出来事に相殺されて、何らかのプラスマイナスに落ち着く。また、気持ちの良いことしかなかった日でも、つらいことしかなかった日でも、大抵のことは翌日になると半減している。そして、翌日に新たでフレッシュな感情のプラスマイナスが加えられる。それが毎日なのだろう。

例えば、野球なんてものはけっこう毎日試合があるから、長期的にプラスマイナスが加算され続ける。同じ日にサッカーと野球が重なれば、+2だとか、±0だとか、ー2だとかが発生する。小説やゲームや音楽の体験は比較的任意のタイミングでそこに加えることができる。これは僕のメカニズムではあるのだけど、スポーツ等の時間が決まっているイベントは外側から気分の上下をもたらす。結果についてはコントロールできない。もちろん、無視するか興味を失えばは除外できる。気分を賭けた勝負を降りるわけである。その勝負に負け続けて気分が落ち込むと、自分で本やゲームを用意して回復させることができる。そういうときは、良いと確定しているものを選ぶことにしている。堅い単勝の馬券である。反対に落ち込んでない時は、ギャンブル的なものに挑戦できる。こんな風に、解き明かしているわけではないので冗長に書くしかないのだけれど、こういったメカニズムを不思議だなと感じている。みんなどういう風に処理しているのだろう。Facebookで問いかけてみようかな。

錦織が1セット奪い返した。

『わが星』はすごかったけど、文体派は慌てなくていい。焦らなくていい。気にしてもいい。ライバル視はしてもいい。持ち込んでもいい。明日からまた作り始めよう。

『わが星』よ、僕の心に残れ。

2015/05/14

・1ヶ月がたち、引き続きローカルな日記は書けていない。それでも書くこと自体は減っていないどころか、増えている。書き物の多い1ヶ月だった。Rashomonの実装はまったく進んでいないけれど、人生はかなり進めることができた。ライフイベントが発生したわけじゃない。個人的な人生、といえば良いだろうか。

・これまでの自分を振り返りながら、自分が営んできたことを、書物やウェブサイトなどを引用しながら外部と接続して書いていく営み。引用らしい引用をやっているなと思った。援用でもあるだろうか。外部と結びつけられるのか、あるいはどう結びつけられないのか。どちらにせよ、外部の言葉、外部の人がいる。そうやって、初めて説明することができるのだと思った。

・10000字にも満たないものを書くのに、GWの90%以上と数日を注ぎ込んだ。もちろん、それらの断片は手帖に書いたり、日記として書いてたりしたもの、もしくは一度以上はすでに考えたことがあるもの。そういったものを外部の言葉と結びつけようとし、ときには適切な言葉を探すために書物の中に潜り込む。すべてこれまで読んできたもの、触れてきた世界である。印象的な外部の言葉が先にあり、その言葉を竿の先に括り付けるようにして経験や思考を釣り上げたりもした。論文を書いた経験はないが、こういう感じ、体験なのだろうか。

・こういった自分を外部に照らし合わせて総括するような体験は、人生のセーブという感じがした。記録に残すことでいつでもここからプレイできるし、次の行動が照らされるというものだ。

・手帳展が再び開催されている。今回は中目黒のPicaresqueで1年にわたり開催される常設となっている。それゆえに僕は常駐しない。今回は手帳たちを外部にさらして問いかける展示となる。外と向き合う1年になっている。摩擦はあるが、実感もある。それが外という空間なのだろう。

2015/04/14

ローカルの日記でさえ書けていない。仕事を始めたらやはり時間はない。働いているという実感と充実感はある。この充実感はよくもありわるくもある。個人制作にとってはどうだろうか。別の場所で新たな刺激を受け取り向き合う気持ちを得る、となれば良いし、別の場所で満たされると向き合う気持ちを奪う、となれば悪い。良かったり悪かったりするのだろう。ただし、時間は限られるのは間違いがない。それは日記を書けていないという状態にも現れている。日記を書いて得られるもの。定着できるもの。そういったものはあるだろう。あと10分だけでも、書き続け、セーブとしたい。

文体派は動いている。ゲーム制作もコンセプトや構想の段階から、テーマやモチーフを得、具体的な画面やゲームデザインの段階に入っていけた。分け入っていけばいくほど、『あぺぽぺ』に似てくる。『あぺぽぺ』とはかつて、仲間のサポートを得て作ろうとしたが、まともに作れなかった世界である。あきらめてはいなかったが、ここにきて、その小さなサブセット、世界の一部分を切り出そうとしている。文体派もまた『あぺぽぺ』の一部分なのかもしれない。それは気晴らしに考えるにとどめよう。文体派だけでも考えることは山のようにある。

7月のビットサミットに文体派のデビュー作(文体派だから処女作と言ったほうがしっくりくるだろうか)を出そうと思っている。コンセプトカーならぬコンセプトゲームでもいい。プロトすぎるプロトタイプでもいい。とにかくあるていどはまとまって形になってプレイできるもの。仕事もしつつだから、僕にとっては中期ハッカソンのようなスケジュールだ。ただ、そこに照準を合わせようとするぐらいであるから、なんとかなるのではという勝算もある。友人とSkypeをしていたら、短編に必要なアイデアが降りてきたのだ。

短編になってくれるようなアイデアは、アイデアの中でも一番ありがたいものだ。『ツキのないがいこつ』にはそれがあった。それがあったから、あのときの僕でも作り上げられた。それだけで全体を決定してしまえるような、核となるアイデア。僕はこれはコンセプトとは少し違うと思っている。コンセプトも同様に制作物の中心になるものだが、コンセプトはチェック機構として作用する。一方、核となるアイデアはそれ自体に肉付けさえすればあれよあれよと作品が完成してしまうようなものだ。

コンセプトを元にしっかり作るという作り方もやっていきたいが、作る楽しさや快楽があるのは核となるアイデアのほうではないかと思う。ただし、今のところ、その核は狙って降ろせるものではないようだ。だからコンセプトベースでも作れるようにならなければならない。今回のプロジェクト(Rashomonと呼んでいる)はコンセプトからはじまったが、途中で核となるアイデアを手に入れたような気がしていて、しかも短編にできそうだ。だから、『あぺぽぺ』っぽいマドルスルーみたいな要素はありつつもたどり着けるかもしれない。そんな胸中の道中です。

2015/04/01

30分のストップウォッチを設定し、4月1日の日記であることを宣言する。あと2時間で、東京に移動を開始する。仕事が開始される。その前に日記を書いておこうというわけだ。もはや日記という呼び名が間違っている。日記は別に書いているからだ。これは日記をまとめたものだ。なんと読んだらいいのだろう「振り返り」「まとめ日記」……。別名が与えられるならば、2週間に一度でも、あるいは1月に一度でも偽りがなくなる。偽りがないどころか「月記」ならば1月に一度が正しいだろう。

前の仕事が終わって4ヶ月あり、体調を崩しながらも、なんとか「文体派」にこぎつけた。これはひとつの完成品よりも大きい成果かもしれない。学者で言えば研究テーマが決まったようなものだ(学者は未経験だから推測の域を出ないが)。手帳展をやって、コンセプトのようなものがあってしかもそれがどこか新しさを備えていた。これは良いものだと思った。『シルアードクエスト』はきちんとゲームの形をなし、チームもあり、この点では『手帳プロジェクト』より満足感は高かったが、復興プロジェクトであり再生事業であった。少なくてもいまの次点ではこうしたお手本に沿ったものよりも、自分で考えた、考え尽くしたものを藁をもつかむような気持ちで形にしたもののほうが、より価値は高いし、自らも周りも満たせた。ゲームにもこのようなものの導入が必要だった。どうしても、時間を無尽蔵風につかって、ダイブして探しとっていかないといけないかった。

それが「文体派」だ。ゲームに文体を持ち込む。一言だとこうなる。それでいて、ゲームを母体とするのだから、娯楽であり親しみがあって、夢中になれて、人を寄せつけるものでなくてはいけない。僕は好きなものを掘って探してたどりついたと思っている訳だから、その楽しさを再生しなければならない。するとなんだ。これもある意味再生事業なのか。とすると、お手本をどれだけなぞるか、逸脱するかが、方向と満足を決めるのだろう。逸脱という言葉は先月から好きである。

この数年は、仕事中はプライベート制作を進めないように、完全に切り分けたが、今回は切り分けずに土日は取り組みたいと思っている。人と会うこともしていきたいが、こちらは平日を使えないだろうかと画策している。そのための東京だ。7月に京都であるというBitSummitに何か動くものを持っていきたい。時間をうまく使いたい。健康や体力が大事になってくるだろう。

文体派の最初の取り組みは「ゲームと詩」だ。伊達文さんに詩をかりて、詩をゲーム世界に招待する体だが、詩を別の生き物(例えばゲーム)と共生させてみる。詩を好きにさせない。詩に無茶をさせる。詩はとまどうだろう。いや、僕がとまどうだろう。ゲームデザインは決まったつもりだったが、詩を迎え入れた次点でご破算だ。いったいどうなるのか。過程も含めて楽しむしかないだろう。1週間単位で、水面下と本番をスイッチするように実験を重ねて作っていくつもりだ。ひそかに文体派の実験はこの時間セットが都合が良いとにらんでいる。

ここまでで20分。だいたいは書けただろうか。他にもあるはずだが、最初に出てきたのが、文体派とこれからの制作のこと。仕事がはじまってからこの頭の中がどうなるか見物だ。できればずっと頭の中にいてほしいが、仕事であり、人のたくさんいる東京である。さてさて。