2015/03/09
・.........................................................キーボードについた汚れをカリカリしたらできた入力跡。
・また1月近く感覚が空いてしまったが、日記は続いている。どのあたりがダイジェストな差分になるだろうか。実装が開始できていない点についてみていく。
・手を動かすことと考え抜くこと。今回は後者を大事にしている。プログラムは書いていないが、構想については書いているので手を動かしていないかと言えばそうでもない。プログラムを書いて本体を作っていない、もどかしい気持ちはつきまとっている。これを振り切れるぐらい考えに徹することができればいいのだけど、それは難しい。考えることは今のところプログラミングよりずっと雑念が入ってきやすい。まだ基礎トレーニングの時間だと思ってやっています。
・何度も構想に手を入れて、アップデートしている。前進したり後退したりしている。前か後ろかも分からない。歩き続け、足跡を残しながら、彷徨っている。道中の足跡は足どりになってくれるだろうか。せめて自分にとっての構想のしかたのテンプレートができたら嬉しい。「世界から考えるのか、人間から考えるのか」とか、「物語から考えるのか、システムから考えるのか」とか、「アーキテクチャから考えるのかとか、個別の技術から考えるのか」とか、「題名から考えるのか、コンセプトから考えるのか」とか。コンセプトから順番に思いつければ理想的だけれど、直で取り出せないので、別の破片を書き出していきながら、組み合わせたり取り除いたりしながら、時間を使っている。コンセプトを最初にきめて、最後までコンセプトをすべての番人として機能させる作り方をしてみたい。
・もうひとつ大きな変化といえば、今回の時間ができてから以降、本にのめりこんでいる。以前より多く読めるようになってきた。レベルがアップしてどこかのパラメータがアップしたのだろうか。そうすると、次々に本が本を呼ぶ(マドハンド)状態になってしまった。いま摂取するメディアがとても偏っている。ゲームは少しだけ面白いものがある。漫画はけっこう面白いものがある。SNSにもときどき面白いものがある(時間の浪費もけっこうあるので難しいメディアです)。本はたくさん面白いものが現れてくる。どきどきする。雑誌もたくさん手を伸ばす。映画はわずかに興味がある。音楽はほとんど面白くなかったが、先週ぐらいから見直しが始まっている。演劇は気になっているが、摂取できる環境が少ない。人間への興味はキープしている。アニメは引き続き無関心でいる。あとは何かあったかな……。出てこないメディアは興味がないのかもしれない。こうも興味のひかれかたに格差がある。バランスが無いようで有る。
・次の日記が書かれる頃には、プログラミングが始まっているといいです。この間に開発環境のセットとサンプルの確認は済んでて、今回はCocos2d-xを使います。
- Posted at 2015/03/09 16:05
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2015/02/12
・2ヶ月も日記があいたのは久しぶりだ。今年初めての日記でもある。とはいえ、今年からローカルに文字通りの日記をつけるようになった。2、3日まとめて思い出しながら書く時もあるが、ほぼ毎日の記録がされている。つまりここに書くのは日記についての日記だ。さて30分で何が書けるだろうか。
・その日記だが、風邪やら咳やらで苦しんだ3週間の分は書けていない。苦しみを綴れば良かったのかもしれないが、できていない。それにしても治りが悪い。持ち込まれた風邪なりウィルスなりが凶悪だったというよりは、自分自身の治癒力、免疫力の問題である気がしている。これは、体からの警告とみる。もう少し健康に、強い状態にしておきたいものだ。今は普通に活動ができていて、それ自体が喜ばしい状況です。
・昨年の12月から予定通り仕事をしていない。この期間で何か作品をと思っているが、いっこうに手をつけていない。一方で、体質改造は進んでいる。インプットの量を増やし、1日に5〜6時間は本を読んだりゲームをしたりする体になってきている。素養や教養を吸収できていると良いが……。この量はゲームに関しては、高校生以来じゃないかと思う。読書に関しては過去最高だ。30歳でフリーになってからも、ここまでインプットはしていなかった。一体何をしていたのだろうか。ネットをイメージよりはるかにだらだらとやってしまっていたのだろうか。ちょうどTwitterなどが始まり、ハマっていたかもしれない。
・メディア芸術祭で賞をとるような人たちは、話を聞いているとみな勉強しているなあと思う。例えばオリジナルを辿ったり掘ったりしつつ、学んだ時代や歴史や文脈と向き合い、自身の文脈と合流させている。広告業界のアプローチに近い。それはオタク的知識のありかたとは異なる。軍や銃器の時代考証や知識が豊富なのとは違っている。それらは知識はあるが向き合っているわけではない。考えているわけではない。この違いに今後は敏感でいたい。
・今年は向き合うがテーマになっている。ただ受け取って記憶するだけじゃいけない。仕事が始まって作品を実装するエネルギーがなくなっても、向き合うことだけは毎日続けたい。向き合える体づくり。以前、『思考の手帖』にならって思考や感覚の記録を書いていた時は、あれは一種向き合っていたと言えるだろう。内省していた。そのときは自分自身と向き合っていた。おそらく今後は、自分自身に加えて、外とも向き合っていかないといけない。時代や他人や作品と向き合っていかなければならない。2ヶ月と少し、仕事をせずにインプットを加えてみて、それが分かったのが前進だ。
・向き合いながら、自分の興味を書き出している。より好きなものだけで、作品を構成するために。自分自身の満足のためだけではなく、そのほうが人にも届くだろう。自分の世界を自分以外の世界と繋げればいい。文脈という流れる力を利用できる。そのイメージ。
・22分ぐらいでここまで書いた(2倍以上の時間を使って書き直しているが)。毎日の日記の総括のようなものが取り出せた。すっきりした。これが2ヶ月分のセーブだ。
・待て。大事なセーブを忘れていた。文体派という大発見。この言葉は物語ゲームに比べてより具体的だ。もちろんゲームにおける文体派を意味する。僕の好きなゲームには物語がありさえすれば良いのではない。文字や文章が不可欠で中心となっている。これは僕の個人組織の名前に加えたいと思っているし、手帳収集プロジェクトやインタビューも合流できる。
・文体派、プライバシー、やりとり。この3つが現在の僕のコアだ。2つで表すなら、文体とやりとりだ。かなり近づけた気がする。これを何とか作品化したい。インプットを増やした果てにテーマにたどり着いた2015年の冒頭である。
- Posted at 2015/02/12 20:48
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2014/12/31
・大晦日なので15分で日記を書く。総括の振り返り。さっと浮かんだことだけを拾っていくように。
・今年はシルクエのiPhone版が出せたのと、インタビューと手帳コレクションの開始。インタビューは8人の人に話を聞けたし、手帳コレクションは展示の開催にまで発展してくれた。思ったより速度が出て、これまで生きてきた中でベスト3に入る1年だった。昨年もベスト3に入っている。このことは何度か書いているので、一時の気分ではなく、おそらく確定なのだろう。だからこそ、今後がとても気になる。この2年がピークになる未来には不満がある。
・インタビューと手帳コレクションはともに人間を指し示している。ポインタだ。人間がとても好きだった2014年だ。RPGだって町の人に「はなす」するのが一番好きだった。手帳展もあって、今年は過去最高に新しい人と会って話をした年でもあった。インタビューも、手帳展も他人がいなければ始まらない。展示はただいなサポートをもらったし。それはひたすら自分の中に潜るゲーム開発とはまた違っているが、一方でゲーム開発も良い人間と出会うことで一気に駆動する。本当に人間の駆動する力を感じた一年。
・結婚とか子育てとかそっちの道につながる出会いは残念ながらなかったけど、まったくアプローチしなかったわけでもない。1人として検討してもらい、その結果選んでもらうことの大変さ。まあ、そんなに甘いものではない。そういう人生のプレイをしているし、分岐の選択をしているのだから。プレイ、やりとりに見合った正当なインタラクションがあるのが、良いゲームだ。世界というハードウェアにのっかった、人生というソフトウェアも例外ではない。そして今のところフェアな人生だとも思います。
- Posted at 2014/12/31 21:14
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2014/12/11
・20分で日記を書く。約1ヶ月ぶりの日記。日記の日付を書くときできれば、12月8日ぐらいであってほしかったけど、11日。午前2時だから次の日になっているにしても、2日も余計に過ぎていた。師走という言葉はこれからもなくならないだろう。
・前回の日記は手帳展の初日だった。手帳展はそれから終わった。今年の仕事も終わった。そうしてようやく自宅から日記を書いている。できるだけはやく書く。はやく書く。手帳展のまとめを日付の変わる前ぐらいに書いた。手帳展は好評だった。僕の予想をはるかにこえていた。途中から、いつもの「根拠のない自信」に満ちてきた。たぶん、今年のすべての展示でもっとも価値があった展示に違いない、とさえ思った。でも、次の日の展示で、2時間ぐらい人が来なかったときは、こんなものか、このくらいしか評価されていないのかとさびしい気持ちになったりもした。自分の展示だからそれぐらい当事者意識があるのは当たり前かもしれないが、いささかオーバーだろうか。いや、このくらいの浮き沈みと情熱と自信と期待と不安を持てるもの、自分自身で持てるものこそを、今後も僕は取り組まねばならないのだろう。本業とも言える、『シルアードクエスト』より手応えがあったかもしれない。それは僕自身の欲望を見つめれたという点において。ようやくだ、という感覚が近い。ちょっと遅いかもしれないが、手遅れというほどでもない。ちょっとした運命のあやで、この地点に到達できなかった可能性もあった。それは決して低くなかった。独身だったり、残念な点もあるけど、あまりにも不条理というほどではない展開だ。
・夜らしく一気に書いた。少し背中が痛くなった。今日は文章を書きすぎているのだろうか。ずっとコタツで書いている。僕は多分1日に5000字が限界だ。それぐらいですごく書いた、という気分になる。
・手帳展は今後どうすべきだろうか、集めたい手帳、コレクションの方向性は見えている。多様性、バリエーションを第一に大事にする。手帳の万華鏡であり、万葉集。万葉集はとても好きなありかたをしている。万葉集という言葉を知ったのは、小学生か中学生の頃だろうが、万葉集の好きさを知ったのは、25歳をこえてからだと思う。友人がたまたま万葉集を選び、意図的かつ恣意的に僕の元に届いた。きっと今回の手帳展の運命に関与しているだろう。2年ぐらい前に作った詩のサイトもおそらくプレゼントされた万葉集から来ているし、手帳展はあまりぱっとしなかった詩のサイトを受け継いでいる。ADVゲーム『街』のように、運命の分かれ道は簡単な選択肢程度のことで決まっているのかもしれない。
・今年は『シルアードクエスト』のiOS版のリリースに、手帳展(正式名称は"「あなたが使った手帳、売ってください」手帳コレクターによる初のコレクション展in荻窪")、とても大きな1年だったと思う。去年の『シルアードクエスト』PC版もとても大きかった。もうそれを上回れる感触は(別のベクトルであっても)持てないかと思っていたけど、そんなことはなかった。ベクトルのスカラはもしかしたらシルクエの方が大きいかもしれないけれど、今回の手帳展はまったく育てていなかったベクトルを発芽から一気にのばしてくれた。雨後のひとつのタケノコのような。でも来年はここまでの感触は難しいだろう。温まっているネタがないからだ。だけど、そうも言ってられない。手帳コレクションも養分にして、なんとか作り出せたらと思っている。形はゲームがいい。
- Posted at 2014/12/11 02:27
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2014/11/15
・2週間ぶりの日記だ。平常と言える。手帳展が開催されているが、まだ誰も来ていなくて、時間がある。手帳と言えば、このブログはずいぶんと手帳的な日記と言えるだろう。誰かに読まれることを意図していない。もっとも、オンラインであるから、手帳に比べれば幾分か気をつけて書いているのは間違いない。そういう点でオフラインの手帳や日記帳はプライベートが最大だ。だから集めたいという気になった。集めるからには、好きな物、できれば最高のものがいい。
・それにしても、展示をやるのは、色々と気をつかう。どんなことが起こるか分からないし、そもそも人をもてなしたり接待したりした記憶がないから途方に暮れる。気をつかっていると自分では思っているけど、自分に向けられた気遣いを合計すると、おそらくは使われている量のほうが多い。恵まれて育ってきたんだろう。育ててもらった。
・例えば、面識のない人がふいに展示に訪れた時、きちんと趣旨を説明できるだろうか。飲み物をさりげなく出せるだろうか。そもそも飲み物は適切で十分な飲み物を選べているのか。展示会場の気温は大丈夫か。湿度は。トイレは清潔か。良いBGMがかかっているか。気を使うことは多い。
・まだ人は来ていない。しかし、そろそろ来るだろう。本日の日記はここで一旦終えることにする。また明日書けるかもしれない。
- Posted at 2014/11/15 13:43
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2014/11/02
・1ヶ月以上も日記が空いている。ただし、Facebookにいくつか日記を書いているので、完全に日記を書かなかった訳ではない。それでも、Facebookとこの場所では書くものは違うから、書き漏れた、セーブしそこねたできごとや着想があるかもしれない。それは残念だ。いつか、形を変えて、よりよい閃光となって頭に浮かんできてほしい。
・手帳の展示を開催することになった。他人が使い終わった手帳コレクションの展示となる。先月、ギャラリーに住める話があった。家主が一ヶ月不在にするのが理由だ。これを借りたとき、ただ住むだけではもったないないと思った。そこに、別のギャラリストが仕事を募集している事態が加わった。この二つのできごとがあって、僕は展示の開催をすることにした。またとない機会だと思ったからだ。ただ、手帳プロジェクトはもっとゆっくりすすめるつもりだったから、頭数が足りない。急ピッチで手帳の(レンタルを含めた)入手を進めていき、なんとか20冊は確保できた。開催までにもう少し上積みがあるかもしれない。11月15日からスタートする予定。
・手帳展(プログラム的な意味で)割り込みがあったため、インタビューは6人目の書き起こしが終わったところで一時停止。応答が多すぎてこれ以上作業は増やせない感じです。地味にヤフオクの連絡も効いてきます。仕事が定時にあがれているおかげでなんとか持っています。今の出向先は働きやすくて本当に助かっています。みんな優しくてすごくいい会社です。
・調べる時間があったので、所属先のアーティストが「掘る」と呼ぶ行為を気がついたら始めていた。まだ浅く掘り始めたばかりだけれど、それでも、物語ゲームに新しい光が当てられた。『センスは知識からはじまる』という本が示すように、勉強するとそれだけ、新しいセンス、新しい着想、着眼点が得られるものだ。今まで知識を見下していたところがあったかもしれない。少なくてもおろそかにしていた。
・つまり、僕は、それまで偶然に得た知識や経験だけで作品を作ろうとしていた。それで作品が作れないとだめだと思っていた。それも真理だと思うが、それだけで作品をコンスタントに作れるほど、開発力がなかったのだと思う。開発力とは技術力や着想など、企画から完成までのすべてを含む言葉として使っている。正確には、シルクエの正統進化ゲームは作れても、おぼろげながら目指していた物語ゲームの開発力がなかった。『ツキのないがいこつ』は偶然にできたにすぎないし、あぺぽぺの制作は論外だった。僕はいよいよ自ら掘り進めた知識を導入し始める。34歳。人生の半分ぐらいが過ぎてのことになる。
・そういう訳で、今は文字と文章を中心に掘り進めている。僕が好きなゲームはすべからく文字や文章が大きな役割を果たしているからだ。タイポグラフィ、コンクリートポエトリー、インフォグラフィック、記号、これまでの小説やゲームなど見ている。まだ知識の獲得のしかたはうまくない。どこかにたどり着くために知識を獲得したり、歴史をたどったりしていかなければならない。まだどこか、さまようように知識に触れている。もし、物語ゲームの形がくっきり浮かんできたら声明を出して、いくつかの小さな作品を提出できるだろう。
- Posted at 2014/11/02 04:27
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2014/09/27
・10日間隔が開いての日記。前回が20日ほど開いたから次は5日後に日記を書くだろうか(まずない)。明日インタビューを控えているが、相手への質問の精度を上げるべき時間に、自分のことがたくさん浮かんできてしまうもので、そういうものだとして、日記を書こうと思い立ったわけである。
・前回の日記に書いた日常で良いと思ったさまざまな情報や、人や、知識を、ゲームの形に閉じ込めたい。物語はそれらを形にしたり落とし込むのに便利な方法である。そう言ってしまってはどうか。これだけ物語という言葉を使ってもなお、物語が中心にないような気がするのは、物語重視であっても、物語中心ではないのかもしれない。物語を起承転結のようなお話というだけでなく、ゲームならでは物語、語り方という範囲まで広げてしまえば、なおも物語中心であるかもしれない。
・なぜ僕はゲームが作りたいんだろうか(ゲームでなくていけないのか?)というふわふわした問いにも、答えが出かかっている。The Tokyo Art Book Fairや、裸足での山登りや、朗読会や、海や、ドキュメンタリー映画などを見て、楽しかったり感激したりしても、それでもなおゲームという体験が揺るがない。しがみついているのかもしれない。過去を美化しているのかもしれない。それでも、揺るがない。
・ゲームを遊ぶ人は、どこか孤独が好きで、孤立したような感覚や、どこにも属せていない感じをもった人が多いように想定している。自分自身を元にした想定ではある。社交的で毎週末の人と会う予定が埋まっていたり、たわいもない話を投稿したらお気に入りやイイネが100個ついたりするような人ではない。美少女ゲームのような流通と共有が十分に満たされた作品群でもない。だけども、だからといって、そんな人にも豊かさを体験できるべきだし、届けようとするものがあっていい。ただの慰みものではない、もう少し、いくばくかの、野心と希望の発芽を試みるようなゲームだ。ゲームから始まる物語や進行があってもいい。箸休めにしてくれても、踏み台にしてくれても構わない。そんな気持ちになる物語で包んだゲームを作りたい。
・タイポグラフィを大事にしたゲームは目指したいもののひとつ。タイポのアニメーション。それを実現するクラス図のイメージができている。
・ゲームも物語も器だ。僕にとって長く自然と親しんだ器。
・アートに鑑賞者教育があるように、ゲームのプレイヤー教育についても考えること。できればゲームに押しつけがましくなく盛り込むこと。そうしないと既存のゲームになれたユーザーに分かりにくく、すなわち伝わらなく、届かない。
・僕が作るゲームには、マンガ並の分かりやすさがあってほしい。シルアードクエストもそうだが、既存の親しまれたゲームを土台にしてもいい。分かりやすいからといって、新鮮さや驚きがないわけではない。
・これが今日の日記だ。
- Posted at 2014/09/27 00:15
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